北極の分厚い海氷の下。
そこは光も届かず、極寒のため、長らく「生命が存在するには過酷すぎる」と考えられてきた世界です。
しかしデンマーク・コペンハーゲン大学(University of Copenhagen)の最新研究で、“生存不可能”と思われていた北極の海氷下に生命活動が確認されました。
研究者たちの常識が覆されつつあります。
研究の詳細は2025年10月20日付で科学雑誌『Communications Earth & Environment』に掲載されました。
目次
- 氷の下で見つかった生命体とは?
- 海氷下の生命が「気候」を動かす?
氷の下で見つかった生命体とは?
北極の海氷下は、暗く、極寒で、栄養も限られた「生命の砂漠」と考えられてきました。
特に、窒素(地球大気の約8割を占める元素)を利用できる生き物は、これまで「温暖な海」にしかいないとされてきたのです。
ところがコペンハーゲン大学など国際研究チームは、北極海の中央部やユーラシア側の海氷下で、想定外の「窒素固定細菌」の集団が生きていることを発見しました。
窒素固定とは、空気中や海水中の窒素ガスを、アンモニウムという生物が利用できる形に変換する重要なプロセスです。
これまで、この役割は「シアノバクテリア(藍藻類)」と呼ばれる光合成細菌が担ってきましたが、北極海で見つかったのは「非シアノバクテリア性ジアゾトロフ(non-cyanobacterial diazotrophs、NCDs)」と呼ばれる、まったく異なるタイプの微生物でした。
彼らは光合成をせず、太陽光のほとんど届かない氷の下で、ひっそりと生命を繋いでいたのです。
しかも研究チームが採取したサンプルでは、これらの細菌が窒素固定に必要な遺伝子セットをしっかり持っていることも確認されています。
これは「生命には過酷すぎる」と思われた環境にも、豊かな“食物網の起点”となる微生物たちが存在する可能性を示しています。
また、窒素固定の活性が特に高かったのは、海氷が溶けて「氷縁部」が広がるエリアでした。
地球温暖化の影響で北極海の氷が減少すれば、この未知の微生物たちがさらに勢力を拡大し、海洋の栄養循環や生物相にまで大きな変化をもたらすかもしれません。
海氷下の生命が「気候」を動かす?
こうした非シアノバクテリア性ジアゾトロフ(NCDs)の増加は、単なる学術的な発見に留まりません。
彼らが窒素を供給することで、海氷下や氷縁部の「藻類」の生産が促進される可能性があるのです。
藻類は、動物プランクトンや小魚を養う“海の食料工場”ともいえる存在で、食物連鎖の基盤を支えています。
さらに藻類が増えれば、彼らの光合成活動によって大気中の二酸化炭素(CO₂)がより多く吸収されることになります。
これは、気候変動における「炭素循環」の見積もりを見直す必要があることも意味します。
実際、研究チームは「北極海の海氷融解が、直接的または間接的に窒素固定を促進し、藻類増加→CO₂吸収増加→食物網の変化、といった連鎖的な影響を引き起こす可能性がある」と指摘しています。
ただし、生物システムは非常に複雑です。
藻類が増える一方で、他の環境要因が逆方向に働くこともあり得ます。
そのため、今後の気候モデルには北極の窒素固定という新たなプロセスを必ず組み込むべきだと研究者は強調しています。
実際、今まで北極海は「栄養不足で生産力の低い海」と見なされてきましたが、今回の発見によって、私たちが想像していた以上に多様でダイナミックな世界が氷の下に広がっていることが示されました。
参考文献
Important phenomenon discovered in the Arctic – could boost marine life
https://science.ku.dk/english/press/news/2025/important-phenomenon-discovered-in-the-arctic--could-boost-marine-life/
‘Impossible’ Life Found Beneath Arctic Ice Could Alter Climate Models
https://www.sciencealert.com/impossible-life-found-beneath-arctic-ice-could-alter-climate-models#:~:text=Researchers%20found%20that%20the%20fringes,and%20impacting%20the%20atmosphere%20itself.
元論文
Nitrogen fixation under declining Arctic sea ice
https://doi.org/10.1038/s43247-025-02782-4
ライター
千野 真吾: 生物学に興味のあるWebライター。普段は読書をするのが趣味で、休みの日には野鳥や動物の写真を撮っています。
編集者
ナゾロジー 編集部

