「雄」のヤドカリが、ある寄生フジツボに取り憑かれると体つきまで「雌」のように変わってしまう――そんな驚きの現象が詳細に調査されました。
この寄生性のフジツボに取り付かれた雄は体の雄的な特徴が失われ、代わりに通常は機能せず痕跡的にしか存在しない“卵を抱えるための脚(第2腹肢)”が雌のように明確に発達します。
神奈川大学、東北大学、東京理科大学、広島大学の共同研究グループは、この寄生虫による「形態的雌化」が実際に起こることを複数のヤドカリと寄生虫の組み合わせで実証し、組み合わせによってその“雌化の度合い”が異なることを明らかにしました。
しかし寄生フジツボはなぜ宿主の体をここまで劇的に変化させるのでしょうか?
研究内容の詳細は2025年6月5日に『Zoological Letters』にて発表されました。
目次
- 寄生虫 vs. 宿主:「性を操る」驚異の進化ゲーム
- 寄生虫に操られたヤドカリの性別はこう変わる
- 寄生虫が宿主を操るメカニズム――ホルモンと神経の謎を追う
寄生虫 vs. 宿主:「性を操る」驚異の進化ゲーム

寄生虫というと、どんなイメージを持つでしょうか?
なんとなく気味が悪い、不気味な生き物という印象かもしれません。
実際に自然界では、寄生虫は他の生き物の体を利用して、巧みに自分の繁殖や生存に役立てています。
中には、宿主の体を乗っ取るように操り、その生き物の形や行動まで自分の都合に合わせて変えてしまう恐るべき寄生虫もいるのです。
そうした寄生虫の代表例として、海の生き物に寄生するフクロムシという寄生性のフジツボの仲間がいます。
フクロムシは、ヤドカリやカニ、エビなどの甲殻類に寄生し、その体内に根のような細い組織を伸ばして、宿主が持つ栄養やエネルギーを横取りします。
そして、宿主が本来繁殖に使うはずだったエネルギーまで奪い取り、自分自身の繁殖に回してしまうのです。
つまり、宿主の繁殖機能を強制的にストップさせる「寄生的去勢」を行う寄生虫なのです。
しかし、フクロムシの影響は、単なる生殖機能の停止だけにとどまりません。
驚くべきことに、宿主が雄の甲殻類の場合には、その体をまるで雌のように作り変える「形態的雌化」という現象を引き起こします。
ヤドカリを例に挙げると、通常、雄のヤドカリは雌よりも大きくて頑丈なハサミ脚を持っていますが、フクロムシに寄生されると、そのハサミ脚は雌のように小さくなってしまいます。
さらには、通常は雄では痕跡的でほぼ存在しない「第2腹肢」という卵を抱えるための器官が明確に発達してくることもあります。
つまり、雄のヤドカリが寄生虫によって体の作りそのものを雌に近づけられてしまうという驚くべき現象が起きているのです。
また、他の甲殻類の研究では、フクロムシに寄生された雄のカニが、自分の子どもを世話するかのように寄生虫の卵嚢を丁寧にお手入れするような行動が観察されています。
これはまるで、寄生虫が宿主の「心」まで支配してしまったかのように見えます。
ただし、ヤドカリに関しては、まだ行動の変化は詳しく調べられていません。
本当にヤドカリの心まで寄生虫が操っているのか、あるいは単に見た目だけが雌化しているのかは今後の研究が待たれるところです。
こうした現象は以前から知られていましたが、これまでは特定のヤドカリとフクロムシの組み合わせに限った観察が主流でした。
そのため、「どの種類のフクロムシが、どのヤドカリに寄生すると、どの程度の雌化を引き起こすのか?」という点について、詳しく比較した研究はありませんでした。
そこで今回、神奈川大学、東北大学、東京理科大学、広島大学の共同研究グループは、このフクロムシとヤドカリの関係をより深く理解するために、北海道と千葉の異なる地域で見られる複数種のヤドカリとフクロムシに注目しました。
どの組み合わせでより強く宿主を雌化させるのか、フクロムシが宿主を操る力に差はあるのかを調べることにしました。
果たして寄生によってメス化の度合いは変るのでしょうか?
寄生虫に操られたヤドカリの性別はこう変わる

寄生するフクロムシの組み合わせによって、どれほどメス化の度合いは変わるのでしょうか?
謎を解明するため、研究者たちはまず北海道と千葉県の2つの地域に赴き、現地の海岸でヤドカリを採集しました。
北海道の小樽市(朝里町)で見つけたのは「ケアシホンヤドカリ」、千葉県の南房総市(千倉町)では「ホンヤドカリ」という種類です。
これらのヤドカリはどちらの地域でも、フサフクロムシ(Peltogasterella gracilis)やナガフクロムシ(Peltogaster属の一種)という2種類のフクロムシに寄生されていました。
次に研究者たちは、寄生されていない雄のヤドカリと、フクロムシに寄生されてしまった雄のヤドカリを注意深く選び出しました。
寄生されているかどうかは、ヤドカリの体外に袋状に飛び出たフクロムシの卵嚢(エクスルナ)の存在によって区別できます。
これらを研究室に持ち帰り、顕微鏡やデジタル計測器を用いて詳しく体を観察しました。
具体的に研究者たちが注目したのは2つの特徴でした。
1つは「第2腹肢」と呼ばれる脚の有無です。
これは本来、雌のヤドカリが卵を抱えるために発達させる脚で、通常の雄のヤドカリでは小さく痕跡的にしか存在しません。
フクロムシに寄生されることで、この「第2腹肢」が雌のように明確に伸びていれば、それがメス化のサインとなります。
もう1つはヤドカリの右側にある大きなハサミ脚のサイズです。
雄のヤドカリは通常、メスよりもハサミ脚が立派で大きい傾向がありますが、フクロムシに寄生されるとハサミ脚が小さく縮小してしまうことが知られています。
つまり、このハサミ脚が小さくなっていればいるほど、寄生によるメス化が進んでいることになります。
研究者たちはこれらの特徴を詳しく測定して、未寄生の雄ヤドカリと寄生された雄ヤドカリを比較しました。
そして、その比較から非常に興味深い結果が明らかになりました。
まず、「第2腹肢」については、どちらの地域のヤドカリでも、一部の寄生された雄の個体で明確な発達が確認されました。
つまり、本来は雌だけが持つはずの卵を抱える脚が、雄のヤドカリにもはっきりと伸びていたのです。
特に、フサフクロムシに寄生された雄のヤドカリにおいては、この脚が非常に高い頻度で発達していました。
これは、フサフクロムシが宿主の体を雌のように作り変える力が非常に強いことを示しています。
次に、ハサミ脚のサイズを調べると、北海道のケアシホンヤドカリではフサフクロムシに寄生された雄のハサミ脚が、寄生されていない雄と比べて明らかに小さくなっていました。
一方、ナガフクロムシに寄生された場合は、ハサミ脚のサイズに明確な変化は見られませんでした。
ところが、千葉県のホンヤドカリでは、フサフクロムシでもナガフクロムシでも、どちらに寄生されてもハサミ脚が未寄生の雄に比べて明らかに小さくなり、雌に近い姿になっていたのです。
またさらに詳しく見ると、フサフクロムシに寄生された個体を両地域で比べた場合、ホンヤドカリのほうがケアシホンヤドカリよりも、ハサミ脚の縮小度合いが顕著であることが分かりました。
つまり、同じ寄生虫にやられた場合でも、宿主となるヤドカリの種類によって、メス化の進み方に違いがあることが示されたのです。
このように、寄生虫と宿主の種類の組み合わせによって、宿主がどの程度雌化されるかが大きく変わることを、世界で初めて具体的な数字で示すことができたのです。
しかし、なぜ寄生虫と宿主の組み合わせによって雌化の程度にこんなに差が出るのでしょうか?
この理由には、一体どのような背景やメカニズムが隠されているのでしょうか?
寄生虫が宿主を操るメカニズム――ホルモンと神経の謎を追う

今回の研究によって、フクロムシという寄生虫が宿主であるヤドカリの雄を、まるで雌のような体つきに作り変えてしまうことがはっきりと示されました。
しかも、どの種類のフクロムシが寄生するか、またどのヤドカリに寄生するかによって、この雌化の程度が大きく異なる可能性も明らかになったのです。
では、一体なぜこのような不思議な現象が起きるのでしょうか?
寄生虫が他の生き物の体を自分の思い通りに操るというのは、まるでSFのような話に聞こえますが、実際に自然界ではよく見られる現象なのです。
まず考えられるのは、フクロムシがヤドカリの体内でホルモンや神経の働きを変えている可能性です。
生き物の性別や体の形はホルモンによって制御されていますから、寄生虫がホルモンのバランスを崩すことで雄が雌のような体に変わることは十分に考えられます。
実際、これまでの他の甲殻類の研究では、フクロムシが宿主のホルモンバランスを変化させている可能性が報告されています。
しかも、ホルモンだけでなく、宿主の脳や神経細胞の働きまで変化させ、行動まで操るケースも知られています。
たとえば以前の研究ではフクロムシに寄生されたカニでは、本来雌が行う「卵の世話」のような行動を、雄が寄生虫の卵嚢に対してとることことが示されています。
これはまるで寄生虫が宿主の「心」までコントロールしているようにも見えますが、ヤドカリではまだ行動がどこまで変化するのか十分に解明されていません。
また、今回の研究で特に面白い結果は、同じ寄生虫でも寄生するヤドカリの種類が違うと、メス化の程度が異なってくるという点です。
これは寄生虫が宿主から奪うエネルギーの量が、宿主の種類によって異なる可能性を示しています。
フクロムシは宿主が繁殖に使うはずだったエネルギーを横取りして自分の卵を作りますが、このエネルギーの奪い方は宿主との組み合わせごとに違うのかもしれません。
より多くのエネルギーを宿主から奪えれば、宿主は雄の特徴を維持することが難しくなり、より雌に近い姿に変わってしまうでしょう。
今回の実験で、フサフクロムシが特に強力に宿主をメス化させていた背景には、このフクロムシが宿主からより多くのエネルギーを奪っている可能性が考えられます。
これは今後さらに詳しく調べる必要がありますが、寄生虫の種類や宿主との相性によってエネルギーの奪い方に違いがあるとしたら、とても興味深いことです。
このように、寄生虫はただ宿主にくっついているだけではなく、宿主の体や行動を操って自分自身の生存に役立てる巧妙な戦略を持っています。
こうした寄生生物と宿主との進化的な「かけひき」は、自然界の驚くべき現象のひとつでしょう。
宿主が抵抗し、寄生虫がそれを超えて操るという進化の競争が繰り返されてきた結果、フクロムシはヤドカリを巧みにメス化させる能力を獲得したのかもしれません。
今回の研究で明らかになったのは、フクロムシがヤドカリをメス化する力は、寄生するフクロムシの種類と宿主のヤドカリの種類の組み合わせで変化するということです。
しかし、なぜその組み合わせで差が出るのか、寄生虫が具体的にどのようにホルモンや神経を操っているのかは、まだ完全には分かっていません。
研究者たちは今後、宿主の脳や神経細胞でどのような変化が起こっているのか、遺伝子やホルモンレベルで詳しく調べることを計画しています。
また、今回の研究で対象にした種類以外のフクロムシと宿主の組み合わせについても調べ、より広い範囲で寄生虫による宿主操作のメカニズムを解明していこうとしています。
小さな寄生虫が宿主の体を作り変えるという現象は、不気味でありながら生命の不思議さを感じさせます。
なぜフクロムシはヤドカリをメスのようにする能力を持ったのか?
宿主と寄生虫の進化的な関係がどのようにこのような現象を生み出したのか?
そのメカニズムが詳しく分かったとき、私たちは自然界に隠された巧妙な進化の物語の新たな一面を目の当たりにすることになるでしょう。
参考文献
雄ヤドカリを“雌化”する? 寄生性フジツボ「フクロムシ」による宿主ヤドカリの形態的雌化を実証
https://www.hiroshima-u.ac.jp/news/91308
元論文
Morphological feminization in hermit crabs (family Paguridae) induced by rhizocephalan barnacles
https://doi.org/10.1186/s40851-025-00252-5
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部