恥ずかしい話は機械にぶつけ、怒りは人間にぶつける――そんな不思議な心理が見えてきました。
たとえば、猛烈に腹を立てているとき、AIチャットボットではなく「生身の人間」と直接話したいと思った経験はありませんか?
しかし、もし突っ込みづらい悩みや、バカにされそうな疑問があるときは、むしろ機械に任せたほうが気が楽になるかもしれません。
アメリカのカンザス大学(KU)で行われた研究によって、「怒り」と「恥ずかしさ」という二つの感情が、私たちの相談相手選びを左右していることが明らかになりました。
新型コロナワクチンに関する意見交換の実験の結果、怒りをぶつけたい気持ちと、恥ずかしさを打ち明けたい気持ちがはっきり分かれたのです。
怒りを爆発させたいなら人間。
恥ずかしい悩みを吐き出すならAI。
なぜこんな心の使い分けが起こるのでしょうか?
研究内容の詳細は2025年2月3日に『International Journal of Human–Computer Interaction』にて発表されました。
目次
- 怒りと恥ずかしさの矛先
- キレるなら人間、照れるならAI!驚きの心理メカニズム
- AI×人間:感情に合わせた新時代のサポート論
怒りと恥ずかしさの矛先

新型コロナウイルスの感染拡大が始まったころから、人々は日々変わる情報に振り回され、不安や怒りを抱くようになりました。
ワクチンの効果や安全性に関する意見は政治的にも対立し、SNSをはじめ誤情報や噂話が飛び交ったため、混乱が広がりました。
一方、周囲が次々と接種している中で自分が迷っていることを知られたくない、または「こんな初歩的な質問をすると笑われるのでは?」と感じるなど、話しづらさや恥ずかしさを抱える人も多くいました。
こうした状況で注目されたのが「AIチャットボット」です。
オンラインで顔を合わせずに質問できるため、デリケートな健康相談やプライバシーに関わる話題でも気軽に問い合わせができると言われています。
しかし、怒りという強い感情を抱えたままチャットボットに向かっても、本当に気持ちを受け止めてもらえるかは疑問視されます。
実際、AIは24時間いつでも対応できる反面、相手が「機械」と感じると、かえって冷たく感じられることがあります。
そこで研究チームは、人間によるサポートとAIチャットボット、それぞれの特徴がどのように人々の感情と結びついているのかを深く探ることにしました。
特に注目したのは、「怒り」と「恥ずかしさ」という二つの感情です。
どちらもワクチン接種にまつわる不安や対立の中でよく見られ、相談しにくい状況を生み出す要因となっています。
もし感情の性質によって対話相手の選び方や得られる満足度が大きく変わるとすれば、医療現場や行政の情報提供の方法にも新たな示唆が得られるかもしれません。
そんな問題意識から本研究は始まったのです。
調査にあたってはまず100名の参加者を募り、コロナワクチンやブースター接種に対する意見や印象を事前に確認しました。
次に、参加者は研究室内のパソコン画面で「映像」を視聴する段階に進みました。
映像の内容は大きく3種類あり、一部の人には家庭内暴力のシーンなどで怒りを誘発するもの、別の人には官能的なシーンで恥ずかしさを感じやすいもの、そして対照的に自然や景色の映像といった中立的なものがランダムに割り当てられました。
研究チームは、このときアイトラッキング装置を使用して、参加者が映像のどこをどれだけ注視しているかを計測しました。
これにより、参加者が「怒っている」「恥ずかしい」と明言しなくても、視線の動きから感情の変化を推測することができました。
映像視聴後、参加者は「AIチャットボット」か「人間のスタッフ」か、いずれかとの対話を行いました。
チャットの内容は、アメリカの公的機関が提供するワクチン関連のFAQをベースとした情報交換でした。
ここでも、どちらに割り当てられるかは無作為に決定され、参加者自身が選んだわけではなく、研究側が条件をコントロールしました。
そして最後に、「ワクチン情報を得る際、AIチャットボットと人間スタッフではどちらが良いと感じたか?」を尋ねたところ、怒りを誘発する映像を見た参加者は「やっぱり人間相手の方が話しやすい」と答える傾向が強く、逆に恥ずかしさを感じる映像を見た参加者は「AIチャットボットなら気を使わずに済む」という意見が多く寄せられました。
中立的な映像を見た参加者には、怒りや恥ずかしさといった強い感情はあまり現れず、相手が機械か人かで大きな差は見られませんでした。
つまり、「恥ずかしい」話題はAIに、「怒り」の感情は人間にぶつけるという具合に、参加者の心理状態と対話相手の組み合わせによって満足度やワクチン接種意向が大きく変わることが示されたのです。
キレるなら人間、照れるならAI!驚きの心理メカニズム

怒りを感じたとき、多くの人は誰かに話を聞いてもらい、「あなたの気持ちはわかる」と共感してもらいたいと望みます。
これは、感情を吐き出し、相手の反応から安心感を得るという自然な心理です。
特に、相手が人間であれば、声のトーンや表情、言葉のニュアンスから「自分の怒りをしっかり受け止めてくれている」と感じやすいのです。
また、進化の過程で人間は、集団内の規範を守り、秩序を維持するための仕組みを発達させてきました。
怒りは、社会規範に反する行動への警告信号として機能し、不正や異常に対して集団が一致団結して反応する手段となっています。
さらに、怒りを表明することで、自分と同じ価値観や信念を共有する人々から「私も同じだ」と共感や賛同を得られ、承認欲求や自己肯定感が満たされます。
加えて、怒りを表出すること自体が心理的な浄化、いわゆるカタルシス効果をもたらすとされています。
怒りをぶつける相手のリアルな反応、たとえば謝罪や反省、場合によっては怒りから快感を得ることもあるのです。
近年、SNS上での怒りの拡散は、この人間本来の感情表現に根ざした現象だと考えられています。
しかし、怒りは人間に向けられて初めてその効果が発揮されます。
人間同士の対話では、共感や社会的承認が得られ、心の負担が効果的に解放されるのです。
正義感や規範を守ろうとする怒り、共感や賛同を求める怒り、さらには謝罪や反省を促す怒りは、物に向けられても意味を持たず、対人関係でのみ効果を発揮します。
また、AIチャットボットに怒りをぶつけても、「機械に向かって怒りをぶつけても本当に伝わるのか?」という疑問が生じ、人間相手ほどの感情の発散が期待できません。
一方、恥ずかしさを感じる場面では、他人からどう見られるかや評価されるかが大きな問題となります。
たとえば、「初歩的な質問をして笑われたらどうしよう」や「周囲がみんな接種しているのに自分だけ迷っていると知られたら恥ずかしい」という不安があります。
このような場合、AIチャットボットなら「機械だから評価されない」という安心感が得られ、匿名性も高いため心理的な負担が軽減されます。
つまり、怒りには「共感を得たい」「本音をしっかり聞いてほしい」という欲求が働くため、人間相手が選ばれやすいのです。
反対に、恥ずかしさや気まずさが先立つと、「他人の目を避けたい」「失敗や無知をさらけ出したくない」という気持ちから、余計な気遣いが不要なAIが好まれます。
こうした感情の方向性の違いが、どちらに相談するかを大きく左右していると考えられます.
AI×人間:感情に合わせた新時代のサポート論

今回の研究が明らかにしたのは、私たちの「怒り」や「恥ずかしさ」といった感情が、単に気分を左右するだけでなく、どこから情報を得たいか、どんな相手に話を聞いてほしいかという行動に大きく影響を及ぼすということです。
コロナ禍におけるワクチン接種のように、多くの人が強い感情を抱くテーマでは、この傾向が特に顕著になります。
企業や医療機関がオンラインの相談窓口にAIチャットボットを導入するケースは、今後ますます増えるでしょう。
その際、恥ずかしい内容の相談はAIが適している一方で、クレーム対応や強い不満に対しては、人間スタッフの共感スキルが依然として重要です。
つまり、どちらが優れているかではなく、利用シーンや感情の種類に応じて適切に役割分担をすることが重要といえます。
将来的には、AIが音声や文章から利用者の感情をより正確に認識し、柔軟に対応を変えることが期待されます。
すでに感情認識技術は進んでおり、「怒りを感じています。サポート担当者につなぎますね」といったシステムの実現も近いかもしれません。
ただし、AIが判断を誤ったり、利用者が意図しないタイミングで情報を人間スタッフに転送するなど、プライバシーや倫理の問題が生じるリスクも存在します。
最終的には、「どんなとき、どんな相手とコミュニケーションをするのが自分にとって心地よいのか」を利用者自身が理解することが大切です。
怒りを吐き出したいのか、恥ずかしさを隠して静かに情報を得たいのかによって、選ぶべき窓口は自然と変わるでしょう。
本研究の発見は、一人ひとりが自分の感情に合った相談先を選ぶヒントになるだけでなく、企業や公共機関がよりきめ細やかなサービスを設計する指針にもなると考えられます。
元論文
Consumers’ Emotional Responses to AI-Generated Versus Human-Generated Content: The Role of Perceived Agency, Affect and Gaze in Health Marketing
https://doi.org/10.1080/10447318.2025.2454954
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部