シンガポール経営大学(SMU)などで行われた研究により、「社会階層が低い人」ほど、初めて会った人の生理的な変化に同調しやすいことが明らかになりました。
研究では他者との交流中に心臓の収縮が始まってから血液が送り出されるまでの時間(PEP)という生理的な指標が調べられており、社会階層の低い人ほど、相手の感情に合わせて自分の身体も自然に反応していることが確認されました。
この結果からは、社会階層の違いが初対面のコミュニケーションにおいて、目に見えない生理的なギャップを生んでいる可能性が浮かび上がっています。
この無意識の「身体の共感」は、実際に相手との関係性を深めることにつながっているのでしょうか?
研究内容の詳細は2025年7月14日に『Psychological Science』にて発表されました。
目次
- 社会階層を超えた交流は「諸刃の剣」なのか?
- 隠せない心臓の動きと社会階層の関係
- 社会階層を超えた壁は心や体に影響を与える
社会階層を超えた交流は「諸刃の剣」なのか?

社会階層とは、収入や学歴、職業、そして社会における地位の自己評価などからなる人々の社会経済的な位置を表す概念です。
一般に、社会階層が高い人ほど多くの資源にアクセスでき、社会的なアイデンティティや機会を脅かされにくいとされます。
一方で社会階層が低い人は、より多くの社会的困難に直面し、その結果として周囲の環境や他者の行動に敏感になりやすい傾向があると考えられています。
世界的に広がる経済格差により社会の分断が懸念されるなか、研究者や政策立案者は異なる階層間の交流を促進することで相互理解を深め、分断の橋渡しにしようと模索しています。
例えば大学や職場、地域社会で多様な階層の人々が交流する取り組みが進められていますが、こうした接触は「両刃の剣」とも言われます。
確かに直接の交流は人々をつなぐこともできますが、同時に違いを際立たせてかえって不快感や緊張を生む場合もあるのです。
現に、人々は想像以上に自分と異なる社会階層の他者との交流を避けており、たとえ交流が生じてもあまり親密さやつながりを感じられていないという研究報告があります。
特に自分自身が社会階層で下位にあると感じている人ほど、階層の異なる相手との接触に尻込みしがちな傾向も報告されています。
こうした背景を踏まえ、本研究では「初対面同士で、しかもお互いの社会階層をさりげなく認識した状況なら、人々の交流はどうなるのか?」という疑問が探られました。
社会階層によって、人は初めて会う相手への注意の向け方や振る舞い方が変わるのか。
そして会話を終えたとき、相手への感じ方(好感度)は階層の違いによって左右されるのか――。
特に研究チームは、一対一でリラックスした状況を作った場合、社会階層の違いが交流の質にどのような影響を及ぼすかを検証しました。
特に、「似た者同士効果」によって、同じ階層の人同士の交流のほうが好まれるのか、それとも階層の異なる相手とも同様に好ましい交流が成立するのかを確かめることを目的としました。
果たして人間関係は社会階層を容易に飛び越えられたのでしょうか?
隠せない心臓の動きと社会階層の関係

人間関係は社会階層を容易に飛び越えられるのか?
研究チームは、米サンフランシスコ都市圏で募集した成人男女264名(132ペア)を社会階層に関する事前調査によってグループ分けし、年齢・性別・人種が似た者同士で2人1組のペアを作りました。
ただし、実験途中の機器トラブルや参加者の離脱により2ペアが脱落し、最終的に130組(260名)で分析を行いました。
ペアのうち、48組(約37%)は似たような階層どうしのペア(高×高や低×低)、82組(約63%)は違う階層の人どうしのペア(高×低)でした。どちらのペアも、初めて会う相手どうしです。
実験ではペアの2人にいくつかの課題を行ってもらいました。
まずは自己紹介も兼ねたカジュアルな対話から始まり、協力して行う単語ゲーム、そして中立的な第三者に評価されるスピーチ課題まで、徐々に踏み込んだコミュニケーションを取っていきます。
最初の対話では「好きな食べ物や買い物をする店」などを話題にすることで、互いに相手の生活ぶりから社会階層をそれとなく感じ取れるよう工夫されていました(直接「年収はいくら?」と尋ねなくても、会話の端々から相手の暮らしぶりは伝わるものです)。
そのあと2人で協力してゲーム(言葉当てクイズ)をしたり、スピーチ課題に挑戦したりと、少しずつ仲を深める流れが用意されていました。
この研究が面白いのは、会話中に「心臓の動き」も調べていたことです。
もっと正確に言うと、「心室がギュッと縮んでから、大動脈という血管の弁が開くまでにかかる時間(PEP)」を特別な機械で測っていました。
このPEPが短くなると、緊張したり感情が高ぶっていたりすることを意味します。
つまり、「今この人はどれだけドキドキしているか」が体のサインとしてわかるのです。
また、会話中の挙動(はきはき話せているか、貧乏ゆすりなど落ち着きのない動作が出ていないか)もビデオ映像から専門家が評価しました。
さらに各タスクの後には、相手のことをどれくらい「好き」だと感じたか、どれくらい自分と「似ている」と感じたかについてアンケートに答えてもらいました。
こうしたデータを総合的に分析した結果、まず明らかになったのは、社会階層が低い人ほど、相手の体の反応に自分の体もよく反応していたということです。
相手の心臓がドキドキすると、自分の心臓も同じようにドキドキする――そんな風に、お互いの感情の波に「生理的に」合わせていたのです。
具体的には、低階層グループの参加者では会話中のPEPの変化が相手のPEPの変化とより密接に連動しており、まるで相手の感情の起伏に自分の心臓が寄り添うような状態になっていたのです。
しかもそれは、相手が同じ階層でも違う階層でも同じでした。
社会階層が低い人は、ある意味で誰に対しても生理反応が同調しやすいということが、体の反応からもわかったのです。
つまり社会的地位が低い人は、相手の階層に関係なく常に「相手本位」で敏感に反応していたと言えます。
次にわかったのは、相手が低い階層の人だと、会話が全体的にリラックスした雰囲気になりやすかったということです。
高い階層の人も低い階層の人も、相手が低い階層だったときのほうが、声がはっきりしていたり、落ち着いた動きだったりして、安心して話しているように見えました。
なお研究チームは、当初「高階層の人は会話の主導権を握りやすいのではないか」と予想していましたが、支配・主導の度合いについては階層間で差が見られませんでした。
これは、実験の課題が順番に発言機会を与える構成だったため、階層に関係なく互いに発言しやすい状況だったからだろうと考えられます。
しかし最終的な「好き」という評価に関しては、やはり自分と同じ社会階層の相手に対して高い好感度が示されました。
どのペアでも会話自体は概ねポジティブで楽しいものとなりましたが、対話後に「相手のことをどれくらい好きになったか」「相手と自分はどれくらい似ていると感じたか」を尋ねると、参加者たちは一貫して同じ階層同士のペアのほうを高く評価したのです。
言い換えれば、たとえ初対面の相手に丁寧に合わせてくれる心地よい交流があったとしても、人々の心の深い部分では「自分と似た者同士」のほうに安心感や親近感を覚えていたということです。
この傾向は社会心理学で昔から知られる「ホモフィリー(類は友を呼ぶ)」の原理そのものだと言えます。
今回の実験は、生理反応や行動観察といった無意識レベルの指標と、本人が感じたことを尋ねる意識レベルの指標を同時に測定しましたが、両者の間にはこのような「ずれ(ギャップ)」があることが浮き彫りになりました。
相手に対する生理的・非言語的な反応ではプラスの効果が現れても、最終的な好みの部分では同じ階層の相手を選んでしまうのです。
社会階層を超えた壁は心や体に影響を与える

今回の研究で明らかになったのは、社会階層が低い人ほど、相手の気持ちに敏感で、無意識のうちに気を配っているということです。
実はこれ、これまでの心理学の研究でも「そうかもしれない」と言われてきました。
たとえば、社会階層が高い人はお金や教育、立場に恵まれていることが多く、まわりの人や状況にそれほど振り回されることなく、自分の意見をはっきり言える傾向があります。
それに対して、階層が低い人は、社会の中で困難なことに直面することが多くなりがちです。
そのため、人の表情や雰囲気、ちょっとした言い回しなどに敏感になっていきます。いわば「空気を読む力」が自然と育っていくのです。
今回の実験でも、社会階層が低い人は初対面の相手に対しても、自分の心の動きや体の反応を相手に合わせるようにしていました。
これによって、相手もリラックスしやすくなり、会話全体が落ち着いた雰囲気になったのです。
まるで「この人といると安心するな」と感じるような、そんな雰囲気を生み出してくれていたのかもしれません。
不思議なことに、こうした「安心感」があっても、参加者たちが「この人が好き」「また話したい」と思った相手は、やっぱり自分と同じような社会階層の人でした。
たとえ相手がやさしくしてくれていたとしても、「自分とちょっと違う」と感じる相手とは、なかなか仲良くなれないというわけです。
これは、心理学の世界で「似た者同士効果」と呼ばれる考え方とも一致します。
人は、自分と似たような人のほうが安心しやすいし、好きになりやすいという、人間らしい本能とも言えるものです。
研究チームの人たちは、「たった一回の短い交流だけでは、階層を超えて仲良くなるのは難しいのかもしれない」と考えています。
この研究からわかるのは、社会階層の違いは、ただのお金や学歴の問題ではなく、人との関係の作り方にも影響しているということです。
そして、リラックスした会話ができても、それだけでは「仲良くなった」とは言いきれません。
もちろん、この研究はアメリカの特定の地域だけで行われたものなので、文化や国が違えばまた別の結果になるかもしれません。
けれども、この研究は、社会の中にある目に見えない「階層の壁」が、どんなふうに人の心や体に影響しているのかを教えてくれる大切なヒントになっています。
元論文
Socioeconomic Status Shapes Dyadic Interactions: Examining Behavioral and Physiologic Responses
https://doi.org/10.1177/09567976251350970
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部