イギリスのユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)で行われた研究によって、科学者たちは実験室で「生命の誕生」の最初のステップを再現することに成功しました。
生命はRNAという分子にアミノ酸が結び付くことで始まったと考えられていますが、その仕組みは長年謎のままでした。
今回、研究チームは地球が誕生した頃の環境に近い条件を整え、硫黄を含むエネルギー物質を使うことで、酵素を使わずにRNAとアミノ酸を自然に結合させることに成功しました。
これにより、RNAが初めてタンパク質を生み出す仕組みの一端が明らかになりました。
この成果は「生命はどう生まれたのか?」という人類最大の謎に対し、ごくシンプルな化学反応からでも生命らしい複雑さが生まれる可能性を示しました。
生命反応の基礎とも言えるRNAとアミノ酸はいかにして邂逅を果たしたのでしょうか?
研究内容の詳細は2025年8月27日に『Nature』にて発表されました。
目次
- 最初にRNAとタンパク質をくっつけたのは誰?
- 生命の最初の一歩、実験室でよみがえる
- 【まとめ】RNAとアミノ酸の「最初の出会い」を再現
最初にRNAとタンパク質をくっつけたのは誰?

生命はとても複雑ですが、分子のレベルで見ると主役になっているのは「タンパク質」です。
タンパク質は爪や皮膚や髪だけでなく、体の中のさまざまな働きを担う重要な分子です。
ただし、タンパク質は自分だけで自分を作り出すことはできません。
なぜなら、タンパク質は「アミノ酸」と呼ばれる小さなパーツがたくさんつながってできていて、どのような順番でつなぐかを示す「設計図」が必要だからです。
ここでいう設計図の役割を果たしているのが「核酸」と呼ばれる分子です。
特によく知られているのは「DNA(デオキシリボ核酸)」です。
DNAは生物の設計図を長期間保存する役割を持ちます。
でも、DNAはそのままではタンパク質を作る指示を出すことができません。
細胞がタンパク質を作るときには、DNAの情報を「RNA(リボ核酸)」という別の核酸分子にまずコピーします。
このRNAが持つ情報をもとに、材料となるアミノ酸が一つずつ組み込まれていき、実際のタンパク質合成が行われます。
ここで、「アミノ酸がどうやって運ばれるの?」という疑問が生まれるかもしれません。
アミノ酸は工場の部品のようなもので、それを運ぶトラックが「tRNA(転移RNA)」です。
この小さなRNAは、アミノ酸をしっかり運んで、組み立て場である「リボソーム」(タンパク質を組み立てる場所)に届けます。
ところが、この「tRNA」にアミノ酸を積み込む作業は、実はとても大変です。
この積み込みには「アミノアシルtRNA合成酵素」という特別な種類の酵素(生き物が持つ触媒役のタンパク質)が必要です。
でも、この酵素自体もタンパク質でできています。
つまり「タンパク質を作るためにはまず酵素が必要だが、その酵素はタンパク質でできている」という、ぐるぐると回る“堂々巡り”の問題が生じます。
これはよく言われる「鶏が先か卵が先か」というジレンマにそっくりです。
つまり、「最初の生命がどのようにして始まったのか?」という問いは、とても難しいものなのです。
この難題に対して、科学者たちは「生命の初期にタンパク質合成はどうやって始まったのか?」という疑問をもとに、いくつもの仮説を考えました。
その代表例が「RNAワールド仮説」と「チオエステルワールド仮説」です。
RNAワールド仮説は、DNAやタンパク質よりも前にRNAが主役だったと考える説です。
RNAは情報を持ちながら、簡単な化学反応を進める“便利な分子”でもあるからです。
一方、チオエステルワールド仮説は、硫黄を含んだチオエステルという化学物質が、初期生命のエネルギー源になっていたという考え方です。
チオエステルは、生物が活動するのに必要なエネルギーを運ぶ大切な役割を担っていた可能性があります。
しかし、これらの仮説にも大きな課題が残されていました。
たとえば「RNAとアミノ酸をつなぐ反応」が、水がたくさんある自然の中ではうまく進まなかったのです。
なぜかというと、アミノ酸をRNAにつなげるためには「活性化」(反応しやすくするための工夫)が必要ですが、活性化されたアミノ酸は水の中ですぐに壊れてしまい、長く持ちませんでした。
そのせいで、狙った反応よりもアミノ酸同士が勝手につながってしまう「無秩序な重合」という副反応が多く起きてしまい、RNAとアミノ酸をうまく結びつけるのが難しかったのです。
こうした問題を解決するため、今回の研究では「高度な酵素を使わず、なおかつ水の中で安定して進むシンプルな化学反応」を探し出すことが大きな目標となりました。
すなわち、RNAワールド仮説とチオエステルワールド仮説の間を橋渡しできるような新しい化学反応を発見し、「生命が最初にどのようにしてタンパク質合成を始めたのか」という謎に近づこうとしたのです。
生命の最初の一歩、実験室でよみがえる

研究チームは、まず「初期の地球にはどのような物質が存在したか」ということに注目しました。
約40億年前の原始地球には、現在の生物が持つような複雑な分子や酵素(たくさんの働きをする巨大な分子)はありませんでした。
そこで研究者たちは、「初期の地球に自然に存在した可能性が高いシンプルな分子」だけを使って、当時を再現する実験を計画しました。
ここで「分子」とは、いくつかの原子(炭素や水素など)が集まってできている、物質の最小の単位のことです。
研究チームが特に注目したのが「硫黄(いおう)」を含む物質です。
硫黄は、実は今の生き物にも欠かせない元素のひとつで、エネルギーを運んだり、さまざまな化学反応を助ける役割を担っています。
特に「パンテテイン」と呼ばれる分子は、現代の生物においてもエネルギーを運ぶ主役である「補酵素A(ほこうそえー)」の一部分としてとても大事です。
研究チームは以前の研究で、このパンテテインが初期地球の条件でも自然に合成できることを示しました。
今回の研究では、このパンテテインなど硫黄を含む物質(「チオール」と呼ばれます)を利用しました。
「チオール」とは、炭素や水素、硫黄を含む小さな分子のグループのことです。
これに「アミノ酸」を反応させて「アミノアシル-チオール」という特別な分子を作りました。
アミノ酸はタンパク質の材料になるとても小さな分子です。
しかし、アミノ酸はそのままではRNAとうまく結合できません。
そこで「アミノ酸を結合しやすくするための活性化分子」を使いました。
活性化分子には、NCA(アミノ酸N-カルボキシ無水物)、アミノアシル-アデニレート(ATPの仲間)、アミノニトリル(アミノ酸のもとになる分子)などが使われました。
これらの活性化分子を使い、アミノ酸とチオールを反応させることで、安定した「アミノアシル-チオール」を作り出したのです。
このようにして準備したアミノアシル-チオールを、今度はRNA(生命の設計図を伝えるリボ核酸という分子)の短い断片と混ぜ合わせました。
RNAとは、DNA(デオキシリボ核酸)と似ている分子で、生命の「設計図」の情報を運ぶ働きをします。
すると、驚くことに、特別な酵素(生体の化学反応を助ける大きな分子)や複雑な装置を使わなくても、RNA分子の末端部分にアミノ酸が自然に結合したのです。
この「結合」とは、アミノ酸がRNAの一番端っこに“ぴったりくっつく”ことを意味します。
しかもこの反応は、私たちが日常的に生活しているような穏やかな室温と、酸性でもアルカリ性でもない「中性」というやさしい条件で進みました。
これまでの実験では、活性化したアミノ酸は水の中ですぐに壊れてしまい、目的のRNAではなく、アミノ酸同士がランダムにつながる副反応が起こりやすかったのです。
たとえば、アミノ酸同士が好き勝手につながると、目的と違うバラバラな物質ができてしまいます。
ところが、今回の方法ではそのような副反応はほとんど起こらず、RNAの末端にだけピタリと狙ったように結合しました。
これは、RNA自身が持つ独特の立体構造(分子の形)がこの反応を手助けしたためだと考えられています。
次に研究チームは、「RNAにアミノ酸をのせた分子(アミノアシル-RNA)」ができた後、それらのアミノ酸同士をどのように結合させるかにも取り組みました。
ここで「アミノアシル-RNA」とは、RNAの端にアミノ酸がくっついた状態の分子のことです。
RNAにのったアミノ酸が結合してタンパク質になるには、アミノ酸同士が「ペプチド結合」という特別な結合でつながる必要があります。
ペプチド結合は、アミノ酸同士がまるで“ひも”で結ばれるように連なることで、タンパク質の鎖が作られる現象です。
そこで研究チームは、反応が起こる環境にさらに工夫を加えました。
具体的には、「チオ酸」というこれも硫黄を含む酸性の分子と、酸化剤(反応を促す物質)を加えました。
すると、RNA上にのっていたアミノ酸同士が次々とつながり、「ペプチド」という短いタンパク質の原型ができあがりました。
つまり、細胞内のリボソーム(タンパク質合成工場のような分子マシン)という複雑な装置を使わず、シンプルな化学反応だけでタンパク質合成の仕組みを再現できることが示されたのです。
このような分子の世界の出来事は、肉眼ではもちろん見えません。
そこで研究者たちは「分子の重さや構造を精密に調べることができる特別な分析装置」(たとえばNMR:核磁気共鳴装置や質量分析計)を使い、実験でできた物質を正確に確認しました。
さらに重要なポイントとして、この実験に使われたパンテテインやアミノ酸などの物質はすべて、炭素・水素・窒素・酸素・硫黄といった地球上で一般的に存在する基本的な元素でできています。
いわば「生命のレゴブロック」とも言える単純な化学物質だけで、生命につながる複雑な反応を起こせることが証明されたのです。
研究チームは、この反応が広大な海のような薄まった環境ではなく、池や湖などの狭く濃縮された環境で起きやすかったのではないかと考えています。
また論文では、こうした反応が凍結によって成分が濃くなった水溶液や、リン酸塩(生命にとって重要なミネラル)を含んだ環境で特に起こりやすくなる可能性も示されています。
これは、初期の地球が氷に覆われたり、水が蒸発して濃くなった環境で生命の最初の一歩が踏み出された可能性を示唆しています。
【まとめ】RNAとアミノ酸の「最初の出会い」を再現
今回の研究は、「生命はどのようにして地球に誕生したのか?」という、人類が抱き続けてきた大きな謎を解くための重要な前進を示しています。
この謎を解くカギの一つは、生命を支えるタンパク質がどのようにして初めて作られたのかを理解することです。
タンパク質は、生き物の身体や機能をつくるための中心的な存在ですが、それ自体はDNAやRNAの情報がなければ生まれることができません。
タンパク質はアミノ酸が一定の順序でつながった分子ですが、このアミノ酸をどの順序でつなぐかという設計図の役割を担っているのが「RNA(リボ核酸)」という分子です。
これまでは、アミノ酸をRNAにつなげるという重要なステップは、生物の細胞にある特殊なタンパク質(酵素)がなければ起こらないと考えられていました。
しかし、最初の生命が誕生した頃には、こうした便利な酵素は存在しなかったはずです。
そのため、多くの科学者が「RNAにアミノ酸を自然につなげる方法」を模索してきましたが、長い間うまくいきませんでした。
その難問を解決したのが今回の研究です。
研究チームは「チオエステル」という硫黄を含む特別な化合物を使うことで、酵素の力を借りずにRNAへアミノ酸を選んで結合させることに成功しました。
しかも、この反応は生命が生まれたばかりの原始的な地球の環境に近い、穏やかな条件下(中性の水の中)で進んだのです。
これは生命が誕生したとされる環境を考える上で非常に重要な意味を持っています。
また、この「チオエステル」は、現在の生物の中でもエネルギーを運ぶ役割を担っています。
つまり、この分子は生命の起源から現在まで、ずっと生命活動のエネルギー源として働き続けてきたと考えられます。
こうした事実は、ノーベル賞を受賞した科学者クリスチャン・ド・デューブが提唱した「チオエステルワールド仮説」とよく一致しています。
ド・デューブの仮説によれば、初期の生命では硫黄化合物(チオエステル)がエネルギーを供給し、生命活動を支えていたとされています。
一方、生命の起源についての別の代表的な考え方に「RNAワールド仮説」というものがあります。
こちらはRNAが遺伝情報を保ち、同時に化学反応を起こす役割を果たしていたという説です。
今回の研究成果は、この「RNAワールド」と「チオエステルワールド」という二つの仮説を結びつける新しい可能性を示したのです。
つまり、遺伝情報を伝えるRNAとエネルギー源のチオエステルが協力することで、最初の生命が動き始めたのではないかというシナリオを、現実味をもって示したことになります。
このように、「生命誕生」というとても複雑な謎が、意外にもシンプルな化学反応の組み合わせで説明可能になるかもしれない、ということが今回の重要な成果なのです。
しかし、もちろん生命の誕生をすべて解き明かすには、まだ解決すべき重要な課題があります。
特に重要なのは、「遺伝暗号」と呼ばれる仕組みがどのようにして生まれたのかという問題です。
遺伝暗号とは、RNAの特定の配列(並び方)が特定のアミノ酸と結びついているというルールのことです。
現在の生命は、この遺伝暗号のおかげで、RNAの情報をもとに正確にアミノ酸を並べてタンパク質を作っています。
しかし、このような精密なルールが初期の生命でどのように生まれたのかは、まだわかっていません。
研究チーム自身も、「タンパク質合成の起源という、もっとも困難でエキサイティングな問題が残っています」と述べ、この課題に取り組む意欲を示しています。
もしこの遺伝暗号の謎が解ければ、生命がどのようにして地球上で誕生したのかを説明する、さらに大きな手がかりが得られるでしょう。
また、今回明らかにしたような化学反応を積み重ねていくことで、より実際の生命誕生の状況に近い仕組みを実験室で再現できるかもしれません。
これは将来的に、私たちが「自分たちの存在の根源」を理解するための重要な手がかりになることが期待されるのです。
元論文
Thioester-mediated RNA aminoacylation and peptidyl-RNA synthesis in water
https://doi.org/10.1038/s41586-025-09388-y
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部