ベルギーのアントワープ大学(UAntwerp)を中心とした研究チームが、泥の中で電気を運ぶ不思議な細菌「ケーブルバクテリア」の導線の正体を解明したと報告しました。
この細菌は、体の内部に金属原子と有機分子が格子状につながった「金属有機構造体(MOF)」という物質を形成して極細の導線として使っていました。
驚くべきことに、この微生物が作り出した天然のナノ導線は、人工的に作られた同系統の有機導電材料より約100倍も電気を通しやすい可能性が示されています。
いったい細菌はどのようにして、これほど高度な「ナノ導線」を自然に編み出したのでしょうか?
研究内容の詳細は2025年10月11日に『bioRxiv』にて発表されました。
目次
- 微生物が作る電線は何からできているのか?
- 微生物が作る金属有機構造体は人工素材よりも100倍高い導電率を持っていた
微生物が作る電線は何からできているのか?

生命が生きるためには、エサを食べ、呼吸を行うことが絶対に必要です。
中学の理科の教科書では、この過程を「栄養を酸素で燃やして、生命活動に必要なエネルギーを取り出す」と説明しています。
実際、食べ物がエネルギーに変わる仕組みは、薪が燃えて暖かさや光を生むのと似ています。
ですが、現代の科学では、これをもう少し違った角度から捉えています。
それが、生き物の体を「電子」という目に見えない粒の流れで理解するという考え方です。
少し丁寧に説明しましょう。
私たちが食べているエサ(栄養)は、実は「高エネルギーの電子」をたっぷりと蓄えており、生物はこの電子を細胞の中で取り出し、循環させて生きるためのエネルギーを確保します。
そして最終的には、呼吸によって取り込んだ酸素に、この「使い終わった電子」を捨てます。
電子を受け取った酸素は、水(H₂O)になります。
まとめると、生物学における酸素呼吸とは、エサから得た電子を酸素に渡して水にして排出する行為と解釈できるのです。
呼吸が止まると苦しくなるのは、この電子を渡す酸素が不足し、細胞内で電子が渋滞してエネルギー生産が止まってしまうからと言えます。
ここで気になる方もいるでしょう。
「呼吸で吐き出すのは水ではなく、二酸化炭素(CO₂)では?」
たしかに呼吸で排出されるのは二酸化炭素ですが、これは細胞が電子を取り出した後の食べ物に含まれる「炭素」が酸素と結びついて出てきたものです。
電子を受け取った酸素が水(H₂O)になることと、炭素が酸素と反応して二酸化炭素になることは別の反応として同時に起きています。
この仕組みを踏まえて、ここからが本題です。
地球には「酸素がほとんどない環境」が存在します。
たとえば湖底や海底の泥の中は、酸素が非常に乏しい世界です。
そんな環境では、電子を捨てる先となる酸素を見つけることが非常に難しいため、酸素を使うタイプの呼吸はまずできないだろうと考えられていました。
ところが近年、研究者が泥の中を詳しく調べて驚くべきことがわかりました。
「ケーブルバクテリア」と呼ばれる特殊な細菌が、泥の深い部分で生活しているのに酸素を利用して生きていたのです。
一体どうやっているのか?
ケーブルバクテリアは、自分の体から導線(電気を運ぶ細い線)を伸ばし、泥の奥底でエサから取り出した電子を酸素が豊富な泥の表面まで送り届けているのです。
人間でいえば、水中から管を伸ばして地上の空気を吸っているようなものでしょう。
しかし、この細菌は空気の管ではなく、「電子を通す電線」を泥の中に張り巡らせているのです。
とはいえ、細菌が電子を数センチメートルという長距離にわたって送り届けるという現象は、専門家にとっても驚くべき謎でした。
なぜなら、細胞や生き物が作る一般的な物質は、通常そこまで電気を通しやすくないからです。
ケーブルバクテリアはどんな特殊な物質を使って、泥の底から表面へ電子を届けているのか?
今回、研究者たちはこの謎の導線を徹底的に分析し、どのような元素が使われ、どのような仕組みで長距離の電子伝達を可能にしているのかを探りました。
微生物が作る金属有機構造体は人工素材よりも100倍高い導電率を持っていた

ケーブルバクテリアが持つという「導線」は、一体どんなものでできているのでしょうか?
これを明らかにするために、研究者たちは、まず細菌を傷つけないように慎重に泥の中から取り出しました。
そして、電子顕微鏡やX線分析など最先端の技術を駆使して、その体の中を詳細に観察しました。
すると、まず面白いことが分かりました。
この細菌の細長い体の表面には、規則正しく盛り上がった「隆起」が何本も走っていて、まるで畑の畝(うね)のように並んでいます。
このリッジの中に目を向けてみると、驚くべき構造が姿を現しました。
そこには、非常に細くて長い「繊維」が通っていたのです。
研究者がさらに踏み込んで、この繊維に含まれる元素をX線で調べると、ある特徴がはっきりと見えてきました。
なんと繊維にはニッケル(Ni)と硫黄(S)がたくさん詰まっていることが分かりました。
このニッケルと硫黄が繊維に沿って連なり、まるで電気を運ぶために特別に作られた導線のような構造を形作っているのです。
その一方で、生物が電子を運ぶときによく使う鉄(Fe)はほとんど見当たりませんでした。
では、細胞どうしの間はどうでしょう?
ここにもまた面白い仕掛けがあります。
細胞の境目には、ニッケルではなく銅(Cu)がたっぷりと詰まっていることが分かりました。
そして銅は、この繊維同士をまるで自転車の車輪のスポーク(輻)のようにつないでいます。
細胞が数珠つなぎになるとき、銅が「つなぎ目」となって各細胞の中のニッケル繊維を一本の長い導線へと統合していたのです。

このニッケルを主役に、銅を脇役として活用する、非常に巧妙な設計がケーブルバクテリアの体内に存在していたことになります。
ここまでで、「細菌がなぜ電気を長距離運べるのか?」の構造的な謎が、まず解けてきました。
次に、もう一つ気になることがあります。
この導線は、具体的にどれくらい電気を運ぶのに優れているのでしょうか?
2019年に行われた測定では、実際の導電率は最大で約79 S/cm(シーメンス毎センチメートル)であると報告されています。
この数値だけでも、生物が作る有機材料としては非常に優れています。
ところが今回の研究で、研究者たちはさらに驚くべき推測を行いました。
繊維の内部には、複数のさらに細い「ナノリボン」という極小の帯状の物質が走っています。
このナノリボン一本あたりに換算して導電率を見積もってみると、なんと最大で約2万 S/cmという驚異的な数値に達する可能性があると推定されました。
これは、同じ種類の人工的な有機導線(ニッケルビスジチオレンという化合物を使った合成ポリマー)と比べると、だいたい2桁(約100倍)も高い性能です。
研究者たちは「ケーブルバクテリアはこれまで知られていなかった、非常に効率的な有機導電体を進化させていたようだ」と指摘しています。
では、なぜケーブルバクテリアのナノ導線は、ここまで優れた導電性能を実現できるのでしょうか?
実はその秘密は、電子を運ぶ分子の「かたち」に隠されています。
先に触れたナノリボンは「ニッケルビスジチオレン(NiBiD)」という分子からできています。
ちょっと難しそうな名前ですが、イメージは簡単です。
この分子は薄くて平らな板のような形をしています。
そして、それぞれの板が柔軟に曲がったり回転したりしないように、がっちりとした強い構造を持っているのです。
この強い構造を持った「板」が、まるでタイルやレンガを積み重ねるように一直線に並んでいます。
すると何が起きるでしょうか?
電子が隣り合う板から板へスムーズに流れ、「一本の道」を通るように効率よく運ばれていくのです。
いわば、このナノリボンの中に電子専用の超高速道路ができているのです。
もう一つ、特筆すべきポイントがあります。
ケーブルバクテリアの繊維の中には、一本ではなく、複数のナノリボンが撚り合わせられるように束ねられています。
ちょうど私たちが使う電気コードが何本もの細い銅線をよじり合わせて作られているのと同じような工夫です。
このような構造にすると、導線は「柔らかさ」と「強さ」を同時に兼ね備えます。
たとえば、細菌が泥の中を動き回ったり曲がったりしても、この導線が簡単にちぎれたり壊れたりすることがありません。
この仕組みのおかげで、電子は泥の深部から泥の表面まで、途切れずに安定して送り届けられます。
研究論文では、このナノリボンの束について、「私たちが家庭で使っている電気コードに使われる銅線の束にたとえられます」と指摘しています。
つまり、この微生物は、私たち人間が長年培ってきた電気配線の知恵を、はるか昔からすでに持っていたというわけです。
ケーブルバクテリアは、こうした細くて強靭なナノリボンを体の内部に巧妙に編み込み、曲がりくねった泥の世界で自由に生きるための「生体ケーブル」として利用しているのです。
自然が生み出した巧妙な設計原理は、新たなエレクトロニクス技術につながる可能性があります。
例えば、人の体内に埋め込んでも害のないバイオハイブリッド電子デバイス(生物由来の素材と機械を組み合わせた装置)や、環境に負荷をかけない生分解性のセンサーなどが考えられます。
今後は、こうしたデータを基に、微生物がナノ導線を作る仕組みをさらに詳しく解明したり、別の微生物にも似たような仕組みが存在するかを探ったりする研究が進められるでしょう。
元論文
A hierarchical nickel organic framework confers high conductivity over long distances in cable bacteria
https://doi.org/10.1101/2025.10.10.681601
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部

