日本の伝統技術「金沢金箔」の薄さと輝きを生む謎を解明

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日本の北陸先端科学技術大学院大学(JAIST)と大阪大学の研究グループによって、ユネスコ無形文化遺産にも登録された「金沢金箔」が、なぜ極限まで薄く叩き延ばしても破れず、特有の輝きを失わないのかという長年の謎が解明されました。

金沢産の金箔の製法「縁付(えんつけ)」は、金を和紙ではさんで何度も叩き延ばす手作業で知られ、2020年にはユネスコ無形文化遺産にも登録されています。

しかし、「なぜそんなに薄くしても金は破れず、しかもあのような輝きを保てるのか?」――その秘密は長らく科学的に解明されず、“金箔職人だけが知る黄金の謎”として残されてきました。

長年の謎が解明されたことで、伝統工芸の科学的な裏付けが得られただけでなく、金箔の安定供給や文化財修復への信頼性向上にもつながり、さらには新たなナノ材料や高性能薄膜への応用も期待されます。

果たしてそのメカニズムとはどのようなものだったのでしょうか?

研究内容の詳細は2025年9月26日に『npj Heritage Science』にて発表されました。

目次

  • 金沢金箔ではナノレベルの材料制御を伝統技術で達成していた
  • 金沢金箔の中で起きていた奇妙な現象を電子顕微鏡が捉えた
  • 和紙と槌が生んだ奇跡、次世代材料へのヒントに

金沢金箔ではナノレベルの材料制御を伝統技術で達成していた

7万回以上叩くことで厚さ100nmまで薄く延ばされます
7万回以上叩くことで厚さ100nmまで薄く延ばされます / Credit:金沢の金箔

金沢金箔は世界で最も薄い金属箔(100nm)として知られており、古くから日本の金箔生産を支えてきました。

そんな信じられないほど薄い金箔を生み出す秘訣は、金沢の伝統工芸「縁付(えんつけ)」という製法に隠されています。

これは、何枚もの金箔を交互に手漉きの和紙で丁寧に挟み込み、分厚い革で束ね、それを熟練の職人さんたちが木槌で叩き延ばしていく、気の遠くなるような手作業です。

叩く回数はなんと約15万回にもおよび、途中で何度も束を開いて中を冷まし、金の温度が100℃を超えないように保つ運用が報告されています。

叩いていると和紙の表面がどんどん滑らかになって摩擦が変化してしまうため、職人さんは途中で新しい和紙とこまめに交換するという工夫も欠かしません。

こうした気配りを重ねて、最終的に均一な薄さの金箔を仕上げていくのです。

金沢金箔はまさに「日本の宝」とも呼べる存在です。

寺社仏閣の荘厳な装飾から、重要な文化財の修復まで幅広く使われています。

その文化的な価値や卓越した伝統技術が評価され、2020年にはユネスコ無形文化遺産(世界が保護する価値があると認めた形のない伝統技術)にも登録されました。

金属でありながら、まるで光をまとった膜のような美しさを持ち、多くの人々を長年にわたって魅了し続けてきました。

でも、普通に考えると不思議なことだらけです。

例えば金属の板をハンマーでひたすら叩いたら、普通どうなるでしょう?

最初は固くて滑らかだった金属でも、叩き続ければだんだん硬くボコボコになり、内部の結晶構造(小さな結晶粒の集まり)はぐちゃぐちゃに乱れてしまいます。

また、叩いている間には金属内部に熱が発生し、熱が溜まると「再結晶」と呼ばれる現象が起きて、せっかく揃っていた結晶の向きがランダムに崩れてしまうのが普通なのです。

ところが、金沢金箔は違います。

どれだけ叩いても箔は破れにくく、結晶の向きがきれいに整っていることが観察されています。

まるで奇跡のようですよね。

いったい、金沢の職人さんたちの叩き方にどんな秘密が隠れているのでしょうか?

それが近年、科学の力で少しずつ解き明かされてきました。

実は1980年代頃には、金沢金箔をX線で調べた研究によって、厚さが0.3マイクロメートルより薄くなると、結晶の向き(結晶方位)が突然安定した方向に揃い始めることがわかっていました。

当時から、この変化は「交差すべり」(原子のずれが結晶の中で別の道筋に逃げる現象)が関係しているのではないかと予想されていました。

でも、「なぜ室温でそんな特別な現象が起きるのか?」という理由までは、ずっと謎のままだったのです。

なぜなら、普通の金属加工では、高温で加工しない限り、結晶の方向がきれいに揃うことなどあり得ないからです。

もし仮に、金沢金箔の職人たちが常温のまま、何百年も前から原子レベルで結晶の向きを制御していたのだとしたら――。

それはもう、職人の技というより、まるで「ナノレベルのマジック」のような話です。

金沢金箔はいかにしてナノレベルの材料制御を実現していたのでしょうか?

金沢金箔の中で起きていた奇妙な現象を電子顕微鏡が捉えた

金沢金箔の中で起きていた奇妙な現象を電子顕微鏡が捉えた
金沢金箔の中で起きていた奇妙な現象を電子顕微鏡が捉えた / (a) 金沢金箔の写真。(b)金沢金箔の電子後方散乱回折(EBSD)から得た方位マップ。色は、箔打ち方向に対する結晶方位を示します(赤は、[001]方位)。(c) 最終段階の金沢金箔のTEM像。黒い帯に対応する[110]方位に沿ったすべり帯は、お互いに直交しています。Credit:ユネスコ無形文化遺産「金沢金箔」の薄さと輝きを生む謎を解明―伝統工芸と材料科学が出会う、新たな発見―
金箔の謎に挑んだのは、北陸先端科学技術大学院大学(JAIST)を中心とした研究チームです。

金箔を作る工程では、まず金をある程度薄く伸ばした中間状態の「金澄(きんずみ)」と、最終的な極薄の「金箔」と呼ばれる2種類があります。

研究チームは、この2つのサンプルを用意し、電子顕微鏡を使って詳しく調べました。

電子顕微鏡にもいろいろありますが、今回は特に「電子後方散乱回折法(EBSD)」という方法で金属表面の結晶の向きを調べ、「超高電圧電子顕微鏡(UHV-TEM)」という特殊な顕微鏡で、箔の内部の非常に細かな構造を観察しました。

その結果、まず中間状態の金澄では、結晶の粒の向きが比較的バラバラで、まだ整列していませんでした。

この状態でも金の内部には「転位」という小さな結晶のズレが大量に存在していましたが、「再結晶」という現象(熱でズレがきれいに作り直される)が起きていないと判断されました。

しかし驚くべきはここからです。

叩いてさらに薄くなった最終段階の金箔では、結晶の粒がまるで綺麗に整列したドミノ倒しのように一定の向きに揃っていたのです。

このように結晶の向きが揃った状態を「キューブテクスチャ」と呼びますが、専門家でなくとも「普通じゃないな」と直感的に感じるくらい特別な現象なのです。

さらに顕微鏡で箔の内部をじっくり見ると、もっと驚くべきことがわかりました。

金箔の中に無数の細かな縞模様のような線が現れていて、その縞模様がなんと互いに直角に交わっていたのです。

これは普通の金属加工ではまず目にすることのない、とても珍しい状態です。

(※この縞模様の正体は「すべり帯」と呼ばれるもので、金属の結晶が叩かれて変形したときに原子の層がズレることで生じる模様です。)

ふだん目にする金属というのは、実は小さな「結晶」の粒がぎっしり集まった構造をしています。

目には見えない細かさですが、この小さな結晶たちはそれぞれ規則的に原子が並んでいて、何かの力が加わると、その原子同士の並びが少しだけ「ズレ」たり「ゆがんだり」します。

例えば金属をハンマーで叩くと、表面は変形し、その内部では結晶の粒の並び方にも細かなズレが生じます。

これを科学者は専門用語で「転位」と呼んでいますが、単純に言えば、金属の結晶がストレスを受けて、「原子の並びがちょっとズレてしまった」と理解すればOKです。

さて、普通の金属では、このようなズレ(転位)は特に起きやすい方向、つまり「ズレやすい結晶の面」に集中して発生します。

これには理由があって、結晶というのは原子が一定方向に規則正しく並んでいるので、原子同士の結びつきが弱い面(専門的には「{111}面」と言われます)から、まず最初にズレが生じてしまうのです。

ところが、金沢金箔ではなんとも奇妙なことが起きました。叩き続けて薄くなっていくうちに、通常ではまずズレが起こらないはずの「{110}面」という面で、ズレがとても活発に発生したのです。

本来ズレにくいはずの方向にズレが起きてしまったために、金箔は非常に珍しい特徴をもつようになりました。

その珍しい特徴とは、「結晶の向きが、ある一方向にきれいに揃ってしまう」という現象でした。

では、どうしてこんな不思議なことが起きたのでしょうか?

その理由の一つは、職人さんたちが「常温のまま」金属を叩き続けたことにありました。

通常、金属に強い力をかけ続けると、小さな結晶のズレがどんどん溜まっていきます。

ズレが溜まりすぎると、結晶の内部はぐちゃぐちゃに乱れたり、あるいは熱の影響で「再結晶」という現象が起き、原子が並び直されてしまうのが普通です。

しかし金沢金箔では、常温で叩く工程を丁寧に繰り返したことで、再結晶が起きないままズレがずっと残り続けることになりました。

こうなると結晶の中には、大量のズレが行き場を失って「大渋滞」を起こしたような状態になります。

金属の内部では原子が規則的に並んでいるため、一度起きたズレは逃げ場がなく、その場にどんどん溜まってしまうのです。

ところが、さらに叩いて金箔が究極的に薄くなってくると、そのズレの一部が金箔の表面から少しずつ外に逃げ始めました。

その結果、金属内部には特別な形をした「ねじれ型」のズレ(科学的には「らせん転位」と呼ばれる)だけが大量に残りました。

この「ねじれ型のズレ」は普通のズレに比べて自由に動き回りやすく、普段なら決して使わないような「ズレにくい方向({110}面)」にも逃げ込んでしまったのです。

イメージとしては、大渋滞の幹線道路を避けて、いつもなら通らないような細い裏道や横道にクルマが次々に流れ込んでいくような感じです。

こうして、本来ズレが起きるはずのない面に次々とズレが発生した結果、金箔の中の結晶は、不思議なほど一方向にきれいに揃ってしまったというわけです。

これが、金沢金箔の「特別な薄さ」と「美しい輝き」の秘密を支えるメカニズムでした。

さらに重要なポイントがあります。

それが「和紙」の存在です。

職人さんたちは和紙で金箔を上下から挟み込み、箔を束ねた革の包みを何度も途中で開いて中を冷やすことを繰り返していました。

この工程によって箔が熱くなりすぎることが防がれ、常に低温の状態が保たれました。

これが再結晶を起こりにくくし、先ほど説明したような特殊な「転位の渋滞」と「交差すべり」を連続的に引き起こしていたのです。

言わば、職人さんたちの「和紙を使った技」が原子レベルで金属を制御することにつながっていました。

伝統工芸がナノレベルで金属を操るという、まるでマンガのような話が実際に起きていたわけです。

この発見は、金沢の職人さんたちが素材の持つ能力を最大限に引き出していたことを科学的に裏づけるものとなりました。

和紙と槌が生んだ奇跡、次世代材料へのヒントに

和紙と槌が生んだ奇跡、次世代材料へのヒントに
和紙と槌が生んだ奇跡、次世代材料へのヒントに / Credit:Canva

今回の研究は、金沢金箔の「奇跡的な薄さと輝き」を支える職人技が、じつは科学的にも非常に理にかなっていることを明らかにしました。

伝統技術を科学でひも解いてみると、長年の経験から生まれた「和紙を挟んで叩き延ばす」という一見シンプルな工夫が、実は原子レベルの絶妙なコントロールを可能にしていたわけです。

まさに職人さんたちは、ずっと昔から無意識のうちにナノサイズの結晶を精密に制御する原子レベルのエンジニアリングを実践してきたとも言えるでしょう。

この発見の何がすごいかというと、まず伝統技術の確かな裏付けが得られたことです。

これまでは「なぜ金沢の金箔が特別か」と聞かれても、「長年の経験と勘」としか答えられませんでした。

でも、今回の研究で「和紙で温度を調整しながら常温で叩き続けることで、特殊なすべり現象が引き起こされている」と説明できるようになったのです。

これは、文化財修復で金箔を使用する際にも、信頼性がぐっと増しますし、職人技の伝承にも役立ちます。

また、材料科学という視点から見ると、さらに深い意味が見えてきます。

実は今回の金沢金箔で観察されたような特異なすべり現象は、普通の金属加工の常識からは外れていました。

通常なら、金属の結晶を揃えるには高温に熱して加工する必要がありますが、金沢の職人技は常温で同じ結果をもたらしたのです。

つまりこれは、薄さがある限界を超えると、結晶の内部で「普通では起きにくいすべり(変形)」が起きる可能性を示した、貴重な科学的発見でもあります。

この知見は、今後の材料開発にも大きな刺激となるでしょう。

例えば、電子デバイスやセンサー、さらには新しいタイプの装飾材料など、ナノサイズで結晶の向きを巧みに操ることができれば、これまでにない新素材が生まれるかもしれません。

金沢金箔は単なる美しい伝統工芸品としてだけでなく、「未来の技術革新へのヒント」としても新たな可能性を秘めています。

金沢金箔が教えてくれたのは「極限まで薄くなることで、金属の常識が通じなくなる」ということです。

薄さというのは、ただのサイズの問題ではなく、「科学の常識すら変えてしまう可能性」を秘めているわけで、これは金属材料の研究者にとっても、かなり衝撃的な事実だったと思います。

これからのナノ材料開発は、もしかすると「いかに薄くするか」という視点が、これまで以上に重要になってくるかもしれません。

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参考文献

ユネスコ無形文化遺産「金沢金箔」の薄さと輝きを生む謎を解明―伝統工芸と材料科学が出会う、新たな発見―
https://www.jaist.ac.jp/whatsnew/press/2025/10/07-1.html

元論文

Deformation mechanism behind the unique texture of Kanazawa gold leaf
https://doi.org/10.1038/s40494-025-02055-5

ライター

川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。

編集者

ナゾロジー 編集部

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