「その水に触れた者は、メデューサに睨まれたがごとく、石化してしまう」
これは、東アフリカ・タンザニアにある「ナトロン湖(Lake Natron)」という湖にまつわる有名な噂です。
この噂は、2013年にカメラマンのニック・ブラント(Nick Brandt)氏が公開した一連の写真により、世界中に広まりました。
その写真には、ナトロン湖のほとりで、生きた姿をとどめたまま石化した動物たちが写されていたのです。
なぜ、動物たちは石化してしまったのか? ナトロン湖の水には、一体どんな力があるのか?
さらに、この湖に人が落ちてしまったらどうなるのか?
ここでは、ナトロン湖に関する秘密について順に紐解いていきます。
目次
- ナトロン湖は「強アルカリ性の塩湖」
- 動物が「石化」する噂の真相
- ナトロン湖に「人が落ちる」とどうなる?
ナトロン湖は「強アルカリ性の塩湖」
ナトロン湖は、タンザニア北部のアルーシャ州にある湖です。
この地域は、標高の低い半乾燥域にあたり、日中の気温はしばしば40℃を超え、年間800mmに満たない降雨のほとんどが12月〜5月の間に降ります。
ナトロン湖の大きさは降雨量によって変化しますが、最大で長さ57km、幅22km、水深は深い場所でも3mほどと湖としては比較的浅いです。
水の流出口は地表・地下ともに存在せず、水量の減少は蒸発によってのみ起こります。

映像でこの湖を見たとき、まず目を引くのが真っ赤な湖水ですが、これは塩分を好む藍藻の色です。
アオコの大量発生で湖が緑色に染まるのと似たような状況で、ナトロン湖は塩分濃度が上昇すると藍藻の大量発生で赤く染まるのです。
ナトロン湖の水は少なくとも8%の塩化ナトリウムを含んでおり、さらに強アルカリ性でその度合いは有害なアンモニアとほぼ同じ、pH9~10.5に達します。
水質がこの様に特徴的な原因は、湖の南に位置する「オルドイニョ・レンガイ( Ol Doinyo Lengai)」という火山にあります。
オルドイニョ・レンガイは、カーボナタイト (火成炭酸塩岩)という炭酸ナトリウムを多分に含んだ溶岩を噴出する、地球上で唯一の火山です。
このカーボナタイトを長い年月をかけて吸収したことで、ナトロン湖の水は強アルカリ性となったのです。

また、湖水が蒸発するたびに、周囲の塩性の土壌から継続的に塩分が流入することも大きな要因です。
この火山の影響で、ナトロン湖には熱水噴出孔もあり、水温は最大で60℃に達することがあります。
これは人間なら火傷してしまう水温です。
まさに地獄のような湖ですが、さらに驚くべきは、触れた動物を石化させるという噂が立っていることです。
しかし、本当にそんなことはあり得るのでしょうか? 一体ナトロン湖に触れた動物は、どのように「石化」するというのでしょうか?
動物が「石化」する噂の真相
世界的にナトロン湖が石化する湖として有名になったのは、動物写真家のニック・ブラント氏の報告がきっかけです。
ブランと氏は2011年、東アフリカの失われつつある野生動物をテーマにした写真集『Across the Ravaged Land』(2013年出版)の撮影でナトロン湖を訪れた際、驚愕の光景を目にしました。
ナトロン湖のほとりに、生きたまま石になったかのような動物たちの遺骸が散見されたのです。
その時のことをブラント氏は、こう述べています。
「初めてその光景を見たとき、私は完全に圧倒されました。そしてすぐに、『まるで生きているかのような動物たちの姿をカメラに収めたい』というアイデアが浮かんだのです」
ブラント氏は、地元の人たちと協力し、約3週間かけて最も状態のよい標本を集めました。
そうして撮影されたのが、以下の写真たちです。
「動物そのものは発見されたときのままであり、私は遺骸を湖面や枝の上に置いただけです」と、ブラント氏は言います。
この動物たちはどのような経緯で石化したのか、正確なプロセスまではわかっていません。
しかし、遺骸には鳥類やコウモリが多いことから、鏡のような湖面の上を飛んでいる間に、方向感覚を失い、墜落した可能性が指摘されています。
その後、湖水の温度や強アルカリ性のために表皮がボロボロになって、そのまま水中で命を落としたのでしょう。
ところが、塩分濃度が高いため腐敗が止まり、塩漬けのような状態で全身がきれいに保存されたと見られます。
そして、湖水の蒸発により遺骸が地表に露出し、乾燥することで、カリカリの石化したような姿になった、というわけです。
湖名の「ナトロン」とは、古代エジプト人がミイラをつくる際に乾燥剤として使った化合物に由来しています。
それでは、ナトロン湖に人が落ちると、どうなるのでしょう?
先の動物たちと同様に、石化してしまうのでしょうか。
ナトロン湖に「人が落ちる」とどうなる?
結論から言いますと、人が落ちても石化することはないでしょうが、笑い話ではすまないケガを負う可能性はあります。
まず、水温がかなり高いので、火傷は免れられません。
さらに、塩分濃度が非常に高いため、もし皮膚に切り傷などがあれば、地獄のようにしみるでしょう。
傷口に塩を塗り込む様子を想像してください。
また、pHは降雨量によって変化しますが漂白剤のように非常に高いため、最悪の場合腐食性の火傷を負うことになります。
幸いなことに、これまで素っ裸でナトロン湖に落ちた人はいませんが、2007年に、動物写真家のグループがヘリコプターで湖に墜落したことがあります。
その時について、同乗していたカメラマンのベン・ハーバートソン(Ben Herbertson)氏は、次のように話しています。
「機体が湖面に衝突し、私たちは水中に投げ出されました。そして次の瞬間、湖水により、目に焼けるような痛みが走ったのです。
また、周囲は30分もすれば脱水症状を起こすほど蒸し暑く、額から汗が流れ落ちて、また塩分が目に入り込んできました」
この事故で死者は出ておらず、ハーバートソン氏らは、地元のマサイ族によって水から引き上げてもらったそうです。

こうした過酷な環境のため、ナトロン湖に近づく動物はほとんどいません。
しかしその中で、フラミンゴの群れだけが湖に適応し、水中を悠々と泳いでいるのです。
フラミンゴの皮膚は非常に丈夫で、強アルカリ性の水にも耐えられます。
また、捕食者が近寄りたがらないことや、狩猟の禁止区域になっていることも手伝って、フラミンゴの人気スポットとなっているようです。
ただ、現在ナトロン湖は砂漠化の影響で縮小を続けており、いずれはこの地域も草原に変わってしまうと予想されています。
けれどそれまでは、この多くの生き物にとって地獄のような湖は、フラミンゴには「楽園」として存在し続けるでしょう。
参考文献
What Would Happen If You Jumped Into Lake Natron? You Won’t Turn To Stone, But It Wouldn’t Be Fun
https://www.iflscience.com/environment/what-would-happen-if-you-jumped-into-lake-natron-you-wont-turn-to-stone-but-it-wouldnt-be-fun/
This Alkaline African Lake Turns Animals into Stone
https://www.smithsonianmag.com/science-nature/this-alkaline-african-lake-turns-animals-into-stone-445359/
ピンク色の湖、ナトロン湖・タンザニア(JAXA)
https://www.eorc.jaxa.jp/earthview/2009/tp090311.html#:~:text=%E3%81%93%E3%81%AE%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%B3%E6%B9%96%E3%81%AF%E9%95%B7,%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%82%8B%E3%81%A8%E3%81%84%E3%82%8F%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82
ライター
大石航樹: 愛媛県生まれ。大学で福岡に移り、大学院ではフランス哲学を学びました。 他に、生物学や歴史学が好きで、本サイトでは主に、動植物や歴史・考古学系の記事を担当しています。 趣味は映画鑑賞で、月に30〜40本観ることも。
編集者
ナゾロジー 編集部