身体で「音のない重低音」聴く技術を開発

vr

日本の筑波大学(University of Tsukuba)で行われた研究によって、音を一切漏らさずにライブ会場さながらの“腹にズンと来る”重低音を再現する新技術「EMSサイレント・重低音専用スピーカー」が開発されました。

従来の重低音専用スピーカーといえば大音量で家全体を揺らすもので、迫力はあっても近所迷惑や防音コストの問題が避けられません。

しかし、このシステムは筋電気刺激(EMS)を利用して腹部の筋肉を電気で収縮させ、まるで低音が身体の中から響いてくるような感覚を生み出します。

しかも研究では繰り返し使うほど違和感が減り、 “慣れ効果”まで確認されリズム認知で有意、さらに一体感で優位傾向を示しました。

これまで“耳で聴く”だけだった音楽体験は、“身体で浴びて感じる”時代へと進化していくのでしょうか?

研究内容の詳細は『IEEE Access』にて発表されました。

目次

  • 音を出さずに迫力を届ける方法とは
  • 静かなのに重低音の衝撃がズシンとくる体感技術
  • 未来の音響は“身体がスピーカー”になる

音を出さずに迫力を届ける方法とは

音を出さずに迫力を届ける方法とは
音を出さずに迫力を届ける方法とは / 図は、「音」と「EMSによる電気刺激」を提示したときに、人がそれぞれをどのくらいのタイミングで感じるのか、その差を測るための実験の様子を表しています。 図の左上には、リズムの信号をつくるコンピューターがあります。そこから出されたリズム信号は、2つの方法で参加者に伝えられます。ひとつはスピーカーを使って音として出す方法、もうひとつはEMS送信機を使って、電気で筋肉を刺激する方法です。 どちらの場合も、参加者はリズムに合わせて机を指でトントンとタップします。そのタップ音はマイクで記録されます。そして、提示されたリズム信号と一緒に保存されます。 図の下にある波形を見ると、リズム信号とタップ音のタイミングが並んで表示されていて、赤い丸で「打点の瞬間」がわかるようになっています。これにより、音でタップしたときと、EMSでタップしたときのズレを計算できます。 この実験の結果、EMSによる刺激は、音のリズムよりも平均で約40ミリ秒(1000分の40秒)遅れて感じられることがわかりました。このズレをふまえて、後のVRライブの体験実験では、あらかじめ映像と音に40ミリ秒の遅れを加えて、体の感覚とぴったり合うように調整されました。Credit:Myoelectric Stimulation Silent Subwoofer Which Presents the Deep Bass-Induced Body-Sensory Acoustic Sensation

ライブ会場の「ドンッ」という重低音は、耳で聴くだけでなく体で感じる成分が大きいです。

とくに低い音は空気の圧力変化と、体の大きな筋肉や内臓に伝わる揺れが合わさって「響く感じ」を生みます。

しかし自宅で同じ体感を再現しようとすると、大きな音が近所迷惑になりやすいという問題が立ちはだかります。

重低音専用スピーカーは迫力がありますが、壁や床を震わせやすく、防音や設置スペースの負担も大きくなります。

そのため「音を大きくしないで体感だけ届ける」アプローチが注目されてきました。

これまでの代表例は、ベストや椅子に仕込んだモーターで振動を与えるデバイスです。

ただし振動デバイスは触れている一点が主に揺れるため、全身に広がるような「腹の底から来る感じ」を出しにくいという課題がありました。

ここで期待されているのが、筋電気刺激(EMS)という手法です。

EMSは筋肉に弱い電気刺激を与えて意図的に収縮させる技術で、リハビリやトレーニングでも使われています。

筋肉そのものが動くため、モーターで表面を震わせるのとは異なる「体の内側からの実感」を作りやすいと考えられます。

また、音をほとんど出さずに体感だけを提示できるので、集合住宅や夜間の鑑賞とも相性が良い可能性があります。

研究チームはこの特性に着目し、腹部の大きな筋群(腹直筋や腹斜筋など)に着ける小型のEMS装置で、重低音の「ドンッ」を静かに再現できるかを検証することにしました。

背景として、人は一般に触覚の立ち上がりを音よりわずかに遅く感じる傾向があるため、映像・音・触覚のタイミングを整えることも重要なポイントになります。

本研究の目的は大きく三つです。

第一に、EMSを使って「音を鳴らさずに重低音の身体感覚を提示する」コンセプトが実際に成り立つかを確かめること。

第二に、従来の方式(スピーカー+重低音専用スピーカーや身につける振動デバイス)と比べて、没入感やリズムの感じやすさなどがどの程度得られるかを評価すること。

第三に、初めての刺激でも使い続けるうちに慣れて評価が上がるのかという「慣れ」の効果を見極めること。

これらが達成できれば、騒音を出さずに音楽やVR体験の臨場感を高める、新しい家庭向けの選択肢を示せます。

静かなのに重低音の衝撃がズシンとくる体感技術

静かなのに重低音の衝撃がズシンとくる体感技術
静かなのに重低音の衝撃がズシンとくる体感技術 / 図1は、この研究で作られた「EMSサイレントサブウーファー」というシステムの流れを示しています。まず左側には、ライブの映像と音声があります。これがこのシステムに入力される音源です。その音から、まずドラムやベースギターなどをふくむ全体の音の波形(音の形)が取り出されます。 その次に、音の中から重低音だけを取り出す処理が行われます。ここでは、「ローパスフィルター(LPF)」という、低い音だけを通すしくみと、「キック検出器」というドラムの打点を見つける装置が使われます。この2つの仕組みで、低音の打点信号が作られます。 できあがった打点信号は、筋肉に電気で刺激を与えるためのEMS信号に変換されます。そして、図の右側にあるように、お腹に貼った電極パッドから腹部の筋肉に送られます。利用者は、ヘッドマウントディスプレイでライブ映像を見ながら、ヘッドフォンで音を聞き、同時にお腹に「ドンッ」という低音の衝撃を感じます。これによって、実際には周囲に音をほとんど出さずに、まるで会場のスピーカーの前にいるような迫力を体で体験できるのです。Credit:身体で”聴く”静音型ウェアラブル音響で「音のない重低音」体験を実現!

では本当に体で音を「聴ける」のでしょうか?

研究チームは、このEMS静音重低音専用スピーカーが本当に効果的かどうかを確かめるために、VRライブ映像を使ったユニークな実験を行いました。

実験に参加したのは、健康な成人24名です。

まず最初に、それぞれの参加者がEMSの電気刺激をきちんと感じられ、しかも不快にならないように強さを調整しました。

次に、参加者はヘッドマウントディスプレイ(HMD)とヘッドフォンを装着し、仮想のライブ会場にいるような空間で音楽を体験しました。

比較したのは3つの音響システムです。

1つ目はコンサート会場やホームシアターでよく使われる従来型のスピーカーと重低音専用スピーカーを組み合わせた方法です。

例えば、会場前方にある大きなスピーカーから音楽が流れ、床や空気全体が震えるあの環境を、そのまま室内に再現します。

重低音は空気を通じて身体に届き、お腹や胸が自然に揺れる感覚を作ります。

2つ目は、「Hapbeat Duo」という肩から首にかけて装着する市販のウェアラブル型振動デバイスを使う方法です。

見た目は細長いネックバンドのような形で、音楽の低音部分に合わせて内蔵モーターがブルブルと物理的に震えます。

たとえるなら、小型のマッサージ機を首元に装着して、ビートごとに震えが伝わるイメージです。

3つ目は、今回の研究で開発されたEMS静音重低音専用スピーカーを使う方法です。

こちらは腹部(腹直筋や腹斜筋)に貼り付けたパッドから筋肉に微弱な電気刺激を送り、音の低音パターンに合わせて筋肉を直接収縮させます。

結果として、お腹の奥からズシンと響くような感覚が生まれます。

外から震えを与えるのではなく、身体の内部から低音が湧き上がってくるのが特徴です。

参加者はロック、ポップ、クラシックという3つのジャンルの音楽を、それぞれの方法で聴き比べました。

そして、各方法について「没入感」「リズムの正確さ(リズム精度)」「音と身体の一体感」「快適さ」などを7段階で評価しました。

結果として、全体的にはスピーカー+重低音専用スピーカーの方法がもっとも高く評価されました。

特に、「好み」「没入感」「不快感の少なさ」では、他の方法よりも有意に良い結果が出ました。

音の調和(ハーモニー)でも、一部の場面ではスピーカー方式が上回っていました。

しかし、EMS静音重低音専用スピーカーも振動デバイスと同じくらいの満足度を示しました。

使い続けることで「慣れ」が生まれ、3回目の体験では、EMS方式のほうが振動方式よりもリズムを正確に感じる点で有意に高く、音と身体の一体感についても優位な傾向が見られました。

ただし、初回では方式間の差が小さいとは限らないため、慣れが鍵となります。

一方で、スピーカー方式については「もっとも没入感があったが、家庭では騒音が心配で使いにくい」といった声もあり、静かに使える音響技術の必要性があらためて感じられました。

興味深いことに、EMS静音重低音専用スピーカーについては、「使えば使うほど心地よくなる」という評価が多く見られました。

最初は、電気刺激で筋肉が震える感覚に少し戸惑う人もいましたが、繰り返し体験するうちに「刺激に慣れて心地よく感じるようになった」「音と身体が自然につながっているように感じるようになった」という意見が目立ちました。

実際、同じ参加者がこのデバイスを3回使ううちに、最初の体験よりも没入感や快適さがはっきりと高まっていました。

このような慣れによる効果は、統計的にも確認されています。

このことから、EMSを使った新しい音響体験は、人間の身体や感覚に十分に適応できる可能性があるとわかりました。

未来の音響は“身体がスピーカー”になる

未来の音響は“身体がスピーカー”になる
未来の音響は“身体がスピーカー”になる / 図9は、研究チームがこのシステムを実際に展示したときの様子を撮影した写真です。これは2022年に開かれた国際会議「UIST2022」でのデモンストレーションで、会場にブース形式で設置されました。 来場者は、自分のスマートフォンや音楽プレイヤーを持ち込んで、好きな音楽をその場で再生できました。その音楽の中から、システムが自動的に低音部分を抽出し、それをEMS信号に変換して、利用者のお腹に貼られたパッドを通して筋肉に送ります。 これにより、会場の中にいながら、自分の体の内側から重低音が響いてくるような、今までにない音楽体験を味わうことができました。写真には、実際にパッドを装着して、音に合わせた衝撃を受けている参加者の様子が写っています。 このデモでは、「普通のスピーカーでは味わえないリアルな感覚だった」「特に低音の立ち上がりが気持ちよかった」といった感想が多く寄せられました。このことから、この技術が今後、家庭での音楽鑑賞や映画・ゲームといったエンタメにも広く応用できる可能性があることが示されました。 Credit:Myoelectric Stimulation Silent Subwoofer Which Presents the Deep Bass-Induced Body-Sensory Acoustic Sensation

音を出さずに、身体に重低音を響かせる技術があれば、私たちの音楽やエンタメ体験は大きく変わるかもしれません。

たとえば、夜中でもお気に入りのバンドのライブのような迫力を、周りを気にせず楽しめます。

アパートなどの集合住宅でも、近所迷惑を気にせずに映画やゲームを大迫力で体感できます。

この技術は、音の振動を身体で感じ取ることができるため、耳の聞こえにくい人でも、音楽のリズムを「感じて楽しむ」手助けになるかもしれません。

研究チームは、今後このシステムをさらに進化させたいと考えています。

今は低音域だけを刺激していますが、将来的には「複数の音の高さ(周波数)」に対応できるようにして、中音や高音も身体で感じられるようにする予定です。

また、「振動の種類」も増やして、より細かな音のニュアンスを再現できる仕組みを加える計画もあります。

さらに、体の大きさや感度の違い、好みの音楽ジャンルに合わせて、電気刺激の強さやタイミングを自動で調整する「キャリブレーション機能」も視野に入れています。

これが実現すれば、誰でも自分にぴったりの「カスタム重低音」を楽しめるようになるでしょう。

今回の筑波大学の研究成果は、VRライブやゲームだけでなく、日常的な音楽の楽しみ方にも新しい風をもたらすかもしれません。

筋肉で音を感じるというこれまでにないアプローチは、あえて言うならば「人間の体そのものが楽器になる」ような未来の入り口とも言えます。

ライブ会場で感じる胸にズシンと響くあのベース音を、ヘッドフォンと小さなデバイスだけで体験できる日が来れば、エンタメはもっと自由で、もっと静かに、そしてもっと身体的なものへと進化していくことでしょう。

全ての画像を見る

参考文献

身体で”聴く”静音型ウェアラブル音響で「音のない重低音」体験を実現!
https://www.tsukuba.ac.jp/journal/technology-materials/20250808140000.html

元論文

Myoelectric Stimulation Silent Subwoofer Which Presents the Deep Bass-Induced Body-Sensory Acoustic Sensation
https://doi.org/10.1109/ACCESS.2025.3565283

ライター

川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。

編集者

ナゾロジー 編集部

タイトルとURLをコピーしました