シベリアの永久凍土で見つかった一体の女性ミイラ。
その腕に刻まれていたのは、トラとヒョウに襲われる角のある動物たち——。
一見すると単なる模様のように見えるタトゥーに、現代科学がまったく新しい光を当てました。
独マックス・プランク人類史科学研究所(MPI for the Science of Human History)による最新の赤外線画像解析により、この2300年前の死者の肌に隠された緻密な図柄と、それを生み出した道具や技法の全貌がついに明らかになったのです。
研究の詳細は2025年7月31日付で科学雑誌『Antiquity』に掲載されています。
目次
- 腕に彫られた精巧な図柄
- 彫り師の「技術差」まで明らかに⁈
腕に彫られた精巧な図柄

シベリア・アルタイ山脈に眠るパジリク文化の墓から発掘されたこの女性ミイラは、死後2300年を経てなお、肌にタトゥーの痕跡をとどめていました。
パジリク文化は、スキタイ世界に属する遊牧民文化で、精巧な馬具や武器、そして動物をモチーフとした美術で知られています。
これまで彼女のタトゥーは、黒ずんだ皮膚や乾燥によってほとんど確認できませんでした。
しかし今回、研究チームは近赤外線を用いた高解像度撮影と3Dフォトグラメトリを駆使し、肌の奥に残されたインクの痕跡を視覚化することに成功したのです。
とくに明瞭に確認されたのが、両前腕と両手に施された複数の図柄でした。

右前腕には、二頭の草食動物がトラ2頭とヒョウに襲われる、壮絶な「命の攻防」が描かれていました。
左前腕にはグリフォン風の怪物が角のある獣に飛びかかる場面、そして両手には鳥や花、十字、魚のような文様が並んでいました。
これらのタトゥーはすべて「手彫り(hand-poking)」で施されており、線の太さから複数の道具が使われていたことがわかりました。

太い線は複数の針を束ねた道具で描かれ、細い線や仕上げには単一針の道具が使われていたのです。
また線が重なっている箇所からは、彫り師が一度作業を止め、体勢やインクを調整して再開していたことも推測されました。
これはまさに、2300年前の「作業のリズム」が肌に残されていた証といえるでしょう。
彫り師の「技術差」まで明らかに⁈
チームはさらに、右前腕と左前腕のタトゥーに明確な「技術差」があることを発見しました。
右前腕の図柄は、動物たちの体勢や視線、体の流れを巧みに活かして構図が組まれており、腕の曲線に沿うように配置されています。
ヒョウとトラの顔は正面から見た視点で描かれており、これは当時のパジリク文化やスキタイ芸術では珍しい表現です。
構図の中心には猫科の捕食者が置かれ、角を持つ動物たちとの緊張感ある対比が巧みに描かれていました。
一方、左前腕の図柄はやや単純で、視点の工夫や身体との一体感に乏しく、図形の配置もやや平面的です。
たとえばシカの脚は透視図法を無視して正面から2本とも描かれており、解剖学的な正確さも右腕に比べて劣っていました。
この違いは、同じ女性の体に異なる技術レベルの彫り師が関与していた可能性を示しています。

または、1人の彫り師が時間をかけて技術を磨いた結果として、右腕のタトゥーがより洗練されたものになったとも考えられます。
さらに驚くべきことに、この女性ミイラの前腕には死後、埋葬のための皮膚の切開がなされており、タトゥーの一部が縫合線で貫かれていました。
これはタトゥーが死後の世界での重要性を持っていなかった、もしくは切断自体が儀礼的意味を持っていた可能性を示しています。
過去には、死後もタトゥーの意味が保たれると信じられていた文化もありますが、パジリク文化ではむしろ「生きている間の装飾や象徴」であり、死とともにその意味が終わるものだったのかもしれません。
参考文献
Stunning Tattoos Discovered on Siberian Mummy From 2,000 Years Ago
https://www.sciencealert.com/stunning-tattoos-discovered-on-siberian-mummy-from-2000-years-ago
2,300-year-old arm tats on mummified woman reveal new insights about tattooing technique in ancient Siberia
https://www.livescience.com/archaeology/2-300-year-old-arm-tats-on-mummified-woman-reveal-new-insights-about-tattooing-technique-in-ancient-siberia
元論文
High-resolution near-infrared data reveal Pazyryk tattooing methods
https://doi.org/10.15184/aqy.2025.10150
ライター
千野 真吾: 生物学に興味のあるWebライター。普段は読書をするのが趣味で、休みの日には野鳥や動物の写真を撮っています。
編集者
ナゾロジー 編集部