【東大】指輪型無線マウスを開発――電波を発しない仕組みで省エネ達成

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空中に浮かぶ仮想画面を、指先の動きだけで思いのまま操作する――そんなSFのような光景が、現実に近づいています。

日本の東京大学(UTokyo)を中心とする研究チームは、わずか0.000449ワットという超低電力で動作し、小さなバッテリーで約600〜1000時間(約1ヶ月以上)の連続使用が可能な指輪型マウス「picoRing mouse」を開発しました。

この指輪型デバイスは、長時間の使用でも疲れにくく、外出先や公共の場でも気軽にARグラスの仮想画面を操作できます。

指輪型デバイスは、いったいどのような仕組みで劇的な節電を実現したのでしょうか?

研究内容の詳細は2025年9月27日に『ACM Symposium on User Interface Software and Technology (UIST ’25)』にて発表されました。

目次

  • スマートリング普及のカギは『電池』だった
  • 指輪が『電波を出さず』に通信する仕組
  • 指輪型デバイスが私たちの生活を変える日

スマートリング普及のカギは『電池』だった

指輪型マウスは次世代の操作端末になる
指輪型マウスは次世代の操作端末になる / Credit:Ultra-low-power ring-based wireless tinymouse

「満員電車の中で、さりげなく空中の仮想画面を操れたら便利だろうな」――そんな未来を想像したことはないでしょうか。

スマートフォンの次にやってくると予測される、ARグラス(拡張現実メガネ)。

メガネ越しに、目の前の空間にデジタルの情報を重ねて表示するこの技術は、近年ますます進歩しています。

たとえば、街を歩きながら道案内を見たり、電車の中でニュースをチェックしたりといった使い方が考えられます。

とはいえ、ARグラスは見るだけのデバイスではありません。

表示された仮想画面をスクロールしたり、ボタンを押したりする必要があります。

けれど、電車内や街中で手を大きく動かすのはちょっと恥ずかしい。

さりげなく操作できるような仕組みが欲しいものです。

そこで注目されているのが指輪型のコントローラー、いわゆる「スマートリング」です。

スマートリングは、指に装着することで、微妙な指先の動き(マイクロジェスチャー)を検知します。

具体的には、人差し指につけたリングを、親指で少し動かすだけで、画面上のスクロールやクリックといった操作ができるようになります。

指先のわずかな動きで済むため、周囲から見ても目立ちません。

しかも、腕を動かさずに使えるので、長時間の使用でも疲れにくいのが特徴です。

机がなくても、キーボードやマウスが手元になくても、ARグラスを自由自在に操作できるのです。

まさにAR時代の「いつでもどこでも使えるマウス」として、大きな期待がかかっています。

指輪型マウスはARと相性がいい
指輪型マウスはARと相性がいい / Credit:Ultra-low-power ring-based wireless tinymouse

ところが、この便利そうなスマートリングには致命的な弱点がありました。

それはバッテリーがあまり持たないということです。

指輪型のデバイスはサイズが小さいため、搭載できるバッテリーもごく小さくなります。

そのため、少し長めに無線通信を使うだけで、すぐに電池切れを起こしてしまうのです。

たとえ省電力で知られるBLE(Bluetooth Low Energy)通信であっても、指輪からデータを送り続けると、電池はせいぜい1〜10時間しか持ちません。

結果としてユーザーは、頻繁に充電しなければなりません。

「いつでもどこでも使える」とは言い難く、使いたいときに電池が切れている、なんてことも日常茶飯事でした。

こうしたバッテリー問題が、指輪型マウスの普及を妨げる最大の壁となっていました。

そこで研究チームは、この弱点を克服するための発想を大きく転換しました。

従来の方法では、指輪側が自ら電波を飛ばして通信を行う必要がありました。

電波を飛ばすためには多くのエネルギーが要りますから、小さなバッテリーはすぐに力尽きてしまいます。

ならば、そもそも指輪側が自力で電波を出さなくても済む通信方法を考えればいい――。

研究者たちはこうした大胆なアイデアに挑戦したのです。

指輪からほとんど電力を使わずに情報を送り出す方法が、本当に実現できるのでしょうか?

まるで「空中から電気を取り出すような」都合のいい通信方法など、果たして可能なのでしょうか?

研究チームは、この難題に真正面から挑みました。

指輪が『電波を出さず』に通信する仕組

指輪が『電波を出さず』に通信する仕組
指輪が『電波を出さず』に通信する仕組 / Credit:ごくわずかな電力で動く指輪型無線マウスの開発に成功 ―日常空間でARグラスを目立たず半永久的に扱うコントローラに向けて―

では、指輪はどうやって離れたリストバンドに情報を送るのでしょうか?

普通、スマートリングやスマートウォッチなどのウェアラブルデバイスは、Bluetoothのような無線電波でデータを送ります。

ところが、電波を飛ばすにはけっこうなエネルギーが必要です。特に小型の指輪型デバイスにとっては、電波を飛ばすためのエネルギーは大きな負担となります。

そこで研究チームは発想を大胆に転換しました。

「指輪から電波を出さない通信」を実現したのです。

実はこの仕組みは、「指輪」と「リストバンド」の2つのパーツからなっています。

リストバンド側は、指輪に向かって微弱な磁界を発生させています。

一方の指輪側は、その磁界を「鏡」のように跳ね返します。

跳ね返す際、ただ反射するだけでなく、跳ね返る波の「周波数」をわずかに変えるのです。これを専門用語では「負荷変調」と呼びますが、イメージとしてはリストバンドが投げかけた声に対して、指輪がほんの少しトーンを変えてそっとささやくような感じです。

その微妙なトーンの変化を、リストバンド側がしっかり“通訳”してデータとして読み取るわけです。

こうすると指輪側は自ら大きな電波を出す必要がなくなり、使う電力は劇的に少なく済みます。

(a)システム図と(b)その回路図。 (c)分散コンデンサによる高感度なコイルの概要。
(a)システム図と(b)その回路図。 (c)分散コンデンサによる高感度なコイルの概要。 / Credit:Ultra-low-power ring-based wireless tinymouse

具体的にどれくらい省エネになったかというと、指輪の消費電力は最大で449マイクロワット(0.000449ワット)程度にまで抑えることに成功しました。

さらに、27 mAhの電池を使えば、1日あたり4~8時間使用のシナリオで、約600~1000時間の連続駆動が可能という試算が出ています。

面白いのは、この指輪が通信するときに使う独特の方法です。

普通、無線通信ではデジタルデータを「0か1」という2種類の信号で表しますが、この装置はそれを「6種類の周波数」に置き換えました。

指輪の中には、親指で転がせる小さなボール(マイクロトラックボール)と、それを読み取る磁気センサーが4つ入っています。

このボールを上下左右に動かしたり、押したりする動きを検知すると、指輪内の回路が決まった6種類の周波数のどれかに変換されます。まるでピアノの鍵盤のように、それぞれの指の動きに専用の音階(周波数)が割り当てられているのです。

リストバンド側はその周波数の違いを瞬時に区別して、「今、指輪がどんな操作をしたか」を正確に理解します。

この仕組みがあまりにうまく働いたので、研究チームも驚きました。通常、この種の磁界を使った通信方法では、デバイス間の距離が数センチを超えるとうまく通信できなくなります。

ところが今回は、設計を工夫した「分散コンデンサを備えた特殊なコイル」と、「バランスドブリッジ回路」という非常に鋭敏な読み取り装置を組み合わせることで、約14センチという距離でも安定して通信できました。

また、この通信方式では送信に使う電力も非常に少なく済んでいます。

では、本当に日常生活のような電磁ノイズ(電波・磁界雑音)が多い環境でもきちんと動くのでしょうか?

研究チームは実際に、電車の座席に座った状況や、人混みの中でスマホが多数使われている状況、さらには車を運転中の状況など、ノイズの多い環境でも実験を行いました。

その結果、条件を満たした実験環境で、SNR(信号対雑音比)が25を超えるという良好な値が確認されました。

つまり、この指輪型マウスは特定条件下では雑音環境下でも問題なく使える可能性があることが分かったわけです。

これにより、指輪型のコントローラーが本格的に普及するための大きな一歩になったと言えそうです。

指輪型デバイスが私たちの生活を変える日

指輪型デバイスが私たちの生活を変える日
指輪型デバイスが私たちの生活を変える日 / Credit:Ultra-low-power ring-based wireless tinymouse

もし、この超低電力な指輪型マウスが私たちの日常に溶け込んだら、どんな未来が待っているのでしょうか?

まず注目されるのは、ARグラスの使いやすさが劇的に向上する可能性です。

現在のARグラスは、たしかに映像を見せる技術としては優れていますが、「操作のしやすさ」に関してはまだまだ課題が残ります。

しかし、この軽量で目立たない指輪型マウスがあれば、指先だけのごく小さな動作で、スマートフォンのように快適にAR画面を操作できるようになるでしょう。

具体的には、飛行機や電車で自分だけに見える仮想のニュースや動画をひそかに楽しんだり、街中で人に気づかれることなくナビゲーションを操作したりといった、周囲を気にしなくて良い新しい「自由なデジタル体験」が可能になります。

さらに、今回のデバイスが持つ超低消費電力の特性は、ユーザーにとっても大きなメリットです。

頻繁な充電に煩わされることなく、長時間自然に使い続けることができるという安心感は、ARグラス普及の強力な後押しとなることでしょう。

まさに「ずっと身につけていられる」理想的なウェアラブル入力デバイスとして、私たちのデジタルライフに新しい価値を提供してくれそうです。

さらに、この指輪が皮膚にぴったりと密着して使えるという特性を生かし、心拍数やストレスの度合いなど健康状態をモニタリングするセンサーを組み込めば、将来の健康管理や医療の分野でも大きな可能性が開けます。

つまり、単なる「入力デバイス」から「健康モニター」も兼ね備えた、まさに「一石二鳥」のウェアラブル端末になりうるのです。

小さな指輪が私たちの生活を根本から変えてしまう日も、案外遠くないかもしれませんね。

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参考文献

ごくわずかな電力で動く指輪型無線マウスの開発に成功 ―日常空間でARグラスを目立たず半永久的に扱うコントローラに向けて―
https://www.t.u-tokyo.ac.jp/press/pr2025-10-01-003

元論文

Ultra-low-power ring-based wireless tinymouse
https://doi.org/10.1145/3746059.3747615

ライター

川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。

編集者

ナゾロジー 編集部

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