アルゼンチンのベノッツィ眼科研究所(Benozzi Ophthalmological Institute)で行われた研究によって、老眼を手術や老眼鏡に頼らず、1日2回の特別な点眼薬で改善できる可能性があることが示されました。
この点眼薬は、瞳孔(光を調節する目の穴)を小さくして近くの物がよく見えるようにする薬と、目の刺激を和らげる薬を組み合わせて作られています。
研究では、実際に目薬を使った多くの患者さんで、わずか1時間後に近くの文字を読む視力が大きく改善し、その効果が1年以上続くことも確認されました。
この新しい点眼薬の登場で、老眼鏡の面倒さや手術のリスクを避けたい中高年の人たちの生活が、今後大きく変わるかもしれません。
果たして本当に目薬だけで老眼を改善する時代がやって来るのでしょうか?
研究内容の詳細は2025年9月14日に『第43回ESCRS』にて発表されました。
目次
- 目薬で老眼を治す――なぜ今、この方法が注目されるのか
- 1時間で視力改善――点眼薬の驚くべき効果
- 目薬で老眼克服――その可能性と課題
目薬で老眼を治す――なぜ今、この方法が注目されるのか

年齢を重ねると、近くの文字がぼやけて見えにくくなりますが、これって少し不思議に感じませんか?
つい最近まで普通に見えていたスマートフォンの文字や本の小さな文字が、なぜ急に見えなくなるのか、不思議に思った人も多いでしょう。
この現象は「老眼」と呼ばれていますが、老眼というのは、人の目が年齢とともにピントを合わせる力を失うことによって起きる問題です。
若い頃は近くを見るときに目の中にある「水晶体」というレンズが柔軟に厚みを変えてピントを調節しています。
しかし、このレンズは年齢を重ねるとだんだんと硬くなり、思うように厚みを変えられなくなってしまいます。
その結果、近くのものにピントを合わせることが難しくなり、文字がぼやけてしまうのです。
多くの人が老眼になると老眼鏡を使うようになりますが、実際に老眼鏡を使ったことがある人ならよくわかるように、これは意外と面倒なものです。
まず、老眼鏡はいつも持ち歩かなければなりませんし、スマホを見るたびにバッグから取り出してかけたり外したりする手間もあります。
また、メガネを使うことに抵抗がある人もいますし、メガネをかけた自分の姿に抵抗感を抱く人も少なくありません。
一方で、老眼を根本的に解決する方法として、外科手術という選択肢もあります。
これは主に目の中のレンズ(水晶体)を人工のものに交換する手術ですが、確かに効果は高い反面、費用が高額になったり、手術そのものに一定のリスクが伴ったりするため、気軽に受けられるわけではありません。
特に中高年になると、持病や健康状態によっては手術が難しいというケースも珍しくありません。
そうなると、結局「メガネを使うのは嫌だけど、手術も受けられない」という人たちには、これまで有効な選択肢がほとんどなかったのです。
老眼というのは、実はそれほど簡単に解決できる問題ではありませんでした。
そこで最近、第三の道として注目され始めたのが、目薬(点眼薬)による新しい治療法の研究です。
点眼薬とは、目に直接薬を入れることで、目の働きを一時的に改善する方法です。
2021年には米国で老眼を改善するための処方点眼薬が初めて承認されるなど、この分野は非常に勢いよく進歩しています。
しかし、今回紹介する研究の目的は、単純に手術や老眼鏡を完全に置き換えることではありません。
むしろ、そうした従来の方法に加えて、もう一つ新しい「選択肢」を提供できないかという試みなのです。
具体的には、アルゼンチンの研究チームが開発した特殊な点眼薬を使い、「手術ほど大げさではないけれど、老眼鏡よりも便利で快適に生活できる方法」を探ろうとしたのです。
研究に使われた点眼薬は、ピロカルピンという瞳孔(目にある光を調節する穴)を小さくする薬と、ジクロフェナクという目の炎症を抑えて刺激や痛みを軽減する薬を組み合わせた特別なものです。
ピロカルピンは、カメラのレンズの絞りを狭めるようにして、ピントが合う範囲を広げる作用を持っています。
ジクロフェナクは、その際に起こりやすい目の不快感を抑える役割を果たします。
今回の研究で使用されたこの点眼薬は、もともとアルゼンチンの医師である故ホルヘ・ベノッツィ博士によって開発されました。
その薬を実際に患者さんたちに使ってもらい、本当に老眼の改善効果があるのかを確認したわけです。
果たして、そんな夢のような目薬は現実のものになるのでしょうか?
1時間で視力改善――点眼薬の驚くべき効果

今回の研究では、実際に老眼に悩む患者さんたちに特別な目薬を使ってもらい、本当に視力が改善するかを既存の研究などを参考に調べました。
調査を行ったのはアルゼンチンのブエノスアイレスにあるクリニックで、実際に通院していた老眼の患者さん766名(平均年齢55歳)を対象に蓄積されたデータが対象となりました。
この患者さんたちは、ピロカルピンとジクロフェナクという2種類の薬を配合した特別な点眼薬を使用しました。
「ピロカルピン」と「ジクロフェナク」という薬剤は、それぞれ目薬として昔からよく使われているものです。しかし、この2つの成分が最初から両方入った目薬として一般的に売られている商品は今のところ存在していません。現在知られているのは、研究施設や病院などが独自にそれぞれの目薬を混ぜ合わせて作り、患者さんに処方するという方法です。
使い方は、1日2回、朝と午後に目薬を差すのが基本で、見えづらさを特に感じた時には任意で3回目を追加することもできました。
点眼薬の効果を確かめるために、研究者たちは患者さんの視力を薬を使う前と、使った後1時間という短時間で比較しました。

結果は驚くべきもので、点眼薬を使ってからわずか1時間後、患者さんたちの「裸眼での近くを見る視力(裸眼近見視力)」が視力表を基準に、平均して約3.45行分も改善したのです。
(※近見視力表で読めた“文字の段(行)”が何段分小さくなったかを指します。近見視力表は、上から下へ行くほど小さい文字が並びます。)
視力表で約3.45行改善というのは、例えばこれまで新聞やスマホの小さい文字がぼやけていた人が、1時間後にはその小さな文字がスッキリくっきりと見えるようになったということです。
これは、日常生活を大きく変える可能性のある、とても大きな改善と言えるでしょう。
また、この目薬には「用量依存性」という現象が見られました。
「用量依存性」という言葉は聞き慣れないかもしれませんが、簡単に言えば薬の濃度が高くなるほど効果が強くなる、ということです。
この研究では、ピロカルピンという薬の濃度を1%、2%、3%の3段階に分けて比較しました。
その結果、ピロカルピン1%の濃度を使ったグループでは、患者さんの99%が視力表で2行以上改善していました。
さらに、ピロカルピンの濃度が高くなるほど改善する割合が大きくなることも分かりました。
濃度が2%の場合、患者さんの約69%が視力表で3行以上の改善を示し、3%ではさらに高く、約84%の患者さんが3行以上改善しました。
つまり、薬の濃度を患者さんの状態に合わせて調整すれば、より多くの患者さんが満足できる可能性がある、ということです。
この研究のもう一つの重要なポイントは、目薬の効果がどれだけ長続きするかを調べたことです。
視力が改善したとしても、すぐに元に戻ってしまってはあまり役に立ちません。
そこで研究チームは、患者さんたちがこの目薬を使い始めてからどのくらい長い期間、視力の改善が保たれたのかを詳しく調べました。
その結果、患者さんの視力改善効果は中央値で434日、つまり約1年と2か月ほども続いていました。
さらに、なかには観察期間いっぱいの2年間、良好な視力を保ち続けた患者さんもいたのです。
これは、単なる一時的な効果ではなく、継続的な改善が期待できる可能性を示していると言えるでしょう。
また、使用してから12か月後に行った調査では、約83%の患者さんが良好な近見視力を維持していました。
ただ、この調査の時点で患者さんがメガネを使ったかどうかなどの詳しい条件は報告されていませんので、その点には注意が必要です。
もちろん、新しい薬を使う時に一番気になるのは、安全性です。
研究では、副作用についても注意深く調べました。
2年間の調査期間中には、眼圧(眼球内の圧力)が大きく上昇することや、網膜剥離(目の中の膜がはがれる病気)といった重い副作用は一例もありませんでした。
報告された副作用の多くは、一時的に視界が薄暗く感じること(32%)、目薬を差した時に少し刺激を感じること(3.7%)、そして軽い頭痛(3.8%)などでした。
これらの症状はいずれも軽くて短期間で消えるもので、比較的安全に使える可能性が高いことが分かりました。
このような結果を受けて、研究者たちはこの目薬が手術や老眼鏡を完全に置き換えるものではなく、あくまで「新しい選択肢」のひとつだと強調しています。
老眼鏡を完全に使わなくてもよくなるということは保証されていませんが、これまでメガネや手術しか選択肢がなかった多くの人たちにとって、日常生活の不便を大きく軽減できる可能性があるのです。
まさに、老眼治療の可能性を広げる新しい道筋が、この研究によって初めて濃度ごとのデータとして具体的に示されたと言えるでしょう。
目薬で老眼克服――その可能性と課題

老眼というのは、いずれほとんどの人が経験する目の老化現象であり、これまでは老眼鏡か手術という選択肢が中心でした。
実際、もし目薬を1日に2回差すだけで新聞やスマホの細かな文字がくっきり見えるようになれば、中高年の生活は間違いなく快適になるでしょう。
老眼鏡を常に持ち歩いたり、かけ外しを繰り返したりする手間や煩わしさから解放されることは、多くの人にとって大きな喜びになるはずです。
ただ、この目薬があれば老眼鏡が要らなくなるという極端な話ではありません。
研究のリーダーであるベノッツィ医師は、この点眼療法を「老眼鏡への依存を減らし得るが、すべての人で眼鏡が不要になるわけではない」と位置づけ、「手術の置き換えではなく、患者の状態に合わせて使い分けられる“個別化可能な”非侵襲の選択肢」として提示しています。
とはいえ、今回の研究が大きな希望をもたらしたこともまた確かです。
現実には老眼鏡を使いたくないけれど手術も不安で受けられない、という人が大勢います。
そんな中で、点眼薬というシンプルで手軽な方法が老眼治療の新しい選択肢として登場したのですから、この成果の意味は決して小さくありません。
一滴の目薬が、老眼鏡に頼りきりだった私たちの日常を大きく変える――そんな未来が、今まさに始まりつつあるのかもしれません。
元論文
Dose-Dependent Efficacy And Safety Of Pilocarpine-Diclofenac Eye Drops For Presbyopia: A Real-World Single-Center Study
https://pag.virtual-meeting.org/escrs/escrs2025/en-GB/pag/presentation/570375
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部