「ちっさ」「ざっこ」「情けない」――そんな否定や罵倒セリフを聞いて”ご褒美”と喜ぶ人たちがいます。
罵倒や否定のASMRというコンテンツも根強い人気があります。
しかし、相手に罵倒されれば、普通はムッとしたり、腹が立ったりするはず。
それなのになぜ恋人や推しキャラの否定や侮辱の言葉だと、心地よく感じる人がいるのでしょうか?
これは心理学で「感情的マゾヒズム」「良性マゾヒズム」と呼ばれる傾向に関連していると考えられます。
今回は、この「罵倒されることに喜びを感じてしまう人の心理」とは学術的にどう解釈できるのかを解説していきます。
目次
- 罵倒が「ご褒美」になる心理の背景
- 「本気で嫌われているわけではない」という安心感
罵倒が「ご褒美」になる心理の背景

「マゾヒズム」という言葉は、もともと肉体的な痛みを快感に感じる傾向として知られていますが、心理学の世界ではもう一つ、「感情的マゾヒズム」と呼ばれるタイプがあります。
これは、肉体的な苦痛ではなく、言葉による否定や侮辱、恥をかく状況など、感情を傷つける刺激を心地よく感じる傾向を指します。
これは信頼している相手や好意を持つ相手との間でだけ成立することが多く、その背景にはいくつかの心理的な要因が関係しています。
研究や臨床報告によると、感情的マゾヒズムには次のような心理的背景が関わるとされています。
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自己評価の低さ
自己評価が低い人は、褒められても「本当の自分をわかっていない」と感じることがあります。 むしろ否定や侮辱の言葉の方が、「自分の本当の姿を見抜かれている」という感覚を与え、安心感につながる場合があります。 -
罪悪感の解消
過去の失敗や迷惑をかけた記憶から罪悪感を抱えていると、罵倒されることで「罰を受けた」という感覚が得られ、心理的な負担が軽くなります。 -
権力関係の安心感
相手が優位で、自分が劣位に置かれる状況は、責任や判断の負担から解放される感覚を生むことがあります。 支配される立場は、ある意味「守られている」状態でもあるのです。 -
注目・関心の獲得
否定的な形であっても、自分が相手の意識の中心にいることに満足する場合があります。 これは子どもがわざと親を怒らせる行動や、SNSでわざと挑発的なコメントをする行動と似ています。
ただ、こうした心理的背景があったとしても、当然誰に罵倒されても嬉しいというわけではありません。日常生活の中で罵倒されれば不快感や不安を感じるのが当たり前です。
罵倒されて喜べる背景には、もう1つ重要な要因があります。
「本気で嫌われているわけではない」という安心感
感情的マゾヒズムが成立するためにもう一つ重要なのが、「安全な文脈」という要素です。
これは心理学者ポール・ローゼン(Paul Rozin)らが提唱した「良性マゾヒズム」の特徴と共通しています。
良性マゾヒズムとは、危険がないとわかっている状況だと、不快や恐怖を楽しめる傾向を指します。
たとえば、絶叫マシンは「あくまで安全が確保された娯楽」とわかっているからこそスリルを楽しめます。ホラー映画やゲームも同様で、命を危険にさらす恐怖を安全な場所から楽しみます。これらは良性マゾヒズムの一種とされます。

同じことが好きな人の罵倒にも当てはまります。
信頼できる相手や好意を持つ相手から罵倒されるというコンテンツは、本気で嫌われているわけではないと理解しているため、そこで生じる不快感を脅威とは感じません。
この「安全な不快感」は、ホラー映画を楽しむように、安全だとわかっているからこそ味わえる刺激として受け止められます。その結果、関係性にちょっとしたスリルや高揚感を与える「演出」として作用するのです。
一方で、職場の上司や見知らぬ人からの罵倒は安全地帯の外で起きる出来事です。そこには信頼関係も冗談の余地もないため、単なるストレスや脅威として受け止められます。
つまり、罵倒が“嬉しい”と感じられるかどうかは、相手との関係性と安心感によって大きく変わるのです。
罵倒がご褒美に変わる瞬間
罵倒されることで喜びを感じる現象は、単なる変態というではありません。
そこには、心理学でいう良性マゾヒズムの安全なスリルに加え、自己評価や罪悪感、権力関係、注目欲求といった複数の心理的要因が絡み合っています。
信頼できる相手からの罵倒は「本気で嫌われていない」という安全地帯を前提に、不快感をスパイスへと変えることができます。その上で、自分の本質を見抜かれたような安心感や、罪の償いをしたような解放感、責任から解放される安堵、そして相手の関心を一身に浴びる高揚感が加わることで、その体験は“ご褒美”として成立します。
つまり、この心理は安全な文脈 × 複数の個人的動機がそろったときにのみ生まれる繊細な感情です。裏を返せば、関係性や状況が変われば、それは容易にただのストレスや脅威に変わってしまいます。
安心感と刺激の間を巧みに行き来する――そこに、この独特な喜びの本質があるのです。
参考文献
Emotional Masochism – A Solace From Suffering
https://www.icliniq.com/articles/emotional-and-mental-health/emotional-masochism-a-solace-from-suffering?utm_source=chatgpt.com
元論文
A circuit mechanism for differentiating positive and negative associations
https://doi.org/10.1038/nature14366
Primary Masochism Is not a Form of Narcissism
https://doi.org/10.3928/00485713-20091022-06
ライター
相川 葵: 工学出身のライター。歴史やSF作品と絡めた科学の話が好き。イメージしやすい科学の解説をしていくことを目指す。
編集者
ナゾロジー 編集部