イギリスのキングス・カレッジ・ロンドン(KCL)の研究チームが、ごく小さな粒子を使った「極小エンジン」を作り、1000万℃の超高温で動かす実験を行いました。
すると、普通は高温から低温へ流れるはずの熱が、一瞬だけ逆方向(低温から高温)へ流れたり、エネルギー効率が理論的な限界を超えて100%以上になるという驚きの結果が観測されたのです。
これは、私たちが普段の生活ではほとんど感じることがない、ミクロ(非常に小さい世界)での偶然による「ゆらぎ」が原因です。
このゆらぎが非常に大きくなると、熱の流れや効率が一時的に「熱力学第二法則」という物理の常識から外れるような動きを見せることがあります。
こうした極限状況で明らかになった新たな現象は、私たちの日常のスケールでは見えない物理法則の本質を暴き、生物の分子や将来のナノマシンがエネルギーを巧みに扱う仕組みを理解する上で重要なヒントとなります。
しかし、なぜこのような不思議な現象が起きたのでしょうか?
研究内容の詳細は『arXiv』にて発表されました。
目次
- 常識はどこまで通用する? 熱力学の限界に挑む
- 1000万℃で動くミクロエンジンでは熱力学の常識が通用しない
- なぜ奇跡には1000万℃が必要だったのか?
常識はどこまで通用する? 熱力学の限界に挑む

私たちの身の回りには、車のエンジンや電車を動かすモーター、発電所の蒸気タービンなど、たくさんのエンジンがあります。
これらのエンジンは、基本的に高い温度の場所(熱源)から熱エネルギーをもらい、そのエネルギーの一部を「仕事」、つまり物を動かす力として取り出しています。
しかし、エネルギーのすべてを仕事として取り出せるわけではなく、必ず使いきれなかった熱が余ってしまいます。
この余った熱は、周囲のもっと低い温度の場所に捨てるしかありません。
こうした現象には、「熱は自然に高い温度の場所から低い温度の場所へと流れる」という絶対的なルールがあります。
これが、熱力学第二法則と呼ばれる、熱の世界の基本原則です。
このルールがあるため、どんなに工夫しても「与えられた熱を100%すべて仕事に変える」ことはできません。
実際に、熱からどれだけ効率よく仕事を取り出せるかには「カルノー効率」という理論的な限界があります。
これは理想的な条件で計算した最大効率であり、実際のエンジンはこれを超える効率を平均的には出せないとされています。
しかし最近、科学者たちがミクロな世界(ごく小さな世界)の熱の動きを調べているうちに、この熱力学の常識が必ずしも絶対ではないことがわかってきました。
実は、原子や分子のような極めて小さい世界では、私たちの目に見える世界では考えられないほどの「偶然のゆらぎ」が頻繁に起こっています。
例えば、コインを10回投げると、普通は表と裏が半々くらいの割合で出ますが、運が良ければ10回連続で表が出ることもありますよね。
ミクロの世界では、このような偶然の出来事が普通に起こり得るのです。
そのため、粒子がごく少数しかないようなミクロな世界では、一時的に熱が低い温度から高い温度へと「逆流」したり、理論的な上限の効率を瞬間的に超えてしまったりする可能性が、理論的には認められているのです。
科学者たちは、これまで理論上予想されていた「確率的なゆらぎによる珍しい現象」が本当に実験で観測できるかどうかを確かめ始めました。
今回、イギリスのキングス・カレッジ・ロンドンを中心とした研究チームは、こうした理論の予想が実際に起こるのかを確かめるため、これまでにない極めて高い温度の環境を人工的に作り出して、「ごく小さな粒子を使ったエンジン」を動かす実験に挑みました。
この実験によって、「ミクロな世界の偶然」が、私たちが知っている熱力学の常識をどのように揺さぶるのかが明らかになろうとしています。
1000万℃で動くミクロエンジンでは熱力学の常識が通用しない

今回の研究で登場する「極小エンジン」は、わずか直径約5マイクロメートルのガラス粒子を、電気の力で真空中にふわりと浮かせて制御するという、極めて精密な技術によって実現されました。
この粒子の大きさは、一般的な髪の毛の太さ(約50~80マイクロメートル)の10分の1以下で、人間の目ではまったく見えません。
このガラス粒子は、電極間にかかる高い電圧によって空中に浮かびます。
イメージとしては、宇宙空間にぽつんと浮かぶ小惑星が、あらゆる方向から細かくコントロールされているような状態です。
普通のエンジンでは、何万個もの分子が集まり、大勢で熱をやりとりして仕事を生み出します。
しかしこの実験では、「たった一つの粒子」が「一人芝居」で熱を受け取り、放出しながら動いています。
この究極にミクロな世界で、粒子一つを使った熱エンジンの原理そのものを、現実に再現することが本研究の出発点となっています。
さらに注目すべきなのは、単なる加熱・冷却ではなく、「人工的な熱浴」と呼ばれる特殊な環境を作り出した点です。
ガラス粒子には「白色電圧ノイズ」という完全にランダムな電気の揺らぎを加え、このノイズの強さを細かく調整することで、粒子が“感じる温度”を自由自在にコントロールできます。
極限まで強くすると、なんと1,000万℃(10^7 ℃)超という“超高温”の動きも実現しました。
この値は、太陽の表面温度をはるかに上回るものです。
エンジンの基本的な動作は「高温」と「低温」を切り替えながら、熱を「仕事」へと変換するサイクル(スターリングサイクル)を繰り返すことです。
粒子はまるで「熱いお風呂」と「冷たいお風呂」に順番に入り、そのたびに動きが激しくなったり、おとなしくなったりします。
この極小エンジンでは、こうした動作を「たった一粒の粒子」で実現したことが最大の特徴となっています。
研究ではこの粒子に対して、エンジンが出せるエネルギー(=仕事)の量が詳細に調べられました。
するとその結果は、毎回大きくばらつくことが明らかになりました。
平均して与えた熱の約9%が仕事に変わる(=効率9%)という結果ですが、1回ごとに見れば「効率がマイナス」になったり、「100%を大きく超える」ことすら頻繁に見られました。
効率がマイナスになるとは、エンジンが一瞬「冷蔵庫」として働いてしまい、熱が逆向きに流れる現象です。
逆に100%超とは、受け取った熱以上の仕事が出るという“物理法則に逆らった”ような振る舞いです。
さらに特筆すべきは、粒子がいる「空間の位置」によって感じる温度が異なる、つまり位置依存温度という特殊な状況が発生することです。
普通はお風呂の温度はどこでも同じですが、この場合は「ある場所は灼熱、別の場所は涼しい」といった極端なムラが生まれます。
こうした環境のもとで、粒子の運動やエネルギーのやりとりは非常に複雑になります。
研究チームは、この「温度のムラ」と「大きなゆらぎ」を正しく説明するために、新しい理論モデルを開発しました。
このモデルは粒子の動きや効率のばらつきを高い精度で再現し、実験データとよく一致することが示されました。
今回の成果は、「平均値」や「おおまかな傾向」だけでは語れない、ミクロな世界特有の偶然やゆらぎの重要性を実験と理論の両方で明らかにしたものです。
これは熱力学の根本的な理解を深めるだけでなく、生体分子のエネルギーやナノマシン設計にも新しいヒントを与えると期待されています。
なぜ奇跡には1000万℃が必要だったのか?

今回の研究で最も大きな意義は、普段私たちが当たり前だと思っている熱の法則が、ミクロな世界ではほんの一瞬、破られるように見えることを実際の実験で明らかにしたことです。
「熱は高い温度から低い温度へ必ず流れる」というルールは、熱力学第二法則というとても重要な原理として知られています。
大きな世界(マクロな世界)では、この法則は絶対に破られることはありませんが、今回の研究では、たった1つの小さな粒子という極めて小さい世界で、非常に短い時間ならば、このルールが一時的に通用しない現象が起きることが分かりました。
つまり、ミクロの世界では、ほんのわずかな偶然(ゆらぎ)によって、熱が通常とは逆向きに流れてしまったり、理論的に予想される限界効率を超えることもあるのです。
コラム:なぜ奇跡には1000万℃が必要だったのか?
ふだん、私たちは“物理の法則”と聞くと、いつも同じ結果が出る、カッチリした世界を想像しがちです。でも、すごく小さな世界――たとえば「たった一粒のガラス玉」で熱エンジンを回すようなミクロの世界――では、「偶然」や「まぐれ当たり」といった“ばらつき”が、ものすごく大きな意味を持ちます。熱エンジンを回すとき、エネルギーが仕事に変わる割合(=効率)は、ふつうは同じ条件で繰り返すとだいたい同じ値に落ち着きます。でも、ミクロな世界だと、一回ごとに効率が大きく変わり、「奇跡のような高効率」や「逆向きの熱の流れ」すら本当に起きるのです。けれど、こうした“奇跡”のような現象は、ふつうの温度(たとえば室温や数百℃程度)ではめったに現れません。なぜなら、熱の「ゆらぎ」――つまり、エネルギーのばらつき――の大きさは温度に比例するからです。温度が高ければ高いほど、粒子がやりとりするエネルギーの量がどんどん大きくなり、それにともなって「まれな大当たり」や「常識はずれな効率」の起こる確率も一気に高まります。逆に、温度が低いと粒子の動きはおとなしく、奇跡的な出来事はほとんど観測できません。今回の研究では、エンジンの「熱い側」を1000万℃(=1000万K)という、太陽の表面よりずっと高い極限の温度まで上げることで、1回ごとのばらつきが一気に拡大し、「効率が100%を超える」「熱が逆流する」といった“奇跡”を何度も実際に観測できるレベルまで拡大した。つまり、奇跡を頻繁に起こすには、それに見合うだけの「ゆらぎのエネルギー」が必要であり、それを生み出すには極端な高温――1000万℃というステージがどうしても必要だったのです。
また、この研究は、ただ単に「珍しい現象」を見つけたというだけでなく、極小サイズのエンジンを実際にコントロールする技術を大きく進歩させた点でも重要です。
特に今回の実験で使われたように、電気の力を使って粒子を浮かせ、超高温の環境を自由に作り出せる装置(プラットフォーム)は、他にはない新しい技術です。
こうした技術が進歩すると、生き物の細胞の中で起こるエネルギーの動きを実験室で再現することが可能になります。
具体的には、生物の細胞内では「タンパク質が正しく形を作る(折りたたまれる)とき」や、「細胞の中で物質が運ばれるとき」などに、小さなエネルギーのむら(偏り)が重要な役割を果たしています。
今回作られた、場所ごとに温度が違うという特殊な実験環境は、まさにこうした細胞内の微妙な温度やエネルギーの偏りを詳しく調べるための理想的な仕組みとなります。
これを利用することで、生物物理学やナノテクノロジー(原子や分子レベルで物を動かす極小の技術)に役立つ新たな知識や発見が得られるでしょう。
このように、私たちが普段経験している「普通の世界」の法則も、小さな世界(ミクロな世界)にまで小さくすると、必ずしも常に当てはまるとは限らず、むしろ「確率や偶然が支配する不思議な世界」に変化することがあるのです。
今回の実験が明らかにしたミクロ世界のエンジンの動きは、そんな物理法則の奥深さと面白さを私たちに示してくれました。
この結果は、将来的にナノテクノロジーを発展させるうえで、とても重要なヒントになります。
具体的には、ミクロの世界特有の偶然のゆらぎをうまく利用することで、従来よりも効率的で柔軟な、極めて小さな機械(ナノマシン)の設計や開発に役立つ可能性があります。
もちろんこれは、「理論上の効率の限界を超える」という意味ではなく、あくまで極小の世界に特有なゆらぎや動きをうまくコントロールして、効率をより高めることができる、という意味での可能性です。
言い換えれば、今回の研究は、ミクロな世界の特殊な性質を理解し、それをうまく活用するための重要な第一歩となったのです。
元論文
Extreme-temperature single-particle heat engine
https://doi.org/10.48550/arXiv.2501.03677
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部