アメリカのジョンズ・ホプキンス大学医学部(JHU)などで行われた研究によって、患者から多くの苦情を受ける医師ほど、製薬会社や医療機器メーカーなど業界から研究費ではない高額な金銭的支払い(講演料や接待など)を受け取りやすいという驚くべき関連性が明らかになりました。
これらはどちらか1つだけでも危険な要因ですが、新たな研究ではこの「2つの危険信号」が同じ医師に重なる傾向が示されたのです。
苦情の多さと業界マネーの多額受領──この二つの現象は偶然なのか、それとも医師の行動や価値観に共通する原因が潜んでいるのでしょうか?
研究内容の詳細は2025年8月5日に『JAMA Network Open』にて発表されました。
目次
- 医師の評判と業界マネーの知られざる関係
- 苦情の多い医師は業界からお金をもらいやすい
- なぜ苦情の多さともらうお金が相関するのか?
医師の評判と業界マネーの知られざる関係

医師には、患者の健康と幸せを第一に考え、公平な医療を行うことが求められています。
しかし現実には、一部の医師が患者に対して適切でない対応をして苦情を受けたり、製薬会社から高額な謝礼や贈り物を受け取ったりすることがあります。
前者のような苦情は、患者との信頼関係を壊し、医療ミスや訴訟のリスクを高めてしまいます。
後者は、医師の判断にお金や利益が影響する「利益相反(コンフリクト・オブ・インタレスト、COI)」という問題を生むことになります。
たとえば、患者からの苦情が多い医師は、苦情のない医師と比べて、将来に医療ミスで訴えられるリスクが約3倍になるという研究もあります。
一方、アメリカでは2014年から、医師と製薬会社などとの金銭的な関係を明らかにする「Open Payments(オープン・ペイメンツ)」という公開システムが始まりました。
この制度では、製薬会社や医療機器メーカーが医師や病院に支払ったお金の情報を毎年公開しています。
2015年から2023年の間に、アメリカ国内の医師や病院が受け取った金額の合計は728億ドルで、そのうち研究とは関係ない一般的な謝礼(講演料や相談料、食事代、旅行費など)は223億ドルにものぼりました。
このような背景から、「患者からの苦情の多さ」と「企業からの支払いの多さ」という2つの問題の関連性が疑われるようになってきました。
あえて簡易な表現をとれば、「評判の悪い医者は研究費ではない多額のお金を企業から受け取りる傾向があるかどうか」が焦点になってきたのです。
そこでアメリカのジョンズ・ホプキンズ大学とヴァンダービルト大学の研究チームは、大規模な調査を行い、2つの関連性を調べることにしました。
苦情の多い医師は業界からお金をもらいやすい

今回の研究では、アメリカのさまざまな地域で患者からの苦情を記録する「PARS」というシステムを導入している医療機関に所属する医師の記録が調べられました。
対象となったのは71,944人の医師で、2015年7月から2020年6月までの5年間に集められたデータをもとに分析されました。
研究では、医師に対して寄せられた「望まれざる患者からの苦情(UPC)」の件数や深刻さを点数化した「PARSインデックス」と呼ばれるスコアを使いました。
また、同じ期間に各医師が製薬会社や医療機器メーカーなどから受け取った一般的な支払い(研究費以外の講演料や食事、贈り物など)も調べられました。
それぞれの医師について、もっとも高かったPARSインデックスと、もっとも多く受け取った年の支払い額に注目して、両者の関係を調べました。
PARSインデックスは「0(苦情なし)」「1〜20」「21〜50」「51以上」の4段階に、支払い額は「0ドル」「1〜4,999ドル(約50万円未満)」「5,000ドル以上(約50万円以上)」の3段階に分けられました。
アメリカの保健福祉省では、年間5,000ドルを超える支払いがあると「重要な経済的利害関係がある」とされています。この研究でもその基準が使われました。
調査結果によると、全体の約68%の医師が業界から何らかの支払いを受け取っており、そのうち11%は年間5,000ドル(約75万円)を超える高額な支払いを受け取っていました。
また、少なくとも1件の苦情があった医師は43.1%、苦情がなかった医師は56.9%でした。
ここで重要なのは、「患者からの苦情」と「業界からの支払い」が両方とも多い医師が実際に存在していたことです。
たとえば、年間5,000ドル以上の支払いを受け取っていた医師のうち約54%は、患者から1件以上の苦情を受けていました。
さらに、苦情の件数が多い傾向は、受け取った金額が多い医師ほど強く表れていました。
たとえば、最も高いPARSインデックス(51以上)を持つ「問題の多い医師」は、高額な支払いを受け取っていたグループの約6.9%を占めていましたが、まったく支払いを受けていない医師の中では3.1%にとどまりました。
統計の計算によると、もっとも苦情が多い医師は、苦情がなかった医師に比べて、高額な支払いを受け取っているオッズが約1.7倍であることがわかりました。
この結果は、性別や年齢、専門分野、勤務している地域や病院の種類(大学病院かどうか)などを考慮しても変わりませんでした。
実際には、男性医師は女性医師よりも1.9倍ほど高額な支払いを受けやすく、大学病院以外の医師もやや多く支払いを受けていました。
つまり、今回の大規模な調査から、「苦情が多い医師ほど、業界からのお金を多く受け取っている」という傾向がはっきりと見えてきたのです。
なぜ苦情の多さともらうお金が相関するのか?

患者の苦情と業界からの謝礼という、一見無関係にも思える二つの要因が結び付いた今回の結果は、医療の現場に大きな示唆を与えます。
医師にとって患者の信頼を損ねることと、経済的な利害関係で公正さを損なうことはどちらもプロ意識に反する重大な問題ですが、この研究は一部の医師がその二重のリスクを同時に抱えている可能性を示しました。
論文では、患者からの苦情と業界からの支払いが同じ医師に多く見られる理由として、偶然ではなく共通の要因がある可能性を示唆しています。
著者らは、自分の利益を患者の利益より優先するような医師は、患者への配慮を欠いて苦情を招きやすく、同時に業界からの金銭的な誘いにも応じやすいと述べており、この2つは「同じコインの裏表」のような現象だとしています。
また、苦情の多さも利益相反の多さも、いずれも職業倫理や専門職としての規範意識の低下を示すサインと考えられています。
あえて極論すれば、「患者を泣かせて自分と業界を笑わせる医師」が存在する可能性があるわけです。
こうした二重リスクを持つ医師の存在は、医師個人の倫理観だけでなく医療界全体のプロ意識や透明性がこれまで以上に問われる状況だと考えられます。
【コラム】医師に贈り物をした業界は何を得ているのか?
これまでの研究を見てみると、製薬会社や医療機器メーカーなどの業界は、医師にお金や贈り物をすることではっきりとした見返り(リターン)を得ていることがわかってきました。それは、お金を渡した企業の薬や医療機器が使われることが多くなる、という現象です。たとえばある研究では、医師が企業から提供された1回の食事(多くは20ドル未満)だけでも、その企業の薬を処方する割合が上がることがわかりました。とても小さな金額でも効果があったという点が驚きです。つまり、こうした支払いは、少ないお金でしっかり効果が出る販促手段になっている可能性があります。また、業界から支払いを受けている医師ほど、値段が高いブランド薬を選ぶ傾向があり、安いジェネリック薬ではなくなることで医療費が高くなる心配もあると指摘されています。しかし、メーカーにとっては高い薬が選ばれることで、売上や利益が増えるというメリットがあります。ほかにも、昔からある印象的な研究では、企業が旅費などを出して行った学会イベントに医師が参加したあと、その企業の薬の使用がはっきり増えたという結果も出ています。つまり業界のねらいは、「1回だけ買ってもらう」ことではなく、「現場で日常的に使ってもらう」ことにあるのです。一度医師が使い慣れれば、その後も続けて使われる可能性が高くなり、企業にとっては長く利益が見込めるわけです。使い慣れるという点では医療機器においても同様でしょう。今回の研究も含め、こうした研究の多くは、医師の行動と支払いとの相関関係を示すものであり、「確実に影響した」とまでは言えないことに注意が必要です。それでも、国や地域が違っても同じような結果が何度も出ていることや、薬の売上やシェア、価格の組み合わせなど業界が得る利益につながる仕組みも十分に考えられるため、社会の中でこの問題をどうするかを考える動きが続いています。
では、私たちはこの問題にどう向き合えばよいのでしょうか?
研究の著者らは、まず医師と企業の経済的な関係を厳正に精査・管理する利益相反管理の重要性を強調しています。
支払いの開示徹底や高額な謝礼の制限など制度面の透明性向上は、患者の信頼を守る上で欠かせません。
そしてそれと並行して、患者から苦情が多い医師に対しては同僚医師からの段階的介入といった“人間系”のアプローチも導入すべきだと示唆しています。
実際、苦情リスクの高い医師に対し同僚がフィードバックを行う段階的介入モデルが取られたところ、その後の苦情件数や医療過誤訴訟のリスクを減少させ、プロフェッショナリズムの向上に効果を上げたとされています。
こうした人間による監督・指導と組織的な利益相反管理の双方からの対策によって、医師が患者本位の姿勢を維持できるよう支援することが重要です。
医療における最優先事項はあくまで患者の幸福と安全であり、その信頼を損なうような要因は二重であれ何であれ、見過ごすことはできません。
今回の研究は、医療従事者自身と社会全体に対して、医師の倫理と責任について改めて考える機会を突き付けていると言えるでしょう。
元論文
Unsolicited Patient Complaints and Industry Payments for US Physicians
https://doi.org/10.1001/jamanetworkopen.2025.26643
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部