奈良公園のシカは周辺地域と近縁ではあるものの独自の遺伝子型を持つ集団であることがわかりました。
奈良公園のシカはよく人に慣れていて、鹿せんべいをねだる姿のかわいさなどから観光資源にもなっていますが、野生のシカで天然記念物に指定されています。
奈良教育大学、福島大学、山形大学からなる共同研究グループが、奈良公園と紀伊半島各地のニホンジカを対象に詳細な遺伝解析を実施したところ、奈良公園のシカは 1000年以上もの長きにわたり人々によって守られて生き残ってきた特殊な存在であり、まさに生きている文化財のような存在であることが明らかになりました。
この研究成果はアメリカ哺乳類学会(The American Society of Mammalogists)の学会誌『Journal ofMammalogy』に2022 年1 月 31 日付でオンライン公開されています。
目次
- 奈良のシカが「お鹿様」になったワケ
- 「お鹿様」は科学的に見ても特別な存在だった
- 「お鹿様」に迫りくる遺伝的な危機
奈良のシカが「お鹿様」になったワケ
奈良のシカが特別な野生動物ということは外国にもよく知られています。
Deer have learned to open the doors of food establishments and bow to ask for food in Nara, Japan pic.twitter.com/PmRuwWxHL2
— Nature is Amazing ☘️ (@AMAZlNGNATURE) July 25, 2024
奈良のシカはいつから「お鹿様」となったかははっきりしていませんが、保護されるようになったのは春日大社の創建時まで遡ります。
社殿の造営は768年。奈良時代初めに鹿島の地から武甕槌命(タケミカヅチノミコト)を御蓋山にお迎えし、祀ったのが始まりで、お迎えした時に武甕槌命は白鹿に乗って降臨されたという言い伝えがあります。
768年から既にお鹿様だったとすると1000年以上の歴史があることになりますね。
藤原道長の全盛期、藤原行成が著した日記『権記(ごんき)』に1006 年、「春日大社に参拝した時シカに遭った。これは吉祥だ」と書いています。つまり、藤原道長が権勢をふるっていた時代には、奈良ではシカは既にお鹿様だったことがわかります。
つまり紫式部や清少納言にとっても奈良のシカがお鹿様なのは常識だったということで、ずいぶん古い時代から神鹿として大切にされてきたことがわかります。
しかしこの神鹿思想はなかなか厳しくて、中世から近世においてはシカの密猟で死罪になった人の記録も見られます。
それ以外に人を角で突くなどの被害もあったため、江戸時代に入ってからは対策が取られるようになりました。記録には、寛文十一年十月十六日、初めて神鹿を捕らえて竹垣の内に入れた、とあります。さらに寛文十二年からは毎年角伐りが行われるようになりました。
江戸時代も春日大社や興福寺などから保護されてきたシカですが、明治維新では廃仏毀釈などの反動で乱獲されたこともわかっています。シカに罪はなかったのに、気の毒なことですが、そのせいで奈良のシカは激減しました。
そのため奈良県は春日大社の申し出を受けて1878年にシカの保護区を設定しました。
安寧を取り戻したかのような奈良のシカですが、第二次大戦中に再び乱獲されました。食糧難の中、密猟されてしまったのです。
通常、山林に生息して人を見れば逃げるシカですが、奈良の「お鹿様」は人慣れしているだけでなく、人は自分に危害を加えないことを学習しているので、他の地域のシカより捕獲しやすかったかもしれません。
終戦の年には、奈良のシカは何と79頭にまで減っていました。
現在は保護により1000頭を超えるシカがいます。明治維新と第二次大戦中の気の毒な状況を除けば、お鹿様は常時500~1000頭程度、1000年を超える年月にわたって保護されてきたと考えられています。
「お鹿様」は科学的に見ても特別な存在だった
とはいえ、お鹿様の由来は推測できても遺伝的研究はほとんどありませんでした。シカは奈良にだけいるわけではなく周辺地域にも生息しています。しかしお鹿様と、そうしたシカの遺伝的な違いは明らかになっていませんでした。
春日大社のように古くから信仰の対象であった地域のシカはそうした人の活動の影響を受けているのではないか。特に1000年以上保護され続けてきた春日大社を中心とした奈良公園のシカの集団遺伝構造には、人間の活動の影響があるのではないかということで調査研究がなされました。
そこで奈良教育大学、福島大学、山形大学からなる共同研究グループは、奈良公園と紀伊半島各地のニホンジカを対象に30地域から294個体のニホンジカの筋肉や血液サンプルを収集、DNAを抽出しました。
得られた DNA から母系遺伝する部分配列を解読。さらに両性遺伝するマイクロサテライトDNAを使用して繰り返し配列の長さを測定するなど、各サンプルの遺伝子型を決定し系統解析と集団遺伝構造解析が行われ、詳細な遺伝解析を実施しました。
さらに紀伊半島内のニホンジカの遺伝的グループが分断された年代などの個体群動態も推定しました。
そうやってミトコンドリアDNAのデータを使用し系統解析を行った結果、紀伊半島内には18 のミトコンドリアDNAのハプロタイプ(遺伝子型)があることがわかりました。
奈良公園のシカ集団からは、そのうちの1つのハプロタイプS4のみが確認されました。ハプロタイプS4はこれまでに他の地域では一切確認されておらず奈良公園のシカだけが持つハプロタイプであることが明らかとなったのです。
「お鹿様」が科学的に証明された瞬間でした。
同じ紀伊半島のニホンジカでありながら、奈良で1000年以上保護され、他の集団とは接触してこなかった集団は、遺伝子レベルでお鹿様となったのです。
この解析結果では、紀伊半島のニホンジカは奈良公園、東部、西部の大きく3つの遺伝的グループに分けられ、中央部では東部と西部の遺伝的グループが混合していることも明らかになりました。
これら3つの遺伝的グループの分岐年代推定も行われました。その結果、推定最頻値約1400年に祖先集団から奈良公園グループが分岐。約500年前に現在の東部グループと西部グループが分岐したことが推定されました。
「お鹿様」に迫りくる遺伝的な危機
いわゆるお鹿様は、国の天然記念物「奈良のシカ」に登録されています。鹿せんべいを貰う時にお辞儀する姿も愛され、観光資源としても重要な存在です。
しかし、目立った天敵もなくぬくぬくと増えているシカは、奈良市で農作物被害も出しており問題になっているという側面もあります。
この農業被害問題は昔からあって、江戸時代前期の17世紀末頃には農業被害対策としてお鹿様を町の外へ出さないため大規模に「鹿垣(ししがき)」が巡らされていました。
現代においては、奈良県は奈良市内を保護地区、管理地区、緩衝地区の3つに分けることにしました。3つの地区のうち、管理地区では農業や林業の被害対策のため、シカの捕獲事業を行うことにしたのです。この事業は2017 年度より実施されています。
ここで問題になるのは、管理地区で捕獲されたシカたちはどこから来たのか?ということです。保護地区から来たお鹿様なのでしょうか?
研究チームはこれについても調べました。奈良市内のシカの血縁関係をDNA解析によって調べました。そうやって管理地区のシカの由来や交配の状況を調査。
その結果、管理地区では市外からやってきた個体が多いことがわかりました。お鹿様とは違うグループのシカたちです。しかし、その一部は保護地区にも入り込んでいる可能性が高いことがわかりました。市外のシカがお鹿様の中にしれっと入り込んでいるということになります。
さらに緩衝地区に近い管理地区では、保護地区由来のお鹿様と市外から来たただのシカが混在し、交配していることもわかりました。お鹿様が他のグループから長期間孤立していたことや、遺伝子レベルで他のシカとは違うお鹿様の特徴は変化しつつあるのでしょうか。
シカは一頭のオスが何頭ものメスを引き連れて群れを作る動物です。オスは若いうちから群れを離れ、メスを求めて移動します。そんな中で保護地区に入り込んでくることがあるかもしれないし、保護地区から出て緩衝地区に入り込んでくることがあるかもしれません。
調査研究の結果、1000年を超えて他にはない遺伝子を獲得してきたお鹿様は周辺地域と近縁ではあるものの独自の遺伝子型を持つ集団であることがわかりました。これは奈良周辺地域にはお鹿様以外のシカがいなかったこと、お鹿様は神鹿として保護されてきたことにより1000年以上、他地域のシカとは違ったDNAを持って生き残ってくることができたということです。
同時に、他地域のシカが保護地区に入り込むことで、1000年以上保たれてきた血統が変わってしまうかもしれない危機的状況に置かれていることもわかってきました。
権威のある寺社から神鹿とされた結果、他地域のシカとは違うDNAを持つことになった奈良のシカ。
実は江戸時代から続いている角切りという人への安全対策と鹿せんべいの販売以外は放置されている、人を見れば逃げる野生動物とは異なる、DNAレベルで他地域のシカとは違う「お鹿様」を脅かしているのは観光客でも管理地区でもなく、ほかでもないシカそのものでした。奈良のシカを、今後どのように血統まで保護していくのか、課題は大きいように思います。
参考文献
鹿の角きり 一般財団法人 奈良の鹿愛護会
https://naradeer.com/event/tsunokiri.html
元論文
A historic religious sanctuary may have preserved ancestral genetics of Japanese sika deer(Cervus nippon).
https://doi.org/10.1093/jmammal/gyac120
The sacred deer conflict of management after a thousand-year history: hunting in the name of conservation or loss of their genetic identity.
https://doi.org/10.1111/csp2.13084
ライター
百田昌代: 女子美術大学芸術学部絵画科卒。日本画を専攻、伝統素材と現代素材の比較とミクストメディアの実践を行う。芸術以外の興味は科学的視点に基づいた食材・食品の考察、生物、地質、宇宙。日本食肉科学会、日本フードアナリスト協会、スパイスコーディネーター協会会員。
編集者
海沼 賢: 大学では電気電子工学、大学院では知識科学を専攻。科学進歩と共に分断されがちな分野間交流の場、一般の人々が科学知識とふれあう場の創出を目指しています。