アメフトやボクシングにおける頭部への衝撃は、脳に大きなダメージを与えることがよく知られています。
では、そこまで強烈には見えないサッカーのヘディングではどうでしょうか。
世界中で愛される競技だけに、実際のところが気になります。
コロンビア大学(Columbia University)の研究チームは、最先端の脳画像技術を使って「ヘディングが脳のどこに、どのような変化を起こすのか」を初めて明確に示しました。
結果は、額のすぐ奥にある“学習・記憶・問題解決”に関わる領域である、灰白質と白質の境界がじわっと“ぼやける”ような微細な変化が起き、これが言葉の学習成績の小さな低下と結びついていました。
この研究成果は 『Neurology(2025年9月17日)』と『JAMA Network Open(2025年9月18日)』 に掲載されています。
目次
- ヘディングは脳に悪い?新しいMRI技術で分析
- ヘディング回数が多い人ほど「灰白質と白質の境界がぼやける」
ヘディングは脳に悪い?新しいMRI技術で分析
ヘディングは華麗なゴールや局面の打開に欠かせないプレーですが、頭に何度も衝撃が入ることは確かです。
とはいえ、外から見て大きなケガが起きないことも多く、「本当に脳に悪いの?」と感じる人もいるでしょう。
今回の研究はそうした疑問の答えを提出するために実施されました。
サッカー選手に認知機能の低下や慢性外傷性脳症(CTE)が多いのではないか、という指摘は以前からありました。
しかし、「脳のどこがどう変わるのか」を、生きた人の脳で直接・高精細に捉えた証拠は限られていました。
従来のMRIは脳の“深部”の評価が中心で、皮質近くの灰白質(情報を処理する神経細胞の集まり)と白質(脳の各部をつなぐ神経線維の束)の境目や、表面の“しわ”の谷底である脳溝のごく細かな変化は捉えにくかったのです。
研究チームはここに挑むため、二つのdMRI解析技術を開発。
これにより、灰白質と白質の境界の状態を詳細に知ることができます。

イメージとしては、ふだんは“くっきり二層”に見える境目が、衝撃を重ねるほど“にじむ”かどうかを、統計的に確かめる道具だと考えると分かりやすいでしょう。
そして調査対象は、ニューヨーク周辺のアマチュアサッカー選手352人(18~53歳)と、接触の少ないスポーツ(陸上・水泳など)のアスリート77人です。
参加者は過去1年のヘディング回数を自己申告し、全員がdMRI検査と言葉のリスト学習などの簡単な記憶テストを受けました。
統計解析では年齢・性別・過去の脳震盪歴などを調整し、ヘディング頻度 → 脳の境界の乱れ → 学習・記憶という関係が成立するかを丁寧に調べました。
この研究のねらいは三つです。
第一に、ヘディングが引き起こす微細な変化の“場所”を特定すること。
第二に、その変化が学習・記憶の成績と関連するかを確かめること。
第三に、GWI(Gray-White Interface:灰白質と白質の境界)の指標が将来のリスクを見守る“脳のバイオマーカー”になりうるかを探ることでした。
ヘディング回数が多い人ほど「灰白質と白質の境界がぼやける」
研究の結果、ヘディング回数が多い人ほど、額の奥(眼窩前頭皮質)にあるGWI(灰白質と白質の境界)と、近くの脳溝の底で“境目のくっきり感”が弱まっていることが分かったのです。
拡散MRIの指標で見ると、この“ぼやけ”は微細構造の乱れとして現れます。
逆に、脳の深部では同様の変化ははっきりしませんでした。
つまり、ヘディングの影響は脳の表面近くの限られた場所に集中的に出ていたのです。
研究チームは、この理由について、「灰白質と白質は硬さや密度が少し違うため、頭部に衝撃が入ると動く速度が揃わず、境目で“ずれ(せん断力)”が生じる」と説明しています。
特に脳溝の底では力が集中しやすく、そこが“弱点”になりやすいと考えられます。
実際、外傷性脳損傷(TBI)やCTEでも、このあたりの組織が傷つきやすいことが知られています。
さらに、境目の“ぼやけ”が強い選手ほど、言葉のリスト学習の成績がわずかに低下していることも分かりました。
いずれも“臨床的な障害”と呼ぶほど大きな差ではありませんが、統計的にはヘディングの頻度が上がるほど、成績が少しずつ下がる傾向が見られました。
また、ヘディング回数が特に多い選手(例:年1000回超の重度群)で差が大きく、低頻度(例:週2回程度)では非接触スポーツ選手と大きな違いは見られにくい傾向でした。
とはいえ、ここで大切なのは、「安全ラインを一律に決められるわけではない」ことです。
遺伝的な体質や脳震盪の既往などの個人差により、同じ回数でも影響の出方は変わります。
つまり、“少ない回数でも影響を受けやすい人”もいれば、“多くても影響が出にくい人”もいる、ということです。
では、ヘディングはどれくらい危険なのでしょうか。
今回の結果は「ヘディングの頻度が上がるほど、脳の特定の境目が乱れ、学習テストの点がわずかに下がる」という関連を示しました。
一方で、これは時点の観察にもとづくもので、因果関係を断定するものではありません。
また、今回見つかった“境目の乱れ”が、将来のCTEや重い認知症に直結するかどうかも、まだ分かっていません。
だからこそ、同じ手法を用いた長期の追跡研究が必要です。
それでも、この成果は大きな一歩です。
これまで「見えにくかった」脳の表面近くの変化を、客観的な指標として捉えられるようになりました。
将来的には、この指標を“脳のダメージ早期警告”として用い、選手一人ひとりの練習メニューや休養、指導法を調整していくことが期待されます。
たとえば、ある選手のGWIが悪化しはじめたら、ヘディング練習を減らす、当て方を見直す、回復期間を長くするといった、個別化された予防が可能になるかもしれません。
見えなかった衝撃を、見える形に。脳を守るサッカーの未来は、ここから始まります。
参考文献
First-ever look at just how sports damage the brain
https://newatlas.com/brain/brain-damage-soccer-ball-headers/
Soccer Heading Does Most Damage to Brain Area Critical for Cognition
https://www.cuimc.columbia.edu/news/soccer-heading-does-most-damage-brain-area-critical-cognition
元論文
Orbitofrontal Gray-White Interface Injury and the Association of Soccer Heading With Verbal Learning
https://jamanetwork.com/journals/jamanetworkopen/fullarticle/2839068
Soccer Heading Exposure–Dependent Microstructural Injury at Depths of Sulci in Adult Amateur Players
https://doi.org/10.1212/WNL.0000000000214034
ライター
矢黒尚人: ロボットやドローンといった未来技術に強い関心あり。材料工学の観点から新しい可能性を探ることが好きです。趣味は筋トレで、日々のトレーニングを通じて心身のバランスを整えています。
編集者
ナゾロジー 編集部