スウェーデンのカロリンスカ研究所(KI)を中心とした国際研究チームが行った大規模な研究により、ADHD(注意欠陥・多動性障害)の治療薬を服用している人は、服用していない人に比べて自殺関連行動や薬物乱用、交通事故や犯罪に関わるリスクが低いことが明らかになりました。
この研究ではADHDと診断された6歳から64歳までの約15万人のデータを分析し、ADHD薬を使うことで症状の改善にとどまらず、本人や社会の安全にも良い影響がある可能性を示しています。
薬を服用することで人生の安全性が高まるとしたら、ADHD治療薬を見る目はどう変わるのでしょうか?
研究内容の詳細は2025年8月13日に『BMJ』にて発表されました。
目次
- ADHDが人生に及ぼす「意外な深刻さ」とは
- 集中力だけじゃない——ADHD薬が重大トラブル防止に効く可能性
- なぜ薬を飲むだけで問題が防げるのか?
ADHDが人生に及ぼす「意外な深刻さ」とは

ADHD(注意欠如・多動症)は子どもを中心に広く知られている発達障害で、世界的に見ると子どもの約20人に1人(約5%)、大人でも40人に1人(約2.5%)が抱えているといわれています。
主な特徴としてよく知られるのは、集中することが苦手だったり、じっとしていることが難しかったりすることです。
授業中に先生の話を聞き続けることができない、じっと座っていることがつらい、といった問題が起きやすいため、学校生活や友達付き合いで苦労することが多くなります。
しかしADHDの影響は、こうした日常の問題にとどまりません。
これまでの多くの研究で、ADHDがある人は自分を傷つける行動(自殺に関連する行動)や、お酒・薬物の乱用(依存につながる使い方)、交通事故、さらには犯罪(有罪判決を受けるような行動)といった重大な問題にも巻き込まれやすいことが分かっています。
つまり、ADHDが引き起こす可能性がある問題は想像以上に深刻で、本人だけでなく家族や周囲の人たちにも大きな影響を与えることになるのです。
ADHDの治療にはいくつかの方法があり、専門家が患者さんの年齢や症状の重さなどを考慮して選びます。
心理社会的支援という薬を使わない方法もありますが、小学校の高学年くらいから大人にかけては、「メチルフェニデート」などの薬を使った治療が一般的です。
メチルフェニデートは、脳の働きを調整して注意力や集中力を高めたり、衝動的に動き出してしまうのを抑えたりする薬(中枢神経刺激薬)です。
ここ数年、ADHDの診断を受けて薬を使う人が世界的にどんどん増えていますが、薬を長く使った時に起こりうる副作用や安全性の問題についても活発に議論されてきました。
実は、過去のいくつかの研究では、「ADHDの薬を使っている期間には、自殺や事故など重大なトラブルが減る傾向にある」という結果も報告されていました。
しかし、そのような研究は対象となる患者数が少なかったり、特定の年齢層や限られたグループに絞られていたりして、「誰にでも当てはまる結果なのか?」という点では疑問が残っていました。
また、ADHDの症状の重さや家庭環境の違いといった他の要因(交絡因子と呼ばれます)の影響を完全には取り除けないため、「本当に薬が原因でトラブルが減ったのか、それとも別の理由でたまたま減ったのか」を判断するには、証拠としてやや不十分でした。
そこで今回、スウェーデンの研究チームは、こうした過去の研究での問題点をクリアし、「ADHDの治療薬を使うと、本当に患者さんが重大なトラブルを経験するリスクが減るのか?」という大きな問いに挑むことにしました。
集中力だけじゃない——ADHD薬が重大トラブル防止に効く可能性

今回の研究では、「ADHDの薬が本当に事故やトラブルを防ぐことができるのか」を調べるため、スウェーデンの全国規模で行われた調査のデータが使われました。
この調査は2007年から2018年の11年間に、新しくADHDと診断された6歳から64歳までの幅広い年齢層の人々、約15万人(正確には148,581人)を対象に行われました。
研究チームが注目したのは、「薬を飲んだ人」と「薬を飲まなかった人」の違いです。
ADHDと診断された人の中には、診断を受けてすぐに薬を使い始める人もいれば、使わないことを選ぶ人もいます。
この研究では、診断を受けてから3か月以内に薬を使い始めた人(約57%の84,282人)を「薬を飲んだグループ」、診断後にずっと薬を飲まなかった人(残りの43%)を「薬を飲まなかったグループ」として比べました。
使われた薬のほとんど(約88%)は、「メチルフェニデート」という薬です。
この薬は脳の特定の働きを刺激して集中力を高めたり、衝動的な行動を抑えたりする効果が知られています。
通常、薬の効果を厳密に確かめるには、「ランダム化比較試験(RCT)」と呼ばれる方法が使われます。
RCTでは、調査に参加する人をランダムに「薬を飲む人」と「薬を飲まない人」に分けるため、他の要因の影響を最小限にして、薬の効果だけをより正確に測ることができます。
しかし、実際にADHD患者をランダムに分けて長期間追跡することは、倫理的にも実際的にも非常に難しいです。
そこで今回の研究チームは、「ターゲットトライアル・エミュレーション」という特殊な手法を使いました。
これは、すでに集められた実際の患者データ(登録データ)を使って、RCTのような分析ができるよう工夫した方法です。
簡単に言えば、実際に薬を使った人と使わなかった人のデータを整理し、仮想的にランダム化したような状態を作り出して、比較を公平に行おうというアイデアです。
そして、調査の結果は驚くべきものでした。
薬を飲んだグループの人たちは、薬を飲まなかったグループの人たちに比べて、自分を傷つける行動(自殺関連行動)が初めて起きるリスクが約17%低くなりました(具体的には、1000人を1年間観察した場合、薬を飲んだ人では約14.5件、飲まなかった人では約16.9件でした)。
さらに薬物乱用は15%、交通事故は12%、そして犯罪(裁判で有罪になるような重大なもの)についても約13%、それぞれ初めて起きる割合が低くなっていました。
ただし、「不慮の事故(けがなど)」については、初めて起きるリスクに明確な差が出ませんでした。
しかし、研究チームが注目したもう一つの視点、「繰り返し問題が起きるリスク(再発率)」では結果が変わりました。
薬を飲んだグループでは、繰り返し起きるリスクがすべての項目で明確に低下したのです。
具体的には、自殺関連行動の再発は15%、薬物乱用の再発は25%、不慮の事故の再発は4%、交通事故の再発は16%、犯罪(有罪判決)の再発は25%も減りました。
特に薬物乱用や犯罪の再発が減る効果は顕著で、薬を使い続けることで、同じ問題を繰り返す悪循環を断ち切る可能性があることを示しています。
また、研究チームは薬の種類ごとの比較も行いました。
その結果、メチルフェニデートのような刺激薬を使った人のほうが、非刺激薬を使った人よりも、全体的に問題が起こるリスクが低くなる傾向にあることもわかりました。
なぜ薬を飲むだけで問題が防げるのか?

今回の研究では、ADHDの薬が重大な問題を防ぐ効果を持っている可能性が示されましたが、では、なぜ薬を飲むだけでこうした問題が防げるのでしょうか?
その鍵は、薬がADHD特有の「衝動性」と「注意力の低さ」という特徴を改善することにあると研究者たちは考えています。
「衝動性」とは、簡単に言うと「後先考えずに思いつきで行動してしまう性質」のことです。
例えば、ちょっとしたことでカッとなって誰かを殴ってしまったり、すぐに危険な場所に飛び出したりといった行動につながることがあります。
こうした行動は、一度問題が起きてしまうとまた同じ問題を繰り返してしまいやすくなり、「トラブルの悪循環」を作り出してしまうのです。
一方、「注意力の低さ」は物事に集中できない、注意がすぐに逸れてしまうことです。
例えば、運転中に携帯電話の通知に気を取られてしまったり、授業中に大事な説明を聞き逃してしまったりするなど、日常生活でも深刻な結果をもたらすことがあります。
ADHDの治療薬(特にメチルフェニデート)は、脳の特定の部分の働きを調整し、こうした「衝動性」や「注意力の低さ」を改善する効果があります。
そのため、薬を使っている間は問題行動が起こりにくくなると考えられているのです。
実際、今回の研究でも特に「繰り返し重大なトラブルを起こしてしまう人たち」に対して、薬の効果が強く表れました。
これはつまり、薬が問題行動の繰り返しを防ぎ、「トラブルの悪循環」を断ち切る役割を果たしている可能性を示しています。
また、この研究で使われた「ターゲットトライアル・エミュレーション」という方法は、実際に行うのが難しい厳密な実験(ランダム化比較試験、RCT)を仮想的に再現した手法であり、観察だけに基づく通常の研究よりも原因に近づくための画期的な工夫でした。
そのため、こうした観察研究としては、これまでにない規模で信頼できる結果を出した初めての研究となっています。
とはいえ、注意すべきポイントがあります。
それは、「薬を飲んだ人はトラブルが少なかった」という今回の結果が、必ずしも「薬のおかげでトラブルが減った」と証明したわけではないということです。
実は、薬をきちんと飲み続ける人は、もともと生活環境が安定していたり、本人や家族のサポートが充実していたりする可能性もあります。
つまり、薬を飲むか飲まないか以外の要素(例えば症状の重さや家族のサポート体制など)が影響している可能性も十分にあるということです。
しかし、それでも今回の発見が持つ意味は大きいのです。
研究対象者のうち約57%しか薬を使っていなかったという事実は、約4割の人たちが薬物治療を受けていないという現実を示しています。
もし今回の結果のように薬の効果が実際にあるとすれば、まだ治療を受けていない多くの患者さんに治療を届けることで、より多くの重大なトラブルを防ぐことができるかもしれません。
元論文
ADHD drug treatment and risk of suicidal behaviours, substance misuse, accidental injuries, transport accidents, and criminality: emulation of target trials
https://doi.org/10.1136/bmj-2024-083658
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部