「子どものうち10%は、実は“夫ではない男性”の子である」という衝撃的な説を耳にしたことはないでしょうか。
いわゆる「托卵率10%説」と呼ばれるこの数字は長らく語り継がれてきましたが、果たして本当に正しいのでしょうか。
最近、ベルギーのカトリック・ルーヴェン大学(KU Leuven)を中心とした国際共同研究によって、ベルギーやオランダにおける過去500年分の系譜データとY染色体解析を組み合わせた大規模調査の結果が報告され、実は平均値としては1~2%程度(およそ1.6%)という低い托卵率が示されたのです。
しかし一方で、都市に暮らす低所得層など特定の条件下では、その数字が最大で約5.9%にまで上昇する場合も確認されました。
こうした大きなばらつきはどこから生まれるのでしょうか?
研究内容の詳細は『Current Biology』にて発表されました。
目次
- なぜ夫以外の子を産むのか? 進化と社会のジレンマ
- 女性の托卵率は1.6%程度だった
- 托卵の真相が示す人間社会の本質
なぜ夫以外の子を産むのか? 進化と社会のジレンマ

多くの動物が一度ペアを形成しても、別のオスとの間に子どもをもうける「托卵(Extra-Pair Paternity:EPP)」が確認されていることは、鳥類などの研究で広く知られています。
そして人類社会においても、かねてより「夫の知らない相手の子を、夫が自分の子として育てている」現象が一定数あるといわれてきました。
一説にはその割合が10%にのぼるとされ、耳目を集める一方で、実際のところはもっと低いのではないかという異なる報告も存在します。
(※この10%説は1991年にTHE LANSETに掲載された論文が出所になっていると考えられます)
これは、地域や時代、さらには社会的・経済的な環境によって大きく変わりうる性質のため、決定的なデータを得るのが難しかったからです。
しかし、進化生物学の観点からは「なぜ夫以外との子をもうける行動が残っているのか」を理解することが重要です。
子孫の遺伝的多様性が高まるメリットが指摘される一方で、夫側には子育てのコストを負わされるリスクが生じ、配偶者間の信頼関係の破綻や社会的制裁など、多くの負の要因も絡み合います。
こうした複雑な背景のため、人間社会における実際の托卵率を大規模に検証する研究は少なく、これまでの推計値にはばらつきがありました。
さらに、産業革命期以降の都市化や、社会的地位・経済力の違いが男女の交際機会や家庭内の力関係を左右し、それが托卵率にも影響を与えているのではないかという仮説も議論されてきました。
こうした諸要素が絡むなかで、「10%説」は本当に正しいのか、それともごく一部の状況でしか当てはまらないのかは、依然として明確ではありません。
そこで今回研究者たちは、ベルギーやオランダで過去500年にわたる戸籍・教会記録などを基に親子関係を丹念に追跡し、同時にY染色体解析を組み合わせることで、托卵率と社会的・経済的背景との関連を包括的に解明することにしました。
結果として浮かび上がったのは、托卵率が全体としては低く推移する一方、居住環境や生活階層によって大きな差が生じるという興味深い実態でした。
次では、どのようにデータを収集・解析し、どのような数値が得られたのかを見ていきましょう。
女性の托卵率は1.6%程度だった

研究チームがまず注目したのは、父系を正確にたどることができる戸籍や教会記録でした。
過去500年分におよぶ膨大な文書を丹念に読み解き、そこに記載された「父と子のつながり」が本当に血縁関係なのかを、Y染色体の型(ハプログループやSTRの特徴)を用いて照合したのです。
ここが非常にユニークな点で、単に今の親子で遺伝子を比較するのではなく、複数世代にわたる家系のデータを網羅的に集め、生きている男性同士が「○世代前の男性を共通の先祖にもつはずなのに、遺伝子型が合わない」という状況を発見できる仕組みを構築しました。
実際には、両親とも「婚姻内の子ども」として届けられた男性同士を中心に、計513組をピックアップし、共通の先祖がいるはずかどうかを系図から判断します。
そして、その先祖までの代数と矛盾するほどY染色体が異なっていれば、いずれかの世代で夫以外の男性が実父だった可能性が強まる――すなわち、托卵があったとみなすわけです。
これによって「系図上では父子関係」とされているペアの真の遺伝的な繋がりを推測する手法が完成しました。
分析の結果、全体としての托卵率は平均1~2%程度(約1.6%)と、世間で広く言われてきた「10%」より大幅に低い水準であることが確認されました。
一方で、すべての地域や人々が一様に1~2%とは限らず、大都市や人口密度が高いエリア、そして所得が低めの階層になるほど、数字が上昇する傾向が見られました。
たとえば大都市での托卵率は平均よりも高く2.3%となりました。
実際に、19世紀後半の都市部で低所得階層の家系を調べたところでは、約5.9%にのぼる事例が確認されています。
逆に、農村部や比較的経済的に安定した家系では0.4%程度の非常に低い水準にとどまるなど、社会経済的背景と人口密度が大きく作用していることが鮮明に浮かび上がったのです。
(※人間以外の霊長類で一夫一妻制と考えられるギボンやゴリラでは托卵率はほぼ0%に近いとされています。一方、チンパンジーやボノボのような社会では、托卵率が30~40%に達するケースも報告されています。また、鳥類においては種によって大きく異なり、平均的には10~30%程度ですが、一部の種では50%以上となる場合もあります。このことから考えると人類の結婚システムは比較的上手く機能していると考えられます)
こうした調査において、興味深いのは地域ごとの宗教や婚姻制度の違いです。
特にベルギーはカトリック色が強く、オランダはプロテスタントが主流ですが、両国間で明確な差が見られるわけではありませんでした。
むしろ、同じ国や同じ時代であっても「都会か農村か」「どの所得層に属するか」で大きなばらつきが出るという結果は、人間の性的行動や社会構造の複雑さを改めて実感させるものです。
こうして、婚姻内の父子関係を精密に辿るこのユニークな分析手法によって、「托卵率は一律に高いわけではないが、都市化や生活条件の変化によって上昇することがある」という事実が明らかになりました。
托卵の真相が示す人間社会の本質

今回の調査から浮かび上がるのは、人間における「托卵」が一律に高いわけではなく、その頻度が社会経済的背景や居住環境によって大きく変動するという点です。
平均的には1~2%ほどと非常に低いものの、都市部でかつ低所得層となると5~6%ほどに上昇するケースが存在し、社会的な文脈によって行動様式が変わることを示唆しています。
(※既存の研究では托卵率が50%を超える種ではオスは自分の子供に投資しなくなるとされています)
なぜ都市の低所得層ほど托卵率が高まるのかについては、人口密度が高い地域ほど出会いの機会が増すことや、居住環境の匿名性により隠しやすいことなど、いくつもの要因が考えられます。
また、経済的に厳しい立場であれば、パートナー以外の男性から追加的な資源やサポートを得たいと考える心理が働くことも否定できません。
逆に、ある程度の富や社会的地位がある夫は「相続財産を守りたい」という強い動機から、配偶者の不倫を未然に防ぐ行動を取るため、托卵が起こりにくいとの見方もあります。
さらに宗教背景よりも、人が暮らす環境や家庭の経済力によって差が生じるという結果からは、文化的・宗教的な規範を超えた根源的な「利害関係」や「機会の多さ」が影響している様子がうかがえます。
もちろん、この研究は主にベルギーとオランダを舞台としたものですので、世界のすべての地域に同じパターンが当てはまるわけではありません。
たとえば、近代的なコントラセプション(避妊)の普及度合いが異なる社会や、複数のパートナーを容認する文化を持つ社会などでは、托卵率がまた変わってくる可能性があります。
とはいえ、「婚姻関係の内実」は人類の性行動の根幹を知るうえで非常に重要です。
こうした大規模な遺伝子系譜研究は、国や文化を越えて比較を行う余地がまだまだ大きく、今後の研究次第では、私たちが普段あまり意識してこなかった人間関係のあり方や、社会構造の特質がさらに明らかになるかもしれません。
また、この研究だけでは、それぞれの母親の意図や夫側の認知度を完全に把握できたわけではないため、今後はそうした視点を含めたさらなる調査が期待されます。
元論文
A Historical-Genetic Reconstruction of Human Extra-Pair Paternity
https://doi.org/10.1016/j.cub.2019.09.075
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部