幼少期の虐待がもたらす残酷な影響が判明【重要な脳領域が小さいまま】

PTSD

幼少期に虐待を経験した人は決して少なくありません。

では、そんな体験は脳にどんな影響を与えるのでしょうか。

ブラジルのサンパウロ大学(USP)の研究チームは、子どもの虐待経験と脳の発達、とりわけ「記憶」や「感情」を司る海馬との関係を、思春期に至るまで長期的に追跡するという調査を行いました。

その結果、虐待を経験した子どもは、右側の海馬の容積が成長全体を通して小さい傾向を示し、その差は思春期まで持続することが明らかになったのです。

研究の詳細は、2025年1月8日に『Psychological Medicine』誌に掲載されました。

目次

  • 児童虐待は「成長過程の脳」にどんな悪影響を及ぼすのか調査
  • 幼少期の虐待が右海馬を持続的に縮小させると判明

児童虐待は「成長過程の脳」にどんな悪影響を及ぼすのか調査

「虐待は心の傷を残す」──これは一般的に知られている事実です。

しかし、その傷が脳のかたちにまで刻まれている可能性があると聞いたら、どう感じるでしょうか?

今回の研究の焦点となったのは、「海馬」という脳構造です。

海馬は、記憶の形成や感情の調節、ストレス応答などに深く関わる脳の部位であり、うつ病やPTSDといった精神疾患との関連が強く指摘されています。

特に、慢性的なストレスやトラウマによって海馬が萎縮することが、成人の脳で報告されてきました。

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幼少期の虐待は子供に様々な悪影響をもたらす / Credit:Canva

しかし、「子どもの脳」ではどうなのでしょうか?

これまでの研究の多くは断面的な「スナップショット」型であり、成長とともにどのような経過をたどるのか、長期的な視点で捉えた研究はごくわずかでした。

さらに、ほとんどのデータが欧米の高所得国に偏っており、世界人口の大半を占める低中所得国での脳発達に関する知見は、圧倒的に不足していました。

このような背景のもと、ブラジルの研究チームは「子ども時代の虐待が、成長とともに脳の海馬にどのような影響を及ぼすのか」を明らかにするべく、画期的な縦断研究をスタートさせました。

研究では、2009年から2019年にかけて、ブラジルのサンパウロ市とポルトアレグレ市の2都市から集められた6〜12歳の子ども795名を対象に、最大3回(ベースライン、3年後、6年後)の脳MRIスキャンを実施し、各時点でのデータから縦断的な分析を行いました。

虐待歴の評価には、親と子ども双方へのインタビューが用いられ、身体的虐待、性的虐待、感情的虐待、育児放棄(ネグレクト)の4種類について調査が行われました。

そして得られた回答を因子分析にかけ、親と子どもの報告を統合した「虐待レベルのスコア」を算出。

その上で、参加者を「高虐待群」と「低虐待群」に分類しました。

加えて、MRI画像から左右の海馬の容積を算出し、虐待経験の有無が脳の構造に与える影響を、年齢や性別、抑うつ症状の有無、さらには海馬の遺伝的リスクなどを加味して解析するという、非常に緻密なモデルが構築されました。

では、この研究の結果は何を示すのでしょうか。

幼少期の虐待が右海馬を持続的に縮小させると判明

調査の結果、23%の子供が少なくとも1種類の虐待を経験しており、約4%が何らかの抑うつ症状、31%が何らかの精神障害を抱えていると分かりました。

そして最も重要な発見は、右側の海馬の容積が、虐待を受けた子どもで成長を通して小さい傾向を示したという点でした。

通常、海馬の容積の発達は加齢とともに増加し、思春期にピークを迎えてからはゆるやかに安定または減少していく傾向があります。

ところが、高虐待群の右海馬では、その成長の開始点が低く、全体的に容積が抑えられたまま推移することが示されました。

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幼少期に虐待を経験すると右の海馬が小さいままだった / Credit:Wikipedia Commons

さらに驚くべきは、この傾向が思春期(17歳前後)まで持続したということです。

つまり、成長とともに「追いつく」ような回復傾向は見られなかったのです。

この関連性は、思春期の抑うつ症状の有無や、海馬容積に影響する遺伝的要因を統計的に調整した後でも有意でした

一方、左側の海馬については、統計的には有意な差は認められませんでした

海馬は脳の左右に存在しており、各側でやや異なる役割を持つとされています。

一般に、右海馬は空間的記憶やストレス応答に関わる機能が強く、左海馬は言語的記憶や事象の記憶に関係しているとされます。

そのため、今回の研究で右海馬にのみ有意な容積の縮小が見られたのは、幼少期の虐待がもたらす慢性的なストレスが、特に右海馬の発達を阻害しやすい可能性を示しているのかもしれません。

今後は、さらなる追跡によって成人期の脳構造・機能や認知・精神状態への影響、さらには社会的成果(たとえば学業の達成度、職業的安定性、対人関係の質など)への波及を検討する必要があるでしょう。

子ども時代の環境が、その人の記憶や感情の処理に関わる脳の機能そのものに長期的な影響を及ぼす。

そんな事実を、私たちはもっと真剣に受け止めるべきなのかもしれません。

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参考文献

Maltreatment in childhood linked to smaller hippocampus volume through adolescence
https://www.psypost.org/maltreatment-in-childhood-linked-to-smaller-hippocampus-volume-through-adolescence/

元論文

Childhood maltreatment and the structural development of hippocampus across childhood and adolescence
https://doi.org/10.1017/S0033291724001636

ライター

大倉康弘: 得意なジャンルはテクノロジー系。機械構造・生物構造・社会構造など構造を把握するのが好き。科学的で不思議なおもちゃにも目がない。趣味は読書で、読み始めたら朝になってるタイプ。

編集者

ナゾロジー 編集部

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