ADHD(注意欠如・多動性障害)は、今や日本でも一般的な言葉となりました。
学校や家庭、職場でも話題になることが増え、「集中が続かない」「じっとしていられない」といった特徴は広く知られています。
その原因には何が関係するのか、これまで世界中で、ADHDの人とそうでない人たちの脳の構造を比べる研究が盛んに行われてきましたが、「ADHDの脳は普通の脳と“構造が違う”のか」という点については、研究ごとに異なる結果が報告され、はっきりとした結論には至っていませんでした。
この背景には、各研究で用いられていたMRI(磁気共鳴画像)装置や画像の解析方法に“微妙な違い”があり、その影響が十分に補正できていなかったためです。この問題は以前から専門家の間でも指摘されていましたが、長年、解決が難しいまま残されていました。
この問題に対して、千葉大学(Chiba University)、大阪大学(Osaka University)、福井大学(University of Fukui)など国内複数の大学による共同研究チーム(代表:水野義史〈Yoshifumi Mizuno〉准教授)は、実際に複数の装置で同じ被験者を測定してそのズレを正確に補正する「TS法」と呼ばれる手法を本格的に導入し、長年の課題だった技術的ノイズを徹底的に排除しました。
その結果、ADHDの子どもたちの脳にどんな“違い”があるのかを、これまでになく明確に示すことに成功したという。
ADHDでは脳の構造が確かに異なるというこの結果は、ADHDの人に対する社会的な認識にも影響を与えるでしょう。
この研究の成果は、Nature系列の精神医学分野のトップ科学雑誌『Molecular Psychiatry』に、2025年7月付で掲載されています。
目次
- 測定のズレを補正する大規模な手法
- 努力では解決できないADHDの“脳のちがい”が見えてきた
測定のズレを補正する大規模な手法
「ADHDの脳は普通の人とは違うのか」という問いは、長年にわたり科学者たちを悩ませてきました。
これまでADHDの脳構造をめぐる世界中の研究では、「脳に違いがある」と報告されることもあれば、「違いはほとんどない」とされることもあり、結果が分かれていました。そのため、研究者の間でも「ADHDの脳にどんな特徴があるのか」をめぐって長く議論が続いてきました。
ADHDの人の脳に構造的な違いがもしなかった場合、社会では「ADHDは特別な脳の特徴がある病気ではなく、行動や心理、環境の影響によって現れる個性のひとつ」と理解され易くなります。この場合、「本人の努力や親の育て方次第なのではないか」という解釈をする人も出てくるかもしれません。
しかし、もし脳構造に明確な違いがあった場合、ADHDは「脳の発達や生物学的な特性として生まれる体の特徴」だということになります。この場合、ADHDの持つ特性を「やる気の問題」や「甘え」だと解釈することはできなくなります。
このように、「脳構造の違いがあるかどうか」は、ADHDへの社会的な認識の仕方や支援体制、また治療のターゲットに大きな影響を与える重要な要素になるのです。
ではなぜ脳構造の違いを調べた結果にバラつきがあるのでしょうか? その大きな原因は、「MRI(磁気共鳴画像)装置の違い」にありました。
MRIは医療現場でも使われている脳の断面写真を撮る機械ですが、メーカーや設置場所、調整方法によって写り方や数値が微妙に異なります。
たとえば、同じ子どもが違う病院でMRI検査を受けたとき、機械ごとに脳の大きさや形がわずかに違って見えてしまいます。
このため、世界中からたくさんのデータを集めても「本当にADHDの子どもとそうでない子どもの間に違いがあるのか」「ただの測定のズレなのか」を正しく比べることが難しいという課題がありました。
そこで今回、研究チームは「TS法(トラベリングサブジェクト法:Traveling-Subject Harmonization)」という方法を用いました。
この手法は、同じ被験者に複数の大学や病院の異なるMRI装置で順番に脳の撮影を受けてもらい、装置ごとに生じるわずかなデータのズレ(ノイズ)を正確に測定することで、全てのデータに補正を加えるというものです。
これは理屈としてはばらつきを補正する非常に優れた方法ですが、実際には大規模な協力体制と多くの技術的・資金的なサポートが必要となるため、これまで本格的に実施されることはありませんでした。
今回の研究では、複数の大学が協力し、このTS法を全国規模で初めて本格的に導入したというのが大きなポイントです。これによって、ADHDの子どもたちとそうでない子どもの脳画像を、公平な基準で比較できるようになったのです。
研究グループはこうして、ADHDの子どもとそうでない子ども、計294名(ADHDの子ども116名、定型発達(健常)児178名)の脳画像を比較しました。ここでは、年齢や性別、知能指数(IQ)などの違いも統計的にしっかり調整されています。
ではADHDは本当に脳のつくりに違いがあったのでしょうか? これまで曖昧だった部分がここから明らかになりました。
努力では解決できないADHDの“脳のちがい”が見えてきた
TS法を用いた今回の研究では、ADHDの子どもたちとそうでない子どもたちの脳を、これまでにない精度で比べることができました。
その結果、ADHDの子どもたちの脳には、実際につくりの違いがあることがはっきり示されました。
特に大きな違いが見つかったのは、「中側頭回(ちゅうそくとうかい/Middle Temporal Gyrus)」という部分です。
この場所は、ものごとに注意を向けたり、情報を整理したり、感情をコントロールしたりする働きを持っています。
ADHDの子どもたちでは、この中側頭回の灰白質の体積が少し小さくなっていました。その差は統計モデルでも偶然ではないと確かめられています。
同じような傾向は、脳の前の部分である「前頭葉(ぜんとうよう/Frontal Cortex:大脳皮質の前部)」や「側頭葉(そくとうよう/Temporal Cortex:大脳皮質の側部)」にも見られました。
これらの領域は、注意や計画、気持ちの切り替えといった、人間らしい思考や行動のコントロールに深く関わっています。
ADHDの特徴的な行動や感じ方は、脳の構造の違いと結びついている可能性が高いということが、今回の研究で科学的に裏付けられました。
このように脳構造の違いが原因と言われると、「ADHDはすべて生まれつき決まっている」と考える人もいるかもしれません。
しかし脳の形や大きさには、遺伝の他に、成長過程や子ども時代の経験や環境も関係してきます。
たとえば、生活習慣やストレス、学びの機会など、さまざまな要素が脳の発達に影響を与え脳構造を変化させることはよく知られています。
このため、ADHDを「先天的な脳の病気」や「持って生まれた運命」と単純に決めつけるのは早計で、後天的に生じる可能性も十分にあるのです。
大切なのは、ADHDは努力不足や怠けで生まれるものではなく、脳そのものの特徴が関わっているという最新の科学的な視点です。
実際、今回のように脳の構造を詳しく調べる研究が進むことで、ADHDの早期発見や、一人ひとりに合ったサポートの開発も期待されています。
今後はさらに多くの子どもや大人を対象に、国や文化の違い、成長にともなう変化まで含めて調べていくことが課題となります。
脳科学の進歩によって、ADHDの理解は大きく変わろうとしています。
子どもや周りの人を「なぜできないのか」と責めるのではなく、「どうすれば力を発揮できるか」「どんなサポートができるか」を一緒に考えていくことが、これからの社会でますます重要になっていくでしょう。この研究は、そうした未来への一歩となる成果です。
参考文献
Novel Accurate Approach Improves Understanding of Brain Structure in Children with ADHD
https://www.chiba-u.ac.jp/e/news/research/_0905_brain_e.html
元論文
Brain structure characteristics in children with attention-deficit/hyperactivity disorder elucidated using traveling-subject harmonization
https://doi.org/10.1038/s41380-025-03142-6
ライター
相川 葵: 工学出身のライター。歴史やSF作品と絡めた科学の話が好き。イメージしやすい科学の解説をしていくことを目指す。
編集者
ナゾロジー 編集部