胎児は母体によって守られていますが、時にそれは治療を難しくさせます。
では、「生まれる前に病気を治す」ことは可能でしょうか。
アメリカのセントジュード小児研究病院(St. Jude Children’s Research Hospital)の研究チームは、脊髄性筋萎縮症(SMA)の胎児治療に成功したことを報告しました。
今回の研究では、母体を通じて胎児に治療薬「リスジプラム(Risdiplam)」を投与することで、出生時点での健康状態を大幅に改善できる可能性が示されました。
これは、従来の「生まれてから治療を始める」アプローチとは異なる、新たな医療の幕開けを意味します。
研究の詳細は、2025年2月19日付の『The New England Journal of Medicine』誌に掲載されました。
目次
- 脊髄性筋萎縮症で苦しむ乳児たち
- 胎児の治療に成功!「生まれる前に防ぐ」へ
脊髄性筋萎縮症で苦しむ乳児たち
脊髄性筋萎縮症(SMA)は、遺伝性の神経筋疾患であり、主に運動ニューロンが変性・消失することで筋力が低下していく病気です。
患者は徐々に自発的な運動ができなくなり、重症の場合は呼吸不全を引き起こし、生命を脅かします。
特にSMA1型は乳児期に発症し、適切な治療がなければ2歳までに亡くなるケースが多いとされています。

そしてあるケースでは、胎児の段階で既に症状が見られます。
SMAの治療法は近年進化しており、いくつかの薬剤が開発されています。
しかし、従来の治療は出生後に開始されるため、すでに進行してしまった神経の損傷を完全に回復することは困難でした。
病気が進行する前に対処できれば、より良い結果を得られるのではないか──そう考えた研究者たちは、新たな試みとして胎児のうちに治療を始める方法を検討しました。
そこで採用されたのが、経口薬「リスジプラム」です。
長年の研究により、リスジプラムはSMAの治療に安全かつ効果的であることが示されており、薬の投与を開始する年齢が若いほど、全体的な結果も良好です。
そして研究チームは、母親にこの薬を服用してもらい、胎盤を通じて胎児に有効成分を届けようとしました。
この方法ならば、胎児への負担を最小限に抑えつつ、より早い段階で治療を開始できる可能性があるのです。
胎児の治療に成功!「生まれる前に防ぐ」へ
研究チームは、SMAが確定診断された胎児の母親に、出産前の6週間、毎日リスジプラムを服用してもらいました。
検査の結果、母親が服用した薬は、さい帯血(へその緒と胎盤に含まれる血液)と胎児を包む羊水を通して、胎児に効果を及ぼすことが分かりました。

胎児の経過を慎重にモニタリングしながら治療を継続し、無事に健康な状態で出生することが確認されました。
そして出産後は、母親ではなく乳児にリスジプラムを投与し続けました。
生まれた赤ちゃんは健康な成長を続けており、生後30か月を迎えてもSMAの兆候は一切見られませんでした。
これまでSMA1型の患者は生後数か月で症状が現れることが一般的でしたが、今回のケースはそれを覆す画期的な成果となりました。
もちろん、今回の1例だけで治療を一般化することはできません。
安全性の確立など、克服すべき課題も残っています。
それでもこの成功は、SMA治療だけでなく、他の遺伝性疾患の治療法にも応用できる可能性を示しました。
いくつかの病気は、胎児期から治療を始めることで進行を防ぐことができるかもしれないのです。
「生まれた後に治療する」から「生まれる前に防ぐ」へ。
医学の進歩が、親と赤ちゃんにとって一層明るい未来を実現してくれます。
参考文献
Fetus Receives Life-Saving Medication Before Birth in Medical First
https://www.sciencealert.com/fetus-receives-life-saving-medication-inside-womb-in-medical-first
元論文
Risdiplam for Prenatal Therapy of Spinal Muscular Atrophy
http://dx.doi.org/10.1056/NEJMc2300802
ライター
大倉康弘: 得意なジャンルはテクノロジー系。機械構造・生物構造・社会構造など構造を把握するのが好き。科学的で不思議なおもちゃにも目がない。趣味は読書で、読み始めたら朝になってるタイプ。
編集者
ナゾロジー 編集部