スロバキア科学アカデミー(SAS)などの国際研究チームは、ヒッグス粒子がなくても質量が発生し得ることを示す新たな理論を発表しました。
研究ではWボソンとZボソンなどの素粒子の質量は外部のヒッグス場ではなく、高次元空間の幾何学的な「ねじれ」によって生み出されることが示されています。
つまり、私たちが住む空間そのものが「物質に重さを与える仕組みを内包している」のかもしれないという大胆な仮説が、理論モデルとして提示されたのです。
さらに研究では基本的な力や粒子の性質も、空間から出現する可能性について言及しています。
私たちの世界は高次元空間のねじれが投影されたものにすぎないのでしょうか?
研究内容の詳細は 2025年11月10日 に『 Nuclear Physics B 』にて発表されました。
目次
- 宇宙の隠された次元に『質量』の謎を追う
- 7次元空間が『重さ』を生む仕組み
- 私たちの世界は高次元空間のねじれが投影されたものかもしれない
宇宙の隠された次元に『質量』の謎を追う

素粒子物理学でよく耳にする「ヒッグス粒子」は、物質に質量を与える特別な粒子とされています。
2012年にヒッグス粒子が発見され、これにより物理学の世界は「質量の仕組み」が明らかになったかに見えました。
この粒子の周囲には「ヒッグス場」と呼ばれる目に見えないエネルギーの膜が広がっています。
粒子がその場を通り抜ける際に「抵抗」のような作用が生じ、粒子に質量が与えられるのです。
プールの中を歩くと水の抵抗で歩きづらくなるように、粒子もヒッグス場の抵抗を受けることで「重さ」を持つわけです。
ところが今回の研究チームは、この定説に別の可能性を提示しました。
その主役は「空間の形」そのものです。
一体どういうことでしょうか?
物理学において「力の正体は形だ」と言われても、ピンとこないかもしれません。
しかし、重力についてはすでにこうした考え方が広く知られています。
アインシュタインの一般相対性理論では、重力は空間の形の「ゆがみ」が原因だとされます。
巨大な質量があると、その周囲の空間の形が凹み、他の物体がそこへ引き寄せられるというイメージです。
つまり、物理学では「空間の形」が現実の現象と結びついていることは珍しくありません。
それならば、重力以外の力や粒子の性質も、空間の「形」から生まれる可能性はないでしょうか?
ここでポイントになるのが「次元」という考え方です。
私たちが普通に認識するのは縦・横・高さの3次元空間と、時間を加えた4次元です。
しかし近年の物理学では、このほかにも私たちに見えない「余剰次元」が存在すると考えられています。
私たちの宇宙の裏側に隠れて折りたたまれた、小さな空間のようなものです。
こうした余剰次元を考える理論として有名なのが「超弦理論」です。
超弦理論では、私たちが見ている世界よりもずっと多くの次元が必要になります。
私たちが認識できる縦・横・高さの3次元(プラス時間)に加えて、目に見えない次元があるというのです。
具体的に重要なのが「7次元の特殊な空間」で、「G₂多様体」と呼ばれる不思議な形をしています。
この空間は直感的にイメージできるものではありませんが、数学的には定義され、さまざまな理論計算に使われています。
さらに面白いことに、この7次元空間はただ広がっているだけでなく、場所によって独特の「ねじれ」があると予測されています。
4次元空間の歪みが重力という現象を生むのなら、7次元空間の歪みも現実世界に何らかの影響を与える可能性があります。
今回、研究チームはこの空間の「ねじれ」が、現実世界の素粒子の「質量」に関わっている可能性を調べました。
ヒッグス場がスイッチのように粒子の重さを決めるのなら、7次元空間の「ねじれ」も別のタイプのスイッチとして働くかもしれません。
もしそんなことが本当にあり得るなら、素粒子は高次元空間の歪みから直接的に質量を得ていることになります。
空間そのものが質量を授けるなどということが、本当にあるのでしょうか?
7次元空間が『重さ』を生む仕組み

空間のゆがみが素粒子に質量を与えることはあるのでしょうか?
答えを得るため研究者たちは、まず見えない7次元空間の「ねじれ」がどのように変化して安定するのかを数式で描き出すことにしました。
とはいえ、実際に7次元の空間を観測することはできません。
そこで彼らは、数学という望遠鏡を使って理論上の空間の形を解析したのです。
難しい計算の連続ですが、身近なたとえで言えば、まるで「ねじれたゴムシートが、時間とともにどんな形に落ち着くか」を調べるようなものです。
最初、空間は不安定なねじれを持っていました。
ところが計算を進めていくと、そのねじれはだんだんと整っていき、ついに一つの安定した状態に落ち着くことが分かりました。
いわば、空間自身が「これが一番落ち着く形だ」と決めるように自然と安定点を見つけたのです。
そして、その安定した「ねじれ具合」を数値に置き換えると、驚くべき一致が見られました。
その値は、ヒッグス理論で扱われる重要な数値、約246ギガ電子ボルト(GeV)と同じスケールにありました。
粒子が実際に質量を獲得する際には、その粒子とヒッグス場がどれくらい強く相互作用するか(いわゆる「結合の強さ」)が重要です。
この結合の強さに「246GeV」を掛け合わせることで、各粒子固有の質量が生まれます。
つまり、粒子によって「ヒッグス場との相互作用の強さ」が異なるため、得られる質量も粒子ごとに異なります。
もちろん、これは偶然の一致ではなく、研究チームが理論内でその値を真空の基準(真空期待値)として設定した時に、モデル全体がうまく整合することを示した結果です。
この数値が空間のねじれから飛び出してきたというのは、非常に象徴的なものと言えるでしょう。
つまり、ヒッグス場という外部の特別なエネルギー場を持ち込まなくても、空間そのもののねじれ構造を用いるだけで、粒子に質量が生まれる条件が再現されたのです。
言い換えれば、宇宙の空間は単なる「入れ物」ではなく、それ自体がエネルギーを秘めた「能動的な存在」だったということになります。
ねじれの中に蓄えられたエネルギーがある臨界点を超えると粒子に重さを与える――そんな新しい可能性が理論上見えてきたのです。
さらに解析を進め、研究チームは空間のねじれが素粒子に与える影響にも注目しました。
宇宙には、光を運ぶ「光子(フォトン)」のように質量を持たない粒子と、Wボソン・Zボソンのように重さを持つ粒子が存在します。
両者はどちらも「力を伝える粒子」ですが、なぜ片方は軽く、もう片方は重いのか――これは長年の謎でした。
ヒッグス理論では、この差はヒッグス場との相互作用の強さによって説明されます。
では今回の「ねじれ理論」では、どのように説明されるのでしょうか。
チームが導き出した式を使うと、光子の質量は確かにゼロのままでした。
一方で、WボソンとZボソンの質量を同じ式に代入すると、それぞれ79.9GeVと90.8GeVという観測値(約80GeVと91GeV)に非常に近い数字が出てきました。
これらの式の形は、標準模型のものと同じ構造でした。
ただし、その出どころが異なります。
ヒッグス理論では外部のヒッグス場から質量が与えられるのに対し、この理論では空間のねじれ自体がその役割を果たしているのです。
言い換えると、「質量の設計図」は変わらないまま、建材が別のものに置き換わったようなものです。
同じ建物を違う材料で建てたら見事に立ち上がった――そんな驚きに近い結果でした。
この結果は、単なる偶然の一致ではありません。
WボソンとZボソンが「どのようにして重くなるのか」という現象を、空間の幾何学そのものが再現できたのです。
つまり、ヒッグス場という外側の要素を持ち込まなくても、7次元のねじれ構造の中に「質量を生む仕組み」が自然に備わっていたのです。
それは、宇宙の形そのものが、私たちの世界の物理法則を作り出していることを示唆しています。
私たちの世界は高次元空間のねじれが投影されたものかもしれない

今回の研究が提示したのは、非常にシンプルながら大胆な「仮説」でした。
それは、質量という私たちが当たり前に思っている物理的性質が、実は目に見えない空間のねじれに由来する可能性です。
これが本当なら、物理学の考え方に大きな変化が起こります。
先に述べたように、現代の物理学では粒子に重さを与えるメカニズムとしてヒッグス場が存在するとされています。
しかし、この研究の筆頭著者リチャード・ピンチャック氏は「自然はしばしばシンプルな解を好む傾向があります。もしかするとWボソンとZボソンの質量は、ヒッグスという特別な粒子が与えるものではなく、7次元空間そのものの『ねじれ』から生じている可能性も考えられるのです」と述べています。
もしこの考え方が正しいなら、「質量」は宇宙の外から与えられた特別な性質ではなく、宇宙自体が生まれながらに持つ「自然な性質」だった、ということになります。
これは物理学における「幾何学による統一」という大きな夢に一歩近づく重要な可能性です。
さらにこの新しい仮説は、私たちがまだ説明できていない様々な物理現象にも新しい説明をもたらす可能性があります。
たとえば、WボソンやZボソンの質量が、ヒッグス理論の予測と実験結果の間に微妙なずれを示すケースがあります。
現在の標準理論では説明が難しいこの「微妙な誤差」が、実は余剰次元の幾何学的な影響によるものだとすれば、大きな発見になります。
また、宇宙が始まった頃に発生したと考えられる重力波の痕跡も、空間の余剰次元のねじれを示す兆候として再解釈できる可能性があります。
実際、論文の考察によれば、7次元の空間の曲がり方が私たちの宇宙の曲率に直接影響を与えている可能性も示唆されています。
具体的には、宇宙が加速しながら膨張している原因とされる宇宙定数Λという小さなエネルギーが、余剰次元のねじれとつながっている可能性があるのです。
もしこれらが正しければ、これまで別々だと思われてきた重力や量子、宇宙というスケールの異なる現象が、実は時空の「形の変化」が投影されたものという一つのシンプルな原理で統一的に理解できる可能性があります。
もしかすると数年後のノーベル賞授賞式には、時空のゆがみが基本的な力や粒子の性質を決めることを発見した功績で、本論文の研究者たちの名が連なっているかもしれません。
元論文
Introduction of the G2-Ricci flow: Geometric implications for spontaneous symmetry breaking and gauge boson masses
https://doi.org/10.1016/j.nuclphysb.2025.116959
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部

