“悪魔の階段”に挑む時間結晶――カオスへ滑り落ちる最前線

カオス

時間が凍りついたかのように、長時間安定してリズムを刻む不思議な“時間結晶”。

ドイツのドルトムント工科大学(TU Dortmund)で行われた研究によって、この頑丈そうな時の結晶が、ある「階段」によってカオスと隣り合わせになる現象が見つかりました。

半導体スピンの中で生まれる繊細な振動――そこにごくわずかな外部刺激を与えると、“悪魔の階段”と呼ばれる階段状の同期パターンがはっきりと立ち現れ、端の部分で複数のモードが干渉し合い、カオスへと移行していく様子が捉えられました。

いったい、時間の結晶はどうやってこの“悪魔の階段”と共存し、新たな秩序を見いだすのでしょうか?

研究内容の詳細は『Nature Communications』にて発表されました。

目次

  • 時間も結晶と悪魔の階段
  • 悪魔の階段:秩序とカオスのはざまで
  • “わざとカオス”を操る時代――時間結晶が示す新世界

時間も結晶と悪魔の階段

“悪魔の階段”に挑む時間結晶――カオスへ滑り落ちる最前線
“悪魔の階段”に挑む時間結晶――カオスへ滑り落ちる最前線 / 図5は、外から一定のリズム(刺激)を加えたときに、システムがどのように自分の振動リズムを変えるかを色で示したグラフです。 横軸には、システム本来の振動の速さと、外部から与えられる刺激の速さとの比率がプロットされています。 この比率が例えば「1/2」や「2/3」になると、システムは外部リズムにぴったり合わせて動き始め、その状態がグラフ上では水平な段差(プラトー)のように現れます。 まるで階段を一段ずつ上るように、こうした同期状態が連続して見えるため、この現象は「悪魔の階段」と呼ばれています。 さらに、この階段パターンは拡大してみても同じような形が繰り返され、無限に続くかのような自己相似の構造、すなわち「フラクタル構造」を持っています。/Credit:Alex Greilich et al . Nature Communications (2025)

時間という目に見えない軸にも、塩や金属の結晶のように規則正しいリズムが生まれる――そんな奇想天外な発想を提唱したのが、ノーベル賞受賞者でもあるフランク・ウィルチェックでした。

ふつう「結晶」といえば、空間内で原子がきれいに並ぶイメージを思い浮かべるかもしれません。

ところが、時間結晶では空間ではなく時間の流れそのものが循環するように繰り返されると考えます。

たとえばメリーゴーラウンドが、誰にも邪魔されずに回り始めたら、いつまでも同じリズムでくるくると回り続けるようなイメージです。

もしそんな状態が自発的に生まれて保たれるなら、“時間が結晶のように固まった”といってもいいのではないか――これが時間結晶のアイデアです。

最初は「そんなもの本当にできるの?」と疑う声も多かったのですが、その後「連続時間結晶(CTC)」や「離散時間結晶(DTC)」といった概念が提案され、冷却原子や半導体などいろいろな系で「実験的に実在するかもしれない」と分かってきました。

特に、インジウムを混ぜたヒ化ガリウム(InGaAs)と呼ばれる半導体では、電子スピンと核スピンが“お互いに回転を支え合う”ような循環的な相互作用を形成し、まるでずっと振り子が揺れ続けるかのように自己振動を保つとわかったのです。

しかし、この世界にはもう一つ、とびきり不思議な存在があります。

それが「悪魔の階段(デビルズ・ステアケース)」です。

これは、振動している物体に外から一定のリズムで刺激を与えるとき、その刺激のリズムと物体自体の振動リズムが「ちょうどいい分数比」や「整数比」でピタッと合ってしまう(同期してしまう)ポイントが、階段の段差のように次々と並ぶ現象を指します。

さらに、その階段のようなパターンは「フラクタル構造」と呼ばれ、どれだけ拡大しても、同じような段差がいくらでも続くのが特徴です。

その果てしなく続く階段を“悪魔”にたとえて、「悪魔の階段」と呼ばれています。

この悪魔の階段を調べると、秩序のあるきれいな振動がどのように乱れてカオス(無秩序な動き)に変わっていくか、その境目がどこなのかを知る手がかりになります。

また、どんな条件で振動がきちんと揃うのかを理解することもできます。

では、ずっと同じリズムを保ち続ける“連続時間結晶”と呼ばれる半導体スピンの仕組みに、ほんの少しでも周期的な変化を加えたら、いったいどんなことが起こるのでしょうか。

強固な結晶リズムがあっさり崩れてしまうのか、それとも一段下の段差に“はまり込む”ようにして別の周波数で同期を起こすのか、あるいは階段の端(へり)で跳ね回ってカオスに突入するのでしょうか?

そこで今回の研究では、そうした「頑丈そうに思われた時間結晶」が、少しの刺激を受けるだけでどのように変化し得るかを詳しく調べました。

悪魔の階段:秩序とカオスのはざまで

“悪魔の階段”に挑む時間結晶――カオスへ滑り落ちる最前線
“悪魔の階段”に挑む時間結晶――カオスへ滑り落ちる最前線 / Credit:Canva

時間結晶に刺激を与えたらどうなるのか?

謎を解明するため研究チームはまず、インジウムを少しだけ混ぜたヒ化ガリウム(InGaAs)の半導体を用意し、その中で電子スピンと核スピンがお互いを支え合うように振動する仕組み――いわゆる連続時間結晶――を作り出しました。

イメージとしては、小さな磁石同士が連携し合いながら、ほぼ一定のリズムで回転し続ける状態を保つようなものです。

次に、そのリズムを“ほんの少しだけ揺さぶる”ため、レーザー光の偏光を周期的に変えて外部から刺激を与えました。

すると、ぴったり同期してリズムが合う周波数帯がいくつも見つかっただけでなく、ちょっとした条件の変化で突然リズムが乱れ、カオスのように不規則になる場面も捉えられました。

さらに、周波数を連続的に変えていくと、悪魔の階段と呼ばれる階段状のパターンが鮮明に浮かび上がり、階段の端では複数の周波数成分が干渉し合ってカオス状態に突入することも確認されたのです。

要するに、外からわずかな刺激を加えるだけで、安定していた時間結晶が思ったより繊細にいろいろなリズムへ変化していくことがわかったわけです。

“わざとカオス”を操る時代――時間結晶が示す新世界

“悪魔の階段”に挑む時間結晶――カオスへ滑り落ちる最前線
“悪魔の階段”に挑む時間結晶――カオスへ滑り落ちる最前線 / Credit:Canva

これまで多くの人は、時間結晶と聞くと「いったん振動を始めたら、そのままずっと安定して動き続けるもの」というイメージを抱きがちでした。

しかし今回の研究を通じてわかったのは、そんな安定なはずの時間結晶が、わずかな外部刺激によって新たなリズムへすんなり移行したり、カオスに近い不規則な動きを示したりするほど柔軟性を秘めているということです。

しかも、この意外な不安定性と安定性の混ざり合った状態を、私たちの日常生活を支える半導体スピンで再現できたという点が非常に画期的といえます。

もし、「わざと時間結晶をカオス寄りに揺さぶり、周波数を自在に操る」ような制御技術が確立されれば、高精度の発振器や超精密なタイミング制御装置、さらにはカオスを使った暗号通信システムなど、幅広い応用が考えられます。

実際、同期とカオスは裏表の関係にあり、きちんと合っていたリズムから少しずれただけで、複数の周波数成分が衝突して“混沌”を生み出すのです。

その“悪魔の階段”と呼ばれる境界領域が持つ魅力は以前から理論的に示唆されていましたが、今回のように実験で鮮明に捉えられた例は極めて珍しいといえます。

そして、連続時間結晶が「まるで固い結晶のように時を刻む」というイメージを覆し、実はフラクタルの階段を一歩ずつ上り下りするように変化し続けているらしい、という知見を得られたことも大きな収穫です。

今後はさらに高い周波数領域や、量子的な現象が加わる場面でも時間結晶と悪魔の階段がどう絡み合うのかを探っていくことで、新しい物性の発見や制御技術の誕生につながるのではないかと期待されています。

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元論文

Exploring nonlinear dynamics in periodically driven time crystal from synchronization to chaotic motion
https://doi.org/10.1038/s41467-025-58400-6

ライター

川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。

編集者

ナゾロジー 編集部

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