カーボンでできた極小のチューブと、その中に閉じ込められたナノスケールの炭素の鎖が、量子の振動を通じて互いに“会話”している――そんな驚きの現象をオーストリアのウィーン大学をはじめとした国際研究チームが解明しました。
研究では炭素原子が一直線に並んだ「カービン」と呼ばれる鎖状構造体がカーボンナノチューブ内部で見せる振動状態を詳しく測定したところ、電子のやりとりがないにもかかわらず、チューブと鎖の振動が強く結びついていることが確認されました。
研究チームは、この電子を介さず振動だけで情報を伝え合う量子的な結合現象を直感的に「量子的な会話」と表現しています。
電子抜きに情報が届くこの“量子LINE”は、将来ナノサイズの非接触センサーやポスト電子デバイスを生む切り札になるのでしょうか?
研究内容の詳細は2025年5月26日に『Nature Communications』にて発表されました。
目次
- なぜ“電子抜き”でも振動が暴走するのか?
- 電子を使わない“量子LINE”が始まった瞬間
- 振動だけで情報通信? カービンが拓くポスト電子デバイス
なぜ“電子抜き”でも振動が暴走するのか?

炭素(カーボン)は、グラファイト(黒鉛)やダイヤモンド、グラフェンなどさまざまな同素体(異なる構造の形)を持ちますが、「カービン」と呼ばれる炭素鎖は特にユニークな存在です。
カービンは炭素原子が一直線に並んだ1次元の鎖状構造で、理論的には極めて強い引張強度(材料が引っぱられる強さ)を持ち、光を当てると非常に強く振動(ラマン散乱)する性質があると予測されていました。
しかし、その構造は非常に壊れやすく不安定なため、長いカービン鎖を単独で取り出すことは難しく、125年以上にわたって「幻の物質」とされてきました。
ところが2016年になって、炭素原子が約1 µm(1000分の1ミリ)もの長さで連なったカービン鎖をカーボンナノチューブの中に作り出すことに成功し、科学界に大きな驚きを与えました。
このようにカーボンナノチューブの中に封入されたカービンは、新しい炭素材料として「閉じ込められたカービン(confined carbyne)」とも呼ばれています。
しかし、カービンをナノチューブ内に生成した際、従来の理論では説明できない謎めいた振動の信号が観測されていました。
具体的には、ナノチューブにカービンが入ると、ラマン分光という手法で測定される振動スペクトル(振動の指紋)において、本来ナノチューブやカービン単独では現れないはずの新たなピーク(“肩”のような追加の山)が出現するのです。
これらの特徴的なピークは、カーボンナノチューブ側の振動において顕著に表れ、カービンを入れた試料でのみ確認されました。
一方、カービン側の振動モードについても、通常は観測されない低対称な振動まで現れる可能性が示唆されましたが、他の実験からそれは否定され、これらの新しい振動ピークがカービンの存在に起因することが裏付けられました。
つまり、ナノチューブと内部のカービン鎖が組み合わさることで一種のハイブリッドな構造が生まれ、単独の材料では現れない振動状態が出現していると考えられたのです。
しかし当時、この現象の詳しい仕組みは分かっておらず、研究者たちを長らく悩ませてきました。
通常、異なる材料を組み合わせると、新たな特徴は電子のやりとり(電荷移動や電荷分布の変化)によって説明されることが多いです。
例えば片方の材料からもう片方に電子が移動してドーピングが起きたり、電子状態が変化することで振動や光学特性に影響を与えるといったメカニズムです。
しかし今回のカービンの場合、ナノチューブと接しているにもかかわらず互いに電子を授受するわけではありません。
にもかかわらず現れる振動スペクトルの変化は、従来の常識では「ありえない不思議な現象」でした。
この謎を解き明かし、「チューブと鎖がどのように相互作用しているのか」を理解することが本研究の目的でした。
原子レベルで物質同士がどう影響し合うかを知ることは、新材料を設計する上で極めて重要です。
研究チームは、国際共同研究の体制でこの難問に取り組みました。
電子を使わない“量子LINE”が始まった瞬間

研究チームはまず、高品質なカーボンナノチューブ試料の中にカービン鎖を生成しました。
具体的には、直径約1.4 nm前後(1.36 ± 0.08 nm)の単層カーボンナノチューブを用意し、その中にC60フラーレン分子を詰めてから加熱する方法で、内部により細い二重壁ナノチューブとカービン鎖を形成する手法を採っています。
こうして作られた「ナノチューブ+カービン」複合試料に対し、ラマン分光という分析手法で振動の様子を詳しく観察しました。
ラマン分光法では、レーザー光を試料に当てて散乱光を解析することで、試料中の原子の振動モード(固有の振動エネルギー)を測定します。
いわば光を使って物質の振動(音)を聞き取るような方法で、物質ごとに異なる振動の指紋(ピークパターン)が得られます。
その結果、カーボンナノチューブの中にカービンがある場合に限って、特定の振動数に新たなピーク(振動モード)が出現することが確認されました。
一方、カービン自体の振動モード(約1800 cm⁻¹付近に現れる「カービンモード」)も、ナノチューブと一緒になったときには形状が変化し若干ずれる様子が観測されました。
これらの追加ピークはナノチューブ単体では決して現れず、明らかにカービンとの相互作用によるものです。
さらに興味深いことに、試料を超音波処理してカービン鎖を破壊すると、これらの不思議なピークは消失し元のナノチューブのスペクトルに戻ることも確認されました。
このことから、新しい振動ピークはカービンがナノチューブ内部に存在することによってのみ生じる現象であると結論づけられます。
では、ナノチューブとカービンはどのように作用し合っているのでしょうか。
鍵となるのは「振動を介した結合」です。
ナノチューブとその中のカービン鎖は接してはいますが、互いに化学結合はしておらず、電子を行き交わせるほどの強い結合も持っていません。
つまり電気的(電子的)にはお互いほぼ絶縁された存在です。
さらにカーボンナノチューブとカービン鎖の間は真空で、空気などで振動を伝えるようなことはできません。
ですが実験では、振動がお互いを引き付け合い、エネルギーを交換していることが示されました。
研究を主導したエミル・パルト氏は「カービンの鎖とナノチューブは電子的には孤立していますが、それにもかかわらず両者の振動の間には予想外に強い結合が生じていました」と述べ、この一見パラドックス(逆説)的な現象を説明しています。
言い換えれば、ナノチューブとカービン鎖が互いに“振動で会話している”ようなものだ、と研究チームは捉えているのです。
ナノチューブとカービン鎖の振動が結びつく理由
私たちの身のまわりの固体は、原子どうしがバネでつながった“超ミクロの楽器”のようになっていて、温めたり光を当てたりすると原子がブルブル震えます。
量子力学の世界では、この震えを「フォノン」という粒状のエネルギーとして数えます。
たとえば机の上に二つのワイングラスを置き、片方の縁をこするともう片方が共鳴して鳴り出すことがありますが、フォノン結合とはその極端に小さな版だと考えてください。
といっても先にも述べた通り、振動を取り次いでいるのは「空気」ではありません。
カービン鎖とカーボンナノチューブのあいだには、実質的に分子レベルの“ほぼ真空”しかなく、ナノチューブの内径もわずか数十億分の1メートルしかないため、空気分子は入り込めません。
にもかかわらず振動が伝わり量子として「フォノン」が出現する…つまり振動パターンの量子化が起こります。
その大元となる原因は、電子の雲(電荷分布)が瞬間的にゆらぎにあります。ただし重要なのは、「電気が流れる」「電子が移動して結合を作る」といった化学結合的なやり取りではない点です。
カービン鎖とナノチューブのあいだでは電子がほとんど行き来せず、両者はあくまで“隣合わせに置いた二つの振動体”として存在しています。
その隣り合った振動体どうしが、互いの電子雲の微小なゆらぎに伴う電場の変動を感じ取り、まるで極細のバネでつながっているかのように振動を押し引きし合います。
さらにその振動モードが量子化されているという点も重要です。
ですから振動が同期して見える現象の駆動源は確かに電磁力の一種ですが、そこに電流や化学結合は関わっておらず、量子力学的な“揺れる電荷の影響”だけでエネルギーがやりとりされているというわけです。
こうした量子力学的な振動(フォノン)の結合は通常であれば極めて弱く無視できるほどですが、この場合にはカービン鎖の持つ特有の電子構造や構造の不安定さによって例外的に強い結合になっていることが明らかになりました。
さらに重要な発見は、この振動による相互作用が一方向ではないという点です。
一般には、カービンのような細い鎖は周囲の環境(ナノチューブ)から影響を強く受けると考えられますが、今回の結果はカービン側もナノチューブ側に影響を及ぼしていることを示しました。
実験で観察された追加の振動ピークは、ナノチューブの側の振動モードにも変化を生じさせています。
これは、カービン鎖が単に受け身で振動しているだけでなく、その振動を通じてナノチューブの性質をも変化させていることを意味します。
当初は片方向だけの効果だと誤解されていたこの現象が、実際には双方向の「対話」であることが示された点で、科学的に大きなインパクトがあります。
振動だけで情報通信? カービンが拓くポスト電子デバイス
この量子的振動結合の謎を解き明かすため、研究チームは実験と並行して最先端の理論計算にも取り組みました。
通常のシミュレーション(調和近似にもとづく第一原理計算)では今回のような振動の混じり合いは再現できないため、新たな理論モデルを構築する必要がありました。
鍵となったのは機械学習(マシンラーニング)の技術です。
研究チームは近年発展した「機械学習ポテンシャル」という手法を用い、原子の振動エネルギー面を高精度に再現するモデルを作りました。
具体的には、大量の計算データから機械学習を組み込んだ SSCHA(確率的自己無撞着調和近似)で振動を再現しています。
この機械学習モデルの導入により、カービンとナノチューブ間の非調和(アンハーモニック)な振動相互作用まで考慮した理論計算が可能となりました。
その結果、実験で観測された振動スペクトルの新たな特徴が、本来の「決まったリズム」から少し外れた振動どうしがぶつかり合い、その余波として小さな“こだま”のような新しい揺れが生まれていることがわかりました。
簡単に言えば、ナノチューブとカービン鎖それぞれの振動モードが強く干渉し合い、互いの振動を引きずり合うことで新たな振動ピークが生まれるというメカニズムです。
これは二つの楽器の音が響き合ってハーモニー(倍音)を生み出すようなものであり、従来説明不能だったスペクトルの謎を見事に解消しました。
この解明により、カービンという素材の実用への展望も開けてきました。
カービン鎖は極めて細く繊細なため、わずかな環境の変化にも振動状態が反応します。
言い換えれば外部の影響に対する感度が非常に高いのです。
今回示されたように、その微小な変化が振動スペクトル(光で読み取れる信号)に表れるため、カービンはナノスケールの光学センサーとして利用できる可能性があります。
研究グループを率いるトーマス・ピヒラー教授(ウィーン大学)は「カービンの高い感度は、将来の材料やデバイスにおいてナノスケールの非接触型光学センサー――例えば熱輸送を測定するための局所温度センサー――としての応用において極めて重要になります」とコメントしています。
電子に頼らず振動だけで情報を伝達できるカービンは、例えば温度や力のわずかな変化を光学的に検出する新種のセンサーとして、量子技術や材料計測の分野で活躍するかもしれません。
今回の研究は、ナノ物質の世界で起きていた不可解な振動現象の謎に終止符を打つとともに、一次元物質カービンの新たな側面と可能性を示した点で画期的です。
カーボンナノチューブという「入れ物」と内部のカービン鎖が織りなす量子的な振動のやりとりは、「ハイブリッド構造におけるフォノン相互作用」の極端な実例として、今後ほかの物質系にも普遍的に応用できる知見となるでしょう。
今後、さらなる理論研究や実験を通じて、カービンが持つ量子振動の制御性や感度を活かしたデバイス開発が進めば、私たちがまだ見ぬ新しいナノテクノロジーの扉が開かれるかもしれません。
元論文
Anharmonic effects control interaction of carbyne confined in carbon nanotubes shaping their vibrational properties
https://doi.org/10.1038/s41467-025-59863-3
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部