人類の進化を語るとき、必ずと言っていいほど登場するキーワードが「大きな脳」と「器用な手」です。
大きな脳によって複雑な文化や道具作りが可能になり、器用な手によってそれを実際に形にできる。
しかし、この2つはそれぞれ別々に進化したのではなく、脳の大きさと「ある体の部位の長さ」が密接に関わっていることが最新の研究で明らかになりました。
その「ある部位」とは親指だったのです。
研究の詳細は2025年8月26日付で科学雑誌『Communications Biology』に掲載されています。
目次
- 親指と脳の意外な関係
- 人間は本当に特別なのか?
親指と脳の意外な関係

英レディング大学(University of Reading)とダラム大学(Durham University)の研究チームは、95種類の霊長類(現生と絶滅化石を含む)のデータを比較し、脳の大きさと手の形態の関係を調べました。
その結果浮かび上がったのは、「脳が大きい霊長類ほど親指が長い」という関連性でした。
私たち人間は、道具を精密に扱える“特別な手”を持つと長いあいだ考えられてきました。
実際、人間の親指は他の類人猿よりも長く、物をしっかりつかんだり細かく操作したりするのに適しています。
しかしチームが系統進化を考慮した統計モデルで分析すると、この傾向は人間だけの特別なものではなく、霊長類全体に共通する進化パターンであることがわかりました。
つまり、親指が長いからこそ脳が大きくなり、脳が大きいからこそ手先をより器用に動かせる――この両者は切っても切り離せない関係にあると考えられるのです。
特に興味深いのは、脳の中でも「小脳」ではなく、大脳新皮質との関係が強く見られたという点です。
大脳新皮質は「感覚」や「運動の計画」「行動の調整」に関わる領域であり、まさに手先の精密な操作に直結しています。
これは「大きな脳=知能の高さ」ではなく、「大きな脳=より高度な手の使い方ができる」という進化的なつながりを示しているのです。
人間は本当に特別なのか?
では、人類はやはり“親指が長くて脳も大きい特別な存在”なのでしょうか?
研究者たちはこの点についても詳しく検討しました。
解析の結果、現生人類も含め多くのヒト族(ホミニン)は、他の霊長類と比べて親指が長い傾向にあるものの、脳との関係性の中では決して例外的ではないことが判明しました。
つまり、人間は確かに親指も脳も大きいですが、それは「全体的な進化の流れに沿った結果」にすぎないのです。
ただし一例だけ特異な存在がありました。
それが約200万年前に存在したアウストラロピテクス・セディバです。
この種は、脳が比較的小さいにもかかわらず、予想以上に長い親指を持っていました。
研究者は、この特徴が「木登りと地上生活を行き来する独特なライフスタイル」と関係していたのではないかと考えています。
さらに注目すべきは、この研究が「親指の長さだけで道具使用の有無を判断できない」と結論づけた点です。
道具を使うかどうかにかかわらず、親指の長さと脳の大きさの関係は一貫して霊長類全体に見られたからです。
つまり、道具文化を支えたのは親指だけではなく、手全体の骨格や筋肉、そして脳のさまざまな領域が複合的に進化した結果だといえます。
親指を見つめることは、私たちの進化の物語を見つめることでもあります。
小さな物をつまんだり、道具を操ったりするたびに、そこには数千万年にわたる「脳と手の共進化」の歴史が宿っているのです。
参考文献
Primates with longer thumbs tend to have bigger brains, research finds
https://www.theguardian.com/science/2025/aug/26/primates-with-longer-thumbs-tend-to-have-bigger-brains-research-finds
元論文
Human dexterity and brains evolved hand in hand
https://doi.org/10.1038/s42003-025-08686-5
ライター
千野 真吾: 生物学に興味のあるWebライター。普段は読書をするのが趣味で、休みの日には野鳥や動物の写真を撮っています。
編集者
ナゾロジー 編集部