「好き」の気持ちを伝えるキス。
そのとき私たちは無意識に唇をすぼめて相手に触れますが、なぜそんな仕草が生まれたのでしょうか?
特に本能の色濃く出る子供の「キス」は、まるでタコのように大きく唇を突き出すのは有名です。
イギリスのオックスフォード大学(Oxford)で行われた研究によって、そんなキスはなんと約2100万年前に生きていた大型類人猿の祖先から受け継がれた可能性が示されました。
さらに絶滅したネアンデルタール人と現生人類はDNAだけでなく唾液を介してうつる口腔内の細菌まで長期間にわたり共有していたことから、2つの種が互いにキスを交わしていた可能性もあるようです。
もしキスの起源が2100万年前の共通祖先にあったのならば、そのファーストキスは先祖たちのどんな行動様式がベースだったのでしょうか?
それともキスは突然出現した、全く新しい行動様式だったのでしょうか?
研究内容の詳細は2025年11月14日に『Evolution and Human Behavior』にて発表されました。
目次
- キスはサルの毛づくろい時の唇の動きが転用されたものだった
- ファーストキスは2100万年前
キスはサルの毛づくろい時の唇の動きが転用されたものだった

キスは世界中で愛情や友情の証しとされていますが、よく考えると不思議な行動です。
唇と唇を合わせる行為には病気をうつすリスクがあるうえ、直接的な生存メリットもありません。
犬や猫などの動物を見渡すと、キスよりも遥かに低リスクかつ実益のある「互いの体を舐め合う」スキンシップを行っているのに気づきます。
なのになぜ人類はキスを行うのでしょうか?
この謎に対し、これまでいくつかの仮説が提案されてきました。
たとえば「母親が食べ物を噛み砕いて口移しする行為が変化してキスになった」というものや「恋人同士が相手のニオイや味を確かめ合う行為がキスに発展したのではないか」という説、さらには「胸のように人間の唇自体が性的魅力を誇示するため進化したのではないか」という考えも提唱されています。
どれもそれっぽく聞こえますが「唇を突き出して吸う」というキス特有の形を直接には説明できません。
つまり「なぜ人は唇をすぼめてキスするのか」という決定打にはなりませんでした。
ここに登場したのが、英国ウォーリック大学の霊長類研究者アドリアーノ・ラメイラ氏が出した新しいアイデアです。
彼はキスの起源がチンパンジーなどのサルたちが行う「毛づくろい」の中に登場する、唇を使った行動にあると唱えました。
チンパンジーなどの毛づくろいの様子を見ると、彼らは毛づくろいのシーンで指先だけでなく「唇をすぼめて吸い付く」ような行動も用いていているのに気づくと思います。
この行動によって彼らは毛や皮膚に付着した汚れや寄生虫を取り除きます。
ラメイラ氏によれば、これこそがキスの原型ではないかというのです。
人類の祖先は進化の過程で全身の体毛をほとんど失い、その結果「実用的な毛づくろい」は次第に不要になっていきました。
しかしサルたちの毛づくろいには実用以外にも絆を維持するための効果があることが知られており、人類はその絆を維持する効果を継承するために、唇をすぼめて吸うというキスという行動様式を留めたというのです。
言ってみれば、現代人が恋人や家族と交わすキスは、大昔のサルたちが毛づくろいの終わりにしていた「愛情の証」が形を変えて残ったものだというわけです。
実は、生物の世界ではこのように先祖となる種が持っていた特定の行動様式が、子孫の種では別の意味に転用されることが良く知られています。
例えば犬が飼い主の手をなめるという行動がありますが、元をたどれば祖先のオオカミが行っていた行動に由来します。
野生のオオカミの子どもは、親オオカミが食べ物を運んできたとき、口元をなめて食べ物を吐き出してもらいます。
この行動が、飼い犬では愛情表現として意味を変えたのです。
つまり祖先の種では「吐き出させるための行動」が子孫では「愛情表現」に転用されているわけです。
また鳥の羽づくろいもわかりやすい例です。
鳥の羽づくろいは元々は清潔のためですが、それが鳥たちの社会では仲直りや友好関係の維持のための表現に転用されています。
鳥を複数飼っている人ならば、喧嘩した鳥たちが仲直りの際に羽づくろいをするのを目撃したことがあるかもしれません。
このように、祖先がやっていた実用的なしぐさは、子孫の世界では別の意味に変化することはよくあるのです。
理由はシンプルで、合図は誤解が少ない形ほど有利だからです。
もともとの動きに分かりやすいクセ(姿勢、リズム、音)があると、周りがそれを“読みやすい”ため、文化や種が変わっても伝わりやすい記号として生き残ります。しぐさは言葉と同じで、便利に通じるものほど残るのです。
むしろ共通先祖が全く持っていなかった行動様式を子孫の種が突然に獲得することのほうが謎が多いと言えるでしょう。
ならば元々が実用と社会的絆の両方の意味を持っていたサルたちの毛づくろいが、人類のキスに姿を変えても不思議ではありません。
実際、チンパンジーやボノボなど一部の霊長類では、ケンカの後で仲直りのキスを交わす行動も報告されています。
つまりキスはもともと恋愛の合図というより、仲間同士の絆を確認し安心させ合う「社交の潤滑油」だった可能性が高いのです。
では、実用的な意味を持った「毛づくろい」から「純粋な絆のためのキス」が分離したのはいつ頃なのでしょうか?
ファーストキスは2100万年前

キスは一体いつ頃生まれたのでしょうか?
――その答えを得るため、まず研究者たちは「キスとは何か」を改めて定義するところから始めました。
種によって様々な「口と口の触れ合い行動」がありますが、それらの中から食べ物の受け渡しでも攻撃でもない、友好的な口同士の接触をキスとみなすことにしたのです。
定義が決まると、次は霊長類のキス情報を集めました。ゴリラやテナガザルなども含む広い霊長類の中で「キス」をする種を洗い出しました。
チンパンジー、ボノボ、オランウータンといった大型類人猿は仲間同士で口と口を触れ合わせる行動は有名でしたが、その他のサルたちの「キス」を含めて幅広く調べたのです。
そして集めたデータをもとに研究チームは霊長類の進化系統樹にキスの有無を書き込んでいき(比喩)ました。
さらに統計モデル(ベイズ推定)を用いて、祖先の霊長類がキスをしていた確率を推定しました。
このモデルは様々な進化シナリオを仮定して1000万回もシミュレーションが実行され、結果の確からしさが検証されています。
その結果、驚くべきことが判明しました。
人間と大型類人猿(チンパンジー・ゴリラ・オランウータンなど)の共通祖先は、今から約1690万〜2150万年前の時点ですでにキスを交わしていた可能性が高いというのです。
さらに私たちの遠い親戚であるネアンデルタール人についても、キスをしていた蓋然性が高いことが示されました。
現生人類とネアンデルタール人の唾液に含まれる細菌が似ているという報告もあり、両者が近い距離で触れ合う行動をしていた可能性を補強すると考えられています。
共同研究者である進化生物学者のStuart West氏は、「進化生物学の理論と行動データを統合すれば、化石に残らない特徴―例えばキスのような行動でも、過去に遡って推論することができます」と説明します。
つまり今回の研究は、痕跡の残らない行動の進化を科学的に解明する手法の第一歩でもあります。
研究チームはキスの進化的な歴史を再構築するために、霊長類全体でのキス行動を比較するという大胆な試みに挑みました。
リーダーである進化生物学者のMatilda Brindle氏は「キスをこれほど広い進化の視野で検証したのは史上初めてです。我々の発見は霊長類が示す多様な性行動について、理解を深める一助となるでしょう」と語っています。

今回の研究によって、キスが「突然」出現した行動様式ではなく、「サル社会から受け継いだ毛づくろい」が変化した行動であり、純粋なキスに近い行動がおよそ1690万〜2150万年前ごろにはじまった可能性が示唆されました。
もしこの二つの線が正しければ、「愛のキス」は、2100万年前のサル社会から続く、超ロングセラーの社会行動ということになります。
愛情表現と思っていたキスの奥に、太古の昔から続く「仲間同士の信頼の証し」という役割が隠れているかもしれないのです。
もちろん現代のキスの意味や価値観は文化ごとに大きく異なり、恋人同士のキスには本人たちだけの特別な物語があるでしょう。
2015年の調査では世界168の文化圏のうち恋愛的なキスの習慣が確認されたのは46%に過ぎなかったとの報告もあります。
しかし研究者たちは、キスの重要度や形は文化ごとに違っていても、人と人が信頼や親密さを深めるためのスキンシップという点では共通した土台があるのではないかと考えています。
もし次にキスをすることがあったら、その行動が数千万年も昔から続く行為ということに意識を向けてみるのもいいかもしれません。
人間のキスに込められた絆の力は、遠い祖先のサルたちから脈々と受け継がれてきた――そう考えると、次のキスが少しだけ特別なものに感じられるでしょう。
参考文献
Ape ancestors and Neanderthals likely kissed, new analysis finds
https://www.eurekalert.org/news-releases/1106275
元論文
A comparative approach to the evolution of kissing
https://doi.org/10.1016/j.evolhumbehav.2025.106788
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部

