人間は体内でビタミンCを作れない――この「弱点」はこれまで進化の謎とされてきました。
実際、ビタミンC不足は壊血病という致命的な病気を引き起こし、歴史的にも多くの命を奪ってきました。
しかし、中国の復旦大学(Fudan University)およびアメリカのテキサス大学サウスウェスタン・メディカルセンター(UTSW)で行われた研究により、この一見不利なビタミンC合成能力の喪失が寄生虫から身を守る可能性がマウス実験で示されました。
研究ではビタミンCが欠乏したマウスでは寄生虫の卵がほとんど作られず、病気の重症化や周囲への感染拡大も大きく抑えられたことが示されています。
一見“弱点”とされてきたビタミンC合成不能は、本当に進化上の偶然なのでしょうか?
それとも、感染症の脅威に対抗するための「巧妙な生き残り戦略」だったのでしょうか?
研究内容の詳細は2025年7月26日に『bioRxiv』にて発表されました。
目次
- 人はなぜビタミンCを作れないのか?
- なぜ進化の途中でビタミンCを作る力が失われたのか?
- 弱点が“盾”になる進化の逆転劇
人はなぜビタミンCを作れないのか?

私たち人類を含むサルの仲間やモルモットなど一部の動物は、体内でビタミンC(アスコルビン酸)を合成する能力を失っています。
一方で、ほとんどの哺乳類は肝臓でブドウ糖からビタミンCを作れるため、食事から摂取する必要がありません。
肉食のネコがビタミンCを人間のように植物から補給しなくても生きていけることは、ネコ好きの間では有名でしょう。
しかし人類の場合、約6000万年以上前に遺伝子の変異によってビタミンCの合成に必要な酵素が働かなくなり、食物からビタミンCをとらなければ健康を保てなくなりました。
実際、人がビタミンC不足に陥ると壊血病(コラーゲンが作れず皮膚や歯茎がぼろぼろになる致命的な病気)を発症します。
このような「体内でビタミンCを作れない」という性質は、一見デメリットしかないように思えます。
そしてデメリットしかない変異ならば、そのような変異を起こした個体は自然淘汰によって排除され、人類はビタミンCを自前で合成する能力を保っていたはずです。
ではなぜ進化の中でこのような不利な変化が起きたのでしょうか?
従来は「果物を多く食べるようになったためビタミンC合成能力が不要になり、たまたま失われた」という説が一般的でした。
しかし現在の恵まれた食生活の中でも私たちはしばしばビタミンC不足を起こし健康を害することもあります。
6000万年以上前の先祖たちについても、せっかく持っていたビタミンCの合成能力を失うという進化を起こした理由を「単に果物を沢山食べていた」で済ますのは、やや説明として弱い部分があります。
そこで今回研究者たちは、ビタミンCを体内で合成できなくなるという進化に「何らかの隠れたメリットがあるのではないか?」と考えました。
そこで注目したのが寄生性の病原体との関係でした。
例えば熱帯病の一種である住血吸虫(じゅうけつきゅうちゅう)は、毎年2億5千万人以上を苦しめる深刻な寄生虫病で、血管内に住みついて毎日数百~数千個もの卵を産みつけます。
産まれた卵は宿主の臓器に詰まって炎症を起こし、慢性的な病気(住血吸虫症)につながります。
ですが当の住血吸虫自身はビタミンCを合成できないため、必要なビタミンCはすべて宿主から補給しなければなりません。
そのため研究者たちは、「ビタミンC欠乏が寄生虫の繁殖を妨げ、宿主を守っているのではないか?」という大胆な仮説を立て、検証を行うことにしました。
なぜ進化の途中でビタミンCを作る力が失われたのか?

研究ではまず、人間と同じくビタミンCを自分で作れないマウスを用意しました。
このマウスは、エサからビタミンCをとらなければ欠乏症(壊血病のような症状)になります。
一方で、ふつうのマウスは体内でビタミンCを作ることができ、常に十分な量を保てるため、欠乏の心配はありません。
研究チームは、両方のマウスを住血吸虫という寄生虫に感染させ、その後の違いを比べました。
感染の方法は、幼虫が入った水にマウスの尾を浸すというもので、自然な感染経路に近いものです。
すると、ビタミンCが不足しているマウスでは、寄生虫が卵をほとんど産めないことがわかりました。
ふつうのマウスでは肝臓などに大量の卵がたまり、それが原因で激しい炎症(肉芽腫)が起きていましたが、ビタミンCがないマウスでは、そもそも“生きた卵”がほとんど見つかりませんでした。
そのため、炎症や臓器のダメージもごくわずかだったのです。
さらに、ビタミンCが不足したマウスではフンの中にも卵は確認されませんでした。
つまり、外に出て他の生き物にうつるリスクも、かなり下がっていたのです。
このように、宿主であるマウスのビタミンCが少ないだけで、寄生虫は卵を産むすべを失い、病気の進行も、まわりへの感染力も弱まっていました。
また、ビタミンCを3週間切って1週間だけ補うというサイクルでマウスを育てた場合、通常のマウスでは16匹中10匹(約62%)が死亡しましたが、ビタミンCを作れないマウスでは19匹中1匹(約5%)しか死にませんでした。
同じような効果は、日本住血吸虫という別の種類の寄生虫でも見られました。
ビタミンCがないマウスでは、産まれた卵が不完全で死んでいるものばかりだったのです。
その結果、臓器へのダメージも大きく減っていました。
このことから、ビタミンC不足による防御効果は、特定の寄生虫だけに限らず、もっと広い範囲で見られる可能性があると考えられます。

では、そもそもビタミンCは寄生虫にとってどんな役割を果たしているのでしょうか。
解析によって、ビタミンCが卵に栄養を与える「卵黄細胞」を成熟させる合図になっていることがわかりました。
ふつう、メスの寄生虫はオスとペアになると、生殖器が発達して卵を産み始めますが、ビタミンCが足りないと、卵黄細胞がうまく育たず、卵も殻がうまくできなかったり、小さくなったりする異常が出ます。
つまり、ビタミンCは寄生虫の「繁殖スイッチ」を入れる鍵のような存在だったのです。
さらに詳しく調べると、このスイッチの仕組みには、エピジェネティクスと呼ばれる「遺伝子の働きのオン・オフを切り替えるしくみ」が関係していました。
寄生虫の中ではKDM6という酵素が働いていて、これは「ヒストンのメチル化」というブレーキを外す役割を持っています。
ビタミンCがあるとこの酵素が活性化し、卵を作るために必要な遺伝子たちが一斉に動き出すのです。
逆にビタミンCがないと、ブレーキがかかったままになり、卵をうまく作ることができません。
ここで大切なのは、ビタミンCがないからといって、寄生虫が死んでしまうわけではないという点です。
実際に、体内にいる寄生虫の数や大きさには変化がなく、生きていることが確認されています。
ただし、繁殖だけが強く抑えられていたのです。
寄生虫は血管の中を泳ぎ回ってはいますが、卵が産めなければ大きな病気にはつながりません。
これはまるで、宿主が栄養をあえて渡さず、寄生虫を「飼い殺し」にしているような仕組みだと言えるでしょう。
もちろん、この効果は必殺技のように「根治」ではありませんが、自分の生き残りの確率を高め、他の仲間への感染も防げるという点では、非常にうまいやり方だと考えられます。
弱点が“盾”になる進化の逆転劇

本研究は、「ビタミンCを作れない」という人間の弱点が、じつは感染症に対するひそかな強みだった可能性を、マウスの実験で示したものです。
進化生物学では長年、ビタミンCを体内で作れなくなった理由が謎とされてきましたが、「寄生虫から体を守るため」という新しい説明が浮かび上がったのです。
実際、これまでの研究によって人間だけでなく、果物を食べるコウモリやスズメの仲間でも、ビタミンCを作る遺伝子が失われていることがわかっています。
これらの動物も、寄生虫と戦う中で似たような進化をしたのかもしれません。
特に人間の祖先が暮らしたアフリカやアジアでは、住血吸虫などの寄生虫症が広がっていたと考えられます。
そんな環境では、ビタミンCを自分で作らない体質が、生き残るために有利だった可能性もあるのです。
またこの研究は、「栄養が足りない=悪いこと」という常識に対して、新しい考え方を投げかけています。
たしかにビタミンCが不足すると、壊血病などの病気を引き起こすため、健康には良くありません。
でも自然界では、なにかを得る代わりに別のものを失う「トレードオフ」があちこちで起きています。
病原体と戦うためには、ときに“あえて栄養を与えない”という作戦が役に立つこともあるのです。
たとえば、私たちの体は細菌に感染すると、鉄分を肝臓に隠して細菌の増殖をおさえる「栄養免疫」という仕組みを使います。
同じように、進化の中でビタミンCをあえて体内で作らないようにしたことが、寄生虫に対する「兵糧攻め」になっていたのかもしれません。
極端に言えば、人類の祖先は「ビタミンCを作らない」という大胆な方法で、寄生虫という泥棒から自分を守ったとも考えられるのです。
この発見は、私たちの健康や医療にも新しい可能性をもたらします。
今も世界では、何億人もの人々が寄生虫の病気で苦しんでいます。
ビタミンCが寄生虫の繁殖に欠かせないとわかったことで、新しい治療法が生まれるかもしれません。
たとえば、特定の寄生虫症ではビタミンCを取りすぎないようにしたり、寄生虫がビタミンCを利用する仕組み(たとえば卵をつくるための酵素)をねらって薬を作ったりすることも考えられます。
ただしこれは、あくまでマウスでの研究結果であり、人間にそのまま当てはまるとは限りません。
実際に使える治療法として確かめるには、今後の研究が必要です。
それでも今回の考え方は大きな転換点となり、ビタミンCだけでなく他の栄養素にも広げられるかもしれません。
研究チームは、「栄養を作れなくなった進化の裏には、病原体から身を守る工夫が隠れている可能性がある」とも述べています。
これまで「弱点」とされていたことが、じつは「盾」だった――。
この発見は、生命進化の複雑さを示す大きな例となるかもしれません。
元論文
Loss of vitamin C biosynthesis protects from a parasitic infection
https://doi.org/10.1101/2025.07.22.666193
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部