30分の心理プログラムで大学1年を乗り越える?スタンフォード大の大規模検証

コミュニケーション

アメリカのスタンフォード大学(Stanford)を中心にした研究チームが、全米22大学の新入生26,911人を対象に大規模な調査を行った結果、大学入学前にたった10~30分の簡単なオンライン・プログラムを受けるだけで、大学1年目の修了率が高まることが明らかになりました。

このプログラムの特徴は、大学生活で誰もが感じるような不安や孤独感が、「時間が経てば自然と和らいでいくものだ」と学生自身が気づけるようにデザインされ所属不安の解消を目指している点です。

なぜこのような短くシンプルな心理的プログラムが、学生の大学生活を大きく左右する結果につながったのでしょうか?

研究内容の詳細は2023年5月4日に『Science』にて発表されました。

目次

  • せっかくの居場所から離れてしまう理由
  • 30分で変わる大学生の1年間
  • 学生が成功するための『心』と『環境』

せっかくの居場所から離れてしまう理由

せっかくの居場所から離れてしまう理由
せっかくの居場所から離れてしまう理由 / Credit:Canva

みなさんは、自分が本当に入りたかった学校や、ずっと憧れていた環境に入ったのに、「自分はここには向いていないのかも…」と感じてしまった経験はないでしょうか?

新しい環境に飛び込むことは誰にとっても大きな挑戦ですから、実際にはこうした悩みを抱えている人は少なくありません。

特に大学というのは、これまで自分が経験してきた中学校や高校とはまったく違う環境です。

勉強の仕方や生活のペースが大きく変わるため、最初のうちは戸惑ってしまうことも珍しくありません。

実はアメリカでは、大学に合格して喜びながらも、1年経つ頃には約5人に1人(およそ20%)の学生が大学を去ってしまうというデータがあります。

この数字を見ても分かる通り、多くの学生が「大学でうまくやっていけるかどうか」という問題にぶつかり、結局そこから抜け出せずに退学してしまうケースが後を絶ちません。

そうなると、頑張ってきた努力が水の泡になるだけではありません。

大学に通っていれば得られたはずの知識やスキルが手に入らず、その後の人生や将来の夢にも大きな影響を与える可能性があるのです。

これは本人にとっても社会全体にとっても、大きな損失と言えるでしょう。

では、どうしてこんなにも多くの学生が新しい環境でうまくいかずに挫折してしまうのでしょう?

それは「新しい場所に慣れる」には予想以上に時間とエネルギーがかかるからです。

たとえば、自分の家を離れて新しい街で暮らすと、ホームシックになることもありますよね。

また、新しいクラスで友達を作ろうと思っても、なかなかうまく話せないこともあるでしょう。

大学では、授業のやり方や勉強のレベルも高校までとはまったく違います。

先生とのコミュニケーションもうまく取れず、「自分だけが置いていかれている気がする…」と感じる人もいます。

こういった悩みはどんな学生でも一度は経験することですが、それでも自分のような境遇の仲間が周囲に少ないと、「自分はやはりここにいてはいけないんだ」と確信してしまうこともあるのです。

こうした「自分が本当にここにいてよいのか?」という不安感は、心理学の分野では「所属不安」と呼ばれています。

スタンフォード大学の心理学者、グレゴリー・ウォルトン教授たちは、この「所属不安」を軽くするための短時間のプログラムを開発し、その効果をいろいろな大学で科学的に検証してきました。

こうした取り組みは「社会的所属感の介入」と呼ばれています。

このプログラムでは、先輩たちが自分の経験を書いた文章を新入生に読んでもらいます。

内容は、「最初は誰でも不安だったけれど、時間が経つにつれて自然と馴染んでいった」というものです。

さらに新入生自身にも、同じような不安を感じる後輩に向けて、「最初のうちはみんな不安だけれど、だんだん状況は良くなるから大丈夫」と励ましのメッセージを書いてもらいます。

これは「不安なのは自分だけじゃないんだ」と安心してもらうための工夫です。

実際にこの短いプログラムを試した大学では、目に見える成果も確認されています。

例えば、アメリカのある大学では、大学の中で少数派だった黒人学生の成績(GPA)が上がり、白人学生との成績の差を半分ほど縮めることができました。

また別の大学の理系学部では、男性が多い環境で居場所を感じにくかった女子学生の成績が向上したケースも報告されています。

こうした実績からも、この「社会的所属感の介入」が学生の心理的な負担を軽くし、本来持っている実力を発揮する手助けになりうることが期待されています。

では、今回ウォルトン教授らは具体的にどのような介入を行い、どんな成果を得たのでしょうか?

30分で変わる大学生の1年間

30分で変わる大学生の1年間
30分で変わる大学生の1年間 / Credit:Canva

今回行われた研究は、アメリカ各地の合計22の大学で実施された大規模なもので、新入生の人数はなんと26,911人にも上りました。

この規模の研究というのはなかなか実施が難しく、世界的に見ても珍しい試みと言えます。

しかも、結果の信頼性を高めるために、科学的に最も信頼される方法のひとつである「無作為化介入試験」が行われました。

これは研究対象の学生たちを、プログラムを受けるグループと受けないグループにランダムに振り分け、後から2つのグループの違いを比較するという方法です。

このような方法を取ることで、「プログラムそのものが効果を生んだのかどうか」を厳密に調べることができるわけです。

では具体的に、学生たちはどんなプログラムを受けたのでしょうか?

新学期が始まる前、学生たちはオンライン上で10分~30分程度のとても短いエクササイズを受けました。

このプログラムは特に複雑なものではありません。

まず、大学に入学したばかりの時期に誰もが感じる孤独感や勉強の難しさについて、先輩たちが自分の体験談を書いた短い文章を読みます。

先輩たちが書いた内容は、「大学生活の初期は誰でも不安で寂しい思いをしたけれど、時間が経つとだんだん慣れてきて楽になった」というものです。

それを読んだあと、新入生自身にも、自分が今感じている不安な気持ちや心配ごとについて「こうした不安は最初だけで、だんだん良くなるから大丈夫」という前向きなメッセージを未来の後輩へ向けて書いてもらいました。

こうすることで、自分自身にも「不安なのは自分だけではないんだ」と気づかせる狙いがあるのです。

では、この短いプログラムの結果はどうだったのでしょう?

研究の結果、プログラムを受けた学生グループは、受けなかったグループよりも、1年目をフルタイムで在籍したまま修了する割合が明らかに高くなりました。

ただし、この効果には大きな特徴がありました。

プログラムはどの大学でも、どの学生にも一律に効いたわけではなかったのです。

効果が特に大きく現れたのは、もともと過去のデータで「1年目をフルタイムで終えられる学生が半数程度」というように、修了率が低かったグループでした。

こうしたグループでは、この短い介入プログラムを受けるだけで、フルタイム修了率が平均で約2ポイントも改善したのです。

一方、もともと修了率が96%など、非常に高かったグループでは、追加の効果はほとんどありませんでした。

つまり、このプログラムの恩恵を最も強く受けたのは、「普段なかなか大学に定着しにくいとされるグループ」だったのです。

では、このようにグループ間で効果に大きな差が出たのはなぜだったのでしょう?

研究チームは、この差の理由を探るために、各大学の「学生の居場所づくり」に注目しました。

ここで言う「居場所づくり(所属機会)」とは、学生が「自分はこの大学に受け入れられている」と感じられる機会や環境のことです。

具体的には、学生が交流できるサークル活動が充実しているか、多様な背景を持つ学生が孤立しないよう教員やスタッフが支援しているかなどの要素が考えられます。

研究では、学生が実際に感じている居場所感を知るために、介入プログラムを受けていないグループの学生たちに「自分が大学に受け入れられていると感じるか」を春の時点で自己評価してもらいました。

この自己評価の結果をもとに、各大学の「居場所づくり」の程度を推測したのです。

その結果、居場所づくりが充実していた大学ほど、今回の心理プログラムの効果ははっきりと現れました。

反対に、学生が居場所を感じられない大学では、どんなにこのプログラムを受けても、ほとんど効果がありませんでした。

つまり、この短いプログラムは「大学という土壌」がしっかり耕されて初めて効果を発揮するということです。

実はこの短時間の心理プログラムの教材自体はすでにオンラインで公開されており、アメリカやカナダの大学であれば、申請すれば無料で導入できる仕組みになっています。

費用や手間をかけずに、すぐに多くの学生に提供できる仕組みが整っているのは大きなポイントです。

あるアメリカの大学では、入学前に行う健康診断や寮の手続きといったチェックリストの中に、この心理的サポートのプログラムを組み込んでいます。

新入生たちは、大学生活に入る前にこのプログラムを通じて「大学生活の初期に感じる不安は誰にでもある、自然なものだ」と気づくことができます。

さらにこの研究チームは、このプログラムの効果が、アメリカの他の大学(749校)にも広く当てはまることをデータから示しています。

もし全米の大学がこのプログラムを取り入れれば、毎年約1万2000人以上の新入生が無事に大学1年目を乗り越えられるだろうという計算になりました。

これは学生個人だけでなく、社会にとっても大きな希望につながる成果です。

学生が成功するための『心』と『環境』

学生が成功するための『心』と『環境』
学生が成功するための『心』と『環境』 / Credit:Canva

今回の研究から明らかになった重要なメッセージは、「学生の心を支えること」と「その学生が受け入れられるための環境を整えること」、この2つがそろって初めて大学生活がうまくいきやすくなるということです。

この研究の大きな特徴は、「心理的サポートだけで十分」というわけではなく、学生たちが実際に「居場所を感じられる環境があるかどうか」という条件を考えた点にあります。

つまり、どんなに優れた心理プログラムであっても、学生が「自分の居場所はここにあるんだ」と安心できる土壌がなければ、その効果はほとんど発揮されないということです。

このことは、心理的なプログラムが効果を生むためには、「大学側がどのように学生を迎え入れ、サポートするのか」がとても重要だという意味を持っています。

たとえば大学にどれだけ豊富な授業や設備があっても、そこで学ぶ学生が「自分はここにいてもいいんだ」と感じられないままでは、学生は定着せず、心理的なサポートだけでは解決が難しくなります。

研究チームもこのことを重要なポイントとして強調しており、学生に本当に効果的なサポートを行うには、学生が自然に自分の居場所を感じられるような大学の文化や制度作りが欠かせないと述べています。

一方で、この研究はアメリカ国内の4年制大学を対象にしたものであるため、日本を含め他の国や文化でそのまま通用するかどうかはまだ分かりません。

実際、日本とアメリカでは大学生活の仕組みや学生支援の方法が大きく違います。

日本の大学では授業の進め方や学生生活のスタイルも異なるため、このプログラムが日本の大学でどのように効果を発揮するかは、さらに詳しい検証が必要になるでしょう。

それでも、この研究の方法や結果は、日本を含めて他の国の教育関係者や心理学者にとっても非常に参考になるでしょう。

特に、「心理的サポートと環境作りの両方を整える」というアイデアは、どの国や地域でも教育の現場を良くするための基本的な考え方として応用できる可能性が高いです。

また、この研究が提案した30分程度のオンラインプログラムの大きな強みは、手軽に低コストで実施できるという点にあります。

実際にアメリカやカナダの大学では、必要な手続きを済ませれば、このプログラムを無料で取り入れることができます。

この手軽さのおかげで、多くの大学が新入生のためのサポートの一環として簡単に導入することが可能なのです。

その結果として、多くの学生が「自分は孤独じゃない」と実感し、大学生活をスムーズに始められる可能性が高まります。

たとえ個人レベルでは効果が小さくても、多くの学生に広く実施すれば、毎年1万人以上の学生が途中で大学をやめることなく1年目を乗り越えられる可能性があるというデータも示されています。

さらに、この研究は単に効果的なツールを提供しただけでなく、教育界にとって非常に大きな意義を持つ発見をしたとも言えます。

それは、「学生が自分自身に自信を持ち、大学という新しい環境に適応するには、心理的サポートに加えて『受け入れられている』と感じられる仕組みを作る必要がある」ということを、数万人規模のしっかりとした科学的根拠をもって示したことです。

これまでの研究では、「心理的なサポートが重要だ」ということはよく言われてきましたが、「どのような環境で、どんな人にそのサポートが効果を発揮するか」という点まで明確に示した研究はあまりありませんでした。

この点で、今回の研究は教育や心理学の分野で画期的な成果と言えるでしょう。

最後にあえてまとめるなら、この研究が示しているのは「学生が本当に成功するためには、心に寄り添う支援と同時に、その心を受け止める環境を整えることが必要だ」という、シンプルながらも深い教育の本質なのかもしれません。

今回の発見をきっかけに、多くの学校や教育機関が、よりよい学生生活のための土壌を整えることに積極的に取り組んでくれることを願っています。

全ての画像を見る

元論文

Where and with whom does a brief social-belonging intervention promote progress in college?
https://doi.org/10.1126/science.ade4420

ライター

川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。

編集者

ナゾロジー 編集部

タイトルとURLをコピーしました