「それでも地球は回っている」と異端審問裁判にかけられ有罪を宣告されたガリレオ・ガリレイは言ったと伝えられています。
ガリレオ・ガリレイ。1564年、現在のイタリアで生まれた「天文学の父」です。
現代の私たちも低倍率の望遠鏡でガリレオが発見した木星の4つの衛星を見ることができます。それは4つの金色の粒のように見えるとても綺麗なものですが、その実際は地獄の一丁目だということがわかっています。
そして、そのうちの3つには「ラプラス共鳴」という法則が働いています。
ラプラス共鳴とは何でしょう。そして、ガリレオ衛星はなぜ地獄なのでしょう。
ここでは、そのふたつの秘密について見ていきましょう。
目次
- ガリレオ衛星のうち3つに働くラプラス共鳴
- 天動説と地動説、それから『天体の回転について』
ガリレオ衛星のうち3つに働くラプラス共鳴
ラプラス共鳴のラプラスと聞いて、とっさにモンスターを思い浮かべた人、先生怒らないから手を挙げなさい!というぐらい、令和になっても有名なラプラス。
ガリレオ衛星に働く「ラプラス共鳴」の名前は1749年に生まれたフランスの数学者・天文学者であるピエール=シモン・ラプラスから取られています。
ラプラスは天体力学を体系化し、太陽系起源の星雲仮説を提唱し、確率論を発展させた天文学者であり数学者です。

また、フランス大革命、ナポレオン帝政、王制復古の動乱期を通じて、粛清されることなく高い地位を維持しました。当時はギロチン刑に処された科学者もいたのですが、ラプラスは生き延びました。
世渡りもうまい……いや、尊重される才能を持つ人だったようです。
ラプラスは太陽系の惑星がばらばらな位置に動いてもおかしくないのに、そうならないのは「これは惑星の軌道を安定させる何らかのメカニズムがあるな?」と考え、そのメカニズムを共鳴理論という形で説明しました。
天体力学を数理的に体系化し、惑星の摂動理論を発展。そして太陽系が「数学的に安定」であることを証明したのです。
凄くないですか?
そして、天体の重力がお互いに及ぼす影響を解析して、長期的に安定した軌道を維持する仕組みを明らかにしたのです。
ガリレオは「天文学の父」と呼ばれますが、ラプラスは「天体力学の父」と呼ばれています。
そして、3個か、それ以上の天体の公転周期が「互いに簡単な整数比になっている場合の共鳴」を「ラプラス共鳴」と呼びます。
これが木星のガリレオ衛星のうち3つに見られます。
中心天体である木星の回りを公転する3つのイオ、エウロパ、ガニメデの公転周期は1:2:4という簡単な整数比となっている状態です。
これを平均運動共鳴といい、3個の衛星が共鳴の状態にあるので、ラプラス共鳴と呼ばれます。
共鳴の結果、この3つの衛星が近接遭遇を起こさないため、軌道が安定化しています。軌道交差を起こすようなことがあれば弾き飛ばされてしまいます。
3つの衛星が安定した軌道を保っています。
木星の衛星イオ、エウロパ、ガニメデの3つの軌道はラプラス共鳴です。公転周期は1:2:4。太陽系でラプラス共鳴が見られるのは木星のガリレオ衛星だけです。
今のような精密な観測機器があるわけでもなかった時代にこれを発見したラプラスは偉大ですね。
名前が残るわけです。
この共鳴はとてもレアなものであると同時に、カリスト以外のガリレオ衛星に特別な関係を与えました。この3つの天体は絶妙なタイミングで重力の影響を与え合っています。地獄の同盟とでも言うべき過酷なものです。
地球から低倍率な望遠鏡で観測するだけなら美しい金色の小さな粒に見えるガリレオ衛星ですが、その実、イオは地獄の入口です。
ギリシア神話ではゼウスの妻、ヘラの女官だったイオ(その後牝牛の姿にされた)ですが、ガリレオ衛星でのイオはそんなたおやかな存在ではありません。
ガリレオ衛星の中で一番木星に近いイオは、木星とラプラス共鳴によって極端な潮汐加熱を受けており、活発な火山活動が続いていることで知られています。
イオの火山の数は400以上で、中でもいくつかは硫黄と二酸化硫黄の噴煙を500kmの高さに達しています。地球上の一番大きな噴火、プリニー式噴火の噴煙の高さは10km以上となっていますが、イオはその50倍の噴煙が見られるということで、ちょっと想像を絶する規模ですね。
イオの表面は多くの溶岩流が流れ、硫黄、二酸化硫黄で覆われています。火山ガスの漂う地獄谷を遥かに超えた灼熱地獄。ガリレオ衛星地獄の一丁目なのです。

次、イオの次に木星から近いガリレオ衛星、エウロパです。
エウロパは一見、静かに見えます。灼熱地獄の次は氷結地獄。氷の衛星です。極低温の地表はひび割れた氷で、これは木星の潮汐力によって絶えず変形し続けています。氷の下の地下には広大な海が広がっていると考えられています。

3つめはガニメデです。これは太陽系にある衛星で最大で、独自の磁場を持っています。
独自の磁場を持つ衛星は太陽系で唯一の存在です。とても大きな衛星で、太陽系の天体の中でも9番目です。衛星の中で、じゃないですよ。天体の中で9番目なうえ、その半径は水星よりも大きいのです。
内部には地球より多くの水を持つ海があるのではと考えられていますが、地下は対流する鉄で、そのために磁場を持っていると考えられています。その磁場は木星の磁場に埋まっています。
表面には同心円状の溝状地形が見られ、これは小惑星の衝突でできた最大半径7800kmの多重クレーターだと推測されているほか、表面の1/3は小型の小惑星が衝突したクレーターだらけです。
ガニメデは隕石地獄とでもいいたくなるほどガンガン小惑星にぶつかられている衛星だったのです。

それでもガリレオ衛星は安定した軌道で木星の回りを回っています。それぞれギリシア神話に出てくるゼウス(木星)の愛人やお気に入りの美少年という美しい雰囲気を漂わせながら、その実はそれぞれの衛星がとても恐ろしい世界なのでした。
地球のような惑星で暮らしていると、ちょっと想像がつかない激しさです。
低倍率の望遠鏡で観測していたガリレオも、ガリレオ衛星の名付け親であるシモン・マリウスも、その恐ろしさまではわからなかったでしょう。
もし知ったら驚くでしょうね。

天動説と地動説、それから『天体の回転について』
ちなみにシモン・マリウスはガリレオより早く4つの衛星を発見したと主張したドイツの天文学者です。しかし残念ながら、記録を見る限りではガリレオのほうが発見は先だったようです。
ガリレオ自身はこの4つの衛星を、トスカーナ大公とメディチ家の4兄弟に敬意を表し、「メディチ家の星々」と命名していました(当初はトスカーナ大公コジモ2世に敬意を表する「コジモの星々」だったが大公の提案で改名した)。

これを見ると、ガリレオがお世話になっていたトスカーナでは、大公に衛星の名を捧げても別に「地動説は異端ではないか!」と攻撃されているわけではありませんね。比較的厳しかったイタリアでもこれでした。
実は当時、天動説は神の教え、地動説は異端で、地動説を信じる者は異端として処刑されるという厳しい現実はありませんでした。ガリレオの裁判で、現代には誤解が広まっているようです。
『天体の回転について』を著したニコラウス・コペルニクスはポーランド出身で、カトリックの司祭でもありました。これは当時主流だった天動説を覆す地動説を唱えた書物でした。

後見人の叔父により司祭になることを望まれていたコペルニクスは大学へ進学。ここで天動説に懐疑的だった教授によって天文学に触れたのです。
その後コペルニクスは副助祭として勤勉に働く一方、天文観測と研究を続けていました。地動説については周囲に勧められながらもなかなか出版に踏み切らなかったのですが、その30年ほど前には同人誌『コメンタリオルス』で地動説を公にしているので、特に隠していたわけではありませんでした。
ガリレオはトスカーナ大公付きの数学者として名誉ある地位にいました。ラテン語ではなくイタリア語で執筆した『天文対話』『新科学対話』などでガリレオが「現代の知」と呼んだ自然科学へ繋がる手法を生み出したのです。
しかし、名誉ある地位にいたがためか権力闘争に巻き込まれ、敵を作りました。そのため異端審問にかけられることになりましたが、地動説は口実でしかなかったという説と、敬虔なカトリック教徒だったガリレオですが、科学は宗教と切り分けるべき、という主張が異端とされたという説があります。

「それでも地球は回っている」という有名な言葉は、実際には2度目の異端審問裁判で有罪となった時に読み上げさせられた異端誓絶文の最後に「そう言った」と弟子たちが付け加えた「後付け」とされています。
しかし有罪となったのは事実で、その後は亡くなるまで軟禁生活を余儀なくされ、亡くなっても異端者として死後も名誉は回復されず、カトリック教徒として葬ることも許されませんでした。
ガリレオにカトリックの正式な埋葬許可が下りたのは1737年。亡くなった1642年から95年が経過していました。
異端審問裁判で『天文対話』は禁書になりましたが、『新科学対話』は、ガリレオの原稿が何者かによって持ち出され、オランダで勝手に印刷され(たという設定で)、再び発行されました。

オランダはプロテスタント教国でしたし、そもそもイタリア以外では、ローマ教会は強い力を持っていなかったので、他国へは「禁書目録」を送るに留まっていました。
ローマ教会でも、もう「現代の知」を止めることはできなかったのです。
ガリレオ衛星とラプラス共鳴の秘密には、ガリレオが拓いた「現代の知」が深く関わっているのでした。
この異端審問とガリレオが有罪となった裁判の見直しが始まったのは1965年のことでした。ローマ教皇パウロ6世の言及から始まったもので、ガリレオの死から323後のことです。
そして1992年、当時のローマ教皇ヨハネ・パウロ2世は裁判でガリレオを有罪としたのは誤りであったことを認め、正式に謝罪しました。
ガリレオの死から350年が経過していました。ローマ教会が「地動説は異端ではない」と認めた瞬間でもありました。

参考文献
ガリレオ衛星 天文学辞典 交易社団法人 日本天文学会
https://astro-dic.jp/galilean-satellites/
宇宙の質問箱 ガリレオ衛星とはどのようなものですか? 国立科学博物館
https://www.kahaku.go.jp/exhibitions/vm/resource/tenmon/space/jupiter/jupiter03.html
木星の衛星を探る 国立天文台
https://www.nao.ac.jp/news/blog/2022/20221206-jupiter.html
軌道共鳴 天文学辞典 交易社団法人 日本天文学会
https://astro-dic.jp/orbital-resonance/
ライター
百田昌代: 女子美術大学芸術学部絵画科卒。日本画を専攻、伝統素材と現代素材の比較とミクストメディアの実践を行う。芸術以外の興味は科学的視点に基づいた食材・食品の考察、生物、地質、宇宙。日本食肉科学会、日本フードアナリスト協会、スパイスコーディネーター協会会員。
編集者
ナゾロジー 編集部