眠りは徐々に起こるのではない――脳が眠る瞬間を捉えることに成功

脳波

イギリスのインペリアル・カレッジ・ロンドン(ICL)を中心に行われた研究によって、私たちが眠りにつくときの脳の働きに意外な事実が判明しました。

これまで私たちは「徐々に眠りに入る」と考えてきましたが、実際には脳の活動が「ある瞬間」を境に、まるでスイッチを切り替えるように急激に変化して眠りに入ることが明らかになったのです。

さらに脳波の変化を分析することで「眠りに落ちるタイミング」を分どころか秒単位で予測できる新たな方法を開発したのです。

この発見は、不眠症の改善や居眠り事故防止、さらには手術中の麻酔管理への応用など、多方面での活用が期待されています。

はたして私たちが毎晩経験する「眠りに落ちる瞬間」には、一体どんな秘密が隠されているのでしょうか?

研究内容の詳細は2025年10月28日に『Nature Neuroscience』にて発表されました。

目次

  • 『眠りは徐々に訪れる』という常識を疑う
  • 脳が眠る瞬間を捉えることに成功

『眠りは徐々に訪れる』という常識を疑う

『眠りは徐々に訪れる』という常識を疑う
『眠りは徐々に訪れる』という常識を疑う / Credit:Canva

人の一生を考えたとき、睡眠は非常に長い時間を占めています。

具体的には、人生の約3分の1は寝ている計算になります。

これはつまり、私たちが80歳まで生きるとしたら、そのうち約27年間を睡眠に費やしていることになります。

しかし、これだけ長く眠りと付き合っているにもかかわらず、その入り口である「入眠」がどのように起こるのかという仕組みには、まだ多くの謎が残っています。

これまでの睡眠科学では、「人は徐々に、ゆっくりと眠りに入っていく」という考えが一般的でした。

私たちも、自分が寝るときのことを思い浮かべると、確かにそんな感覚を持っているでしょう。

目を閉じてじっとしていると意識がぼんやりし始めて、気づいたら寝ている……そんな流れです。

この「徐々に眠くなる」というイメージは、長い間科学的にも常識として受け入れられてきました。

しかし、最近の研究から、もしかすると私たちはこの「徐々に」という感覚に騙されているのではないか、という疑問が出てきました。

睡眠に入る瞬間を研究するとき、一般的には脳波を使います。

脳波とは、頭に小さな電極を取り付けて、脳が出す電気信号を記録する方法です。

脳波にはいくつかの種類があり、眠りにつく前のウトウトした状態(まどろみ)と、完全に寝ている状態ではそれぞれ異なる波形が現れます。

睡眠科学では、この脳波のパターンを段階ごとに分けて「眠りへの進行度合い」を観察してきました。

しかし、ここに一つの問題があります。

脳波は確かに眠りの深さを大まかに示してくれますが、「まどろみ」から「睡眠」への移行点、つまり「いつ寝たのか」という境界を明確に示してくれません。

まどろみと睡眠の間に、はっきりとした線を引くことが難しいのです。

そのため従来の研究では、「いつ眠ったか」を秒単位で正確に追跡することが非常に困難でした。

これを補うために、これまでは心拍数や呼吸の変化、あるいは体の動きなど、脳波以外の情報にも頼ってきました。

しかし、こうした間接的な指標を組み合わせても、リアルタイムで正確に入眠の瞬間を特定するのは容易ではありませんでした。

こうした難しさがあるため、「入眠の瞬間」というものは科学的に明確に定義されないままだったのです。

とはいえ、この「入眠の瞬間」の仕組みを明らかにすることには、実は大きな社会的な意義があります。

たとえば、「入眠障害」という寝つきの悪さに悩む人は世界中に数多くいます。

逆に、車の運転中に突然強い眠気に襲われて居眠り運転を引き起こし、事故につながることも問題となっています。

もし、「あと何秒で人が眠りに落ちるか」を科学的に正確に予測できる方法があれば、こうした問題を解決する大きな手がかりになるかもしれません。

そこで今回の研究では、この入眠の瞬間に脳が一体何をしているのかを詳しく調べ、「眠りに落ちる瞬間」が本当に存在するのかどうかを明らかにしようとしました。

脳が眠る瞬間を捉えることに成功

脳が眠る瞬間を捉えることに成功
脳が眠る瞬間を捉えることに成功 / Credit:Canva

眠りに落ちる瞬間――それは誰にでもあるのに、誰も見たことがない不思議な現象です。

研究チームは、この「見えない一瞬」を捉えるために、脳の活動をまるで地図のように描き出す方法を考案しました。

頭に取り付けた電極で脳波を読み取ることで、脳の状態を知ることができます。

これまでの脳波による睡眠判定と違い複数の要因(多次元)に別けて分析することで眠りに近づく過程を「空間の中を移動する道筋」として再構築したのです

これにより脳が眠る瞬間を捉えることが可能になりました。

さらに脳波データを分析すると、入眠の少し前に興味深い現象が起こることがわかりました。

眠りに入る約4.5分前になると、まず「臨界スローイングダウン」と呼ばれる特徴的な脳波の揺れが現れます。

これは大きな変化が起きる前兆として、脳の波形がゆったりと揺れたり、動きが鈍くなったりする現象です。

この現象の直後、脳の状態はまるで崖から落ちるように急に変化します。

この「ガクン」という切り替わりこそが、眠りへのスイッチが入る「転換点」でした。

この瞬間を過ぎると脳は覚醒状態に戻れず、雪崩のように眠りへと突き進みます。

さらに興味深いことに、この転換点は脳のすべての部分で同時に起きるわけではなく、部位によって少しずつタイミングがずれていることもわかりました。

視覚を処理する後頭部は、思考や判断を行う前頭部より平均約0.9分(約54秒)ほど早く眠りの状態に切り替わっていました。

後頭部が先に眠りモードに入り、前頭部が後から続くという順序があることで、私たちはあたかも眠気が徐々に深まっていくように感じる可能性があります。

研究チームはさらに、この入眠の仕組みを応用して「いつ眠るか」を秒単位で正確に予測する方法を作り上げました。

各人の脳波を分析し、その人特有の転換点をあらかじめ知ることで、次の日以降にどのタイミングで眠りに入るかを予測できるようになったのです。

その予測精度は非常に高く、平均0.95以上(最高は1.0)の一致度を示しました。

また、予測した転換点の時刻の誤差は平均約約49秒と分未満の秒単位であり、驚くほど正確に眠りの瞬間を特定できました。

こうした新しい発見により、眠りに落ちるという現象は、決してなだらかな坂道を降りるようなものではなく、「ある瞬間」に急激に起きることが明らかになったのです。

眠りに入るプロセスをここまで客観的に可視化できたのは今回の研究が初めてであり、睡眠科学における大きな前進と言えます。

従来は睡眠の開始時刻を厳密に定めることが難題でしたが、この研究により「ここからが睡眠」と言える新しい基準が得られるようになりました。

睡眠医学において、眠りの定義や評価法を見直す転機になるかもしれません。

実用面でも、この成果には期待が寄せられています。

例えば、不眠症で寝つけない人の治療や、脳の老化や認知症による変化の早期発見、さらには手術中の麻酔モニタリングの精度向上などに応用できる可能性があります。

また、運転中に「あと数十秒で眠ってしまう」という脳のサインを検知して事前に警告できれば、居眠り事故の防止にも役立つでしょう。

今後、入眠の転換点を制御するメカニズムがさらに解明されれば、必要なときにスムーズに眠りについたり、逆に眠気を抑えたりといった調節が可能になるかもしれません。

私たちが日常感じる「ウトウトからコテンと寝入る瞬間」が科学的に裏付けられた今、この知見を活かしてより良い睡眠と健康、そして安全な社会につなげていくことが期待されます。

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参考文献

Researchers identify tipping point that leads to rapid sleep onset
https://medicalxpress.com/news/2025-10-rapid-onset.html

元論文

Falling asleep follows a predictable bifurcation dynamic
https://doi.org/10.1038/s41593-025-02091-1

ライター

川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。

編集者

ナゾロジー 編集部

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