アメリカのオハイオ州立大学(OSU)で行われた研究によって、シイタケの菌糸が、電子回路のなかでコンピューターのメモリー装置(RAM:揮発メモリ)として動作が示されました。
このシイタケメモリは最大で毎秒5850回(5.85kHz)もの電気信号を書き換え、その精度は約90%(±1%)に達しました。
さらに驚くべきことに、このデバイスは乾燥させた状態で保存でき、再び水を吹きかけるだけで機能が復活することも確認されています。
これは人口シナプスなど脳の仕組みを真似た次世代コンピューター(ニューロモーフィック)の実現に向けた有望な成果とされています。
キノコでできたメモリー素子は、果たして本当に未来のコンピューター部品になるのでしょうか?
研究内容の詳細は2025年10月10日に『PLOS ONE』にて発表されました。
目次
- 脳でもない、半導体でもない――第三の選択肢
- キノコの菌糸は情報処理システムとして機能する
- 未来のメモリは畑から?
脳でもない、半導体でもない――第三の選択肢

「キノコが電気で信号をやり取りできる」と聞いて、すぐに信じる人は少ないかもしれません。
ですが、意外なことにこれは冗談ではありません。
シイタケなどの菌類は、土壌や培地に広がる菌糸ネットワークを通じて微弱な電気信号を発していることが知られています。
その様子は、まるで脳の中で神経細胞同士が信号で会話しているかのようです。
実際、菌類を電子回路に利用する発想自体は以前から存在し、粘菌やキノコのマイセリウム(菌糸体)で計算問題を解かせたり、センサーに応用したりする実験も報告されてきました。
「生物である菌糸を電子回路と融合する」というとかつてはSFのような話に過ぎませんでしたが、現代では現実の研究分野になりつつあります。
一方で、脳を模倣するニューロモーフィック・コンピューティングの分野では「人工シナプス(メモリスタ)の」研究が盛んです。
しかし現在主流のメモリスタは半導体で作られ、レアメタル資源や大規模な工場を必要とします。
代替品として培養脳(オルガノイド)が持つ本物のシナプスの使用も研究されていますが、現状では装置の維持管理が非常に難しいという課題がありました。
そこで登場したのがキノコを使うというアプローチです。
シイタケの菌糸体は成長させるだけで網目状のネットワーク構造を作り出し、しかも神経細胞に似た電気的な反応を示すことから、シリコンや培養脳では難しかった持続可能で安価な新素材メモリスタの候補になると期待されています。
とはいえ、「生きた電子回路」であるキノコを本当に安定したメモリー素子として使えるのか、疑問に思う人もいるでしょう。
そこで今回、オハイオ州立大学の研究者たちは「食用キノコを材料にすれば、培養して乾燥し、必要なときに水を与えても再び動作するメモリー素子になるのではないか?」という大胆な仮説を検証しました。
干しシイタケは日本人にとって身近な食材ですが、乾燥状態を“保存モード”と見立てることで、生ものゆえの制約を越えられる可能性があるのです。
もしこのアプローチがうまくいけば、メモリー部品を「育ててストックする」時代が来るかもしれません。
ですが本当にそんな都合のいい話があり得るのでしょうか?
キノコの菌糸は情報処理システムとして機能する
では実際に、研究チームはどのようにして「キノコ製メモリ」を作り出したのでしょうか?
まず研究者たちは、シイタケの菌糸を実験室で丁寧に培養しました。
培養と言っても特別な設備は必要なく、標準的なペトリ皿(実験でよく使われる透明な小皿)の中に栄養のある培地(菌糸が成長するためのエサ)を入れ、その中で菌糸を育てました。
数日すると菌糸はどんどん伸びて広がり、やがて培地全体を真っ白く覆い尽くすように成長します。
この段階で、十分に育った菌糸の入ったペトリ皿を、約1週間ほどかけて自然に乾燥させます。
すると、白くて柔らかかった菌糸のマットは、まるでお煎餅のように固く円盤状に変化します。
ただし、お煎餅と違うのは、内部の菌糸がつながったネットワーク構造をそのまま保っているということです。
そして実験の直前に、乾燥して硬くなった菌糸ディスクに霧吹きでシュッと水を吹きかけて、再び湿らせます。
これはちょうど、干しシイタケを水で戻して柔らかくするようなイメージです。
適度な湿り気を与えると、菌糸内の導電性が回復し、再び電気を通すようになります。
研究者たちは、こうして「蘇った」菌糸デバイスに複数の電極を付け、それを既存の電子回路に接続しました。
次に、この「キノコ回路」が電気を流した時にどのように反応するかを詳しく調べました。
ここで研究者が使ったのが「交流電圧」というタイプの電気です。
交流電圧とは、プラスとマイナスが交互に入れ替わる電気の流れで、家庭のコンセントなどにも使われています。
研究者は、この電圧の波の形や周波数(1秒間に電気がプラスとマイナスに切り替わる回数)を少しずつ変えながら、菌糸デバイスに流れる電流を測定しました。
測定にはオシロスコープという装置を使います。
これは電気の流れを波の形として画面で見ることができる機械です。
実験の結果、菌糸デバイスの電気の流れには非常にユニークな特徴があることがわかりました。
電圧を変化させていくと、電流の流れ方が、まるで菌糸が過去に流れた電気を「覚えている」かのように、独特な形のループ(円形の軌跡)を描いたのです。
この電圧と電流の関係を示す図をI–V曲線(電流と電圧の関係を表すグラフ)と呼びます。
ここで現れたループ状のカーブこそが、メモリスタという電子素子が示す特有の現象です。
メモリスタとは、電気を流すとその履歴に応じて抵抗(電気の流れにくさ)が変化し、その後の電流の流れ方を変える部品です。
言い換えるなら、電子回路なのに「過去を覚えている」という不思議な特徴を持つ素子で、脳が学習する仕組みをまねるのに適しています。
特に、周波数(電気が1秒間に繰り返される回数)が低いときほど、この記憶現象がくっきりと現れました。
例えば、1秒間に10回(10ヘルツ)の滑らかな波形(正弦波)の電圧をかけると、この「メモリスタ特有のループ」が明確に確認されました。
これは菌糸が電気信号によって情報を「記憶」し、「呼び出す」仕組みとして働いていることを示す重要な観察結果となりました。
それでは、この「キノコメモリ」はどれくらいの速さで動くことができるのでしょうか?
研究チームは次に、この「キノコメモリ」がどこまで速く動けるのかを確かめました。
つまり、どれほどのスピードで「覚えて」「忘れて」「また覚える」ことができるのかを調べたのです。
周波数――つまり電気信号が1秒間に何回切り替わるか――を少しずつ上げながら、菌糸の反応を観察しました。
たとえば毎秒1000回や数千回と速度を上げていくと、菌糸がどこまでついてこられるかがわかります。
その結果、菌糸は最高で5850ヘルツ(1秒間に5850回)という速さの信号まで反応できることが示されました。
しかもその正確さはおよそ90%(±1%)に達していました。
これは、ちょっとした「生きたメモリー回路」として十分に機能しているレベルです。
この性能を、もし人間の感覚にたとえるなら、まるで耳がほんの一瞬のリズムの違いを聞き分けるようなものです。
シイタケの菌糸は、目には見えない速さで電気のリズムを感じ取り、自分の中にその情報を記録していたのです。
ただし、信号をどんどん速くしていくと、菌糸が「覚え違い」を起こすように精度はやや下がっていきました。
これは人間が早口の英語を聞くと一部聞き取れなくなるのと似た現象だと考えられます。
そこで研究チームは、もし複数のキノコメモリをつないで「チームプレイ」させたらどうなるかを検討しました。
その結果、並列につなげることで反応の遅れを補い、全体として安定した信号処理が可能になることが示唆されました。
これはまさに脳の神経細胞がたくさん連携して働くことで、思考の速さと信頼性を保っている構造に似ています。
また、このキノコメモリの大きな特徴は「乾燥と再生ができること」です。
先にも触れたように、乾燥状態でも内部の構造はそのまま保たれており、必要なときに水を吹きかけるだけで回路が再び動き始めます。
つまり、電源を切っても壊れず、保管しておいてまた起動できる「休眠型メモリー」のような仕組みなのです。
さらに特別な設備を使わなくても、この菌糸メモリは簡単に培養・乾燥・復活のサイクルを繰り返すことができました。
研究者たちはこの工程について、「思ったよりもずっとシンプルだった」とコメントしています。
菌糸は育てて乾かし、必要なときに“目を覚まさせる”だけで再び情報を記憶できる――そんな夢のような電子素材が、すでにシイタケの中にあったのです。
この研究は、シイタケの菌糸が単なる生物素材ではなく、電気信号を理解し、過去を記憶し、そして再び動き出す「学習する材料」になり得ることを示しました。
森の中で静かに息づくキノコたちが、なぜ「情報を処理する生命の回路」としての能力を持っているのかはまだわかっていません。
しかし菌糸がこうした能力を持つようになった理由は、自然界での生存戦略にあるのかもしれません。
栄養や水分の位置を正確に把握し、効率よく伸びるために、菌糸は環境の変化を敏感に感じ取り、電気信号を使って情報を伝え合っているのです。
このネットワークとしての働き自体が、脳の情報処理と重なる部分がある――。
菌糸が計算やメモリに使えるのは、自然の中で培われた仕組みが、結果として情報処理と一致していたからだとも言えるでしょう。

森の中で静かに息づくキノコたちが、なぜ「情報を処理する生命の回路」としての能力を持っていたのかは不明です。
ただ菌糸がこうした能力を持つようになったのかの推測は、進化の過程で考えることができます。
自然界で競争に勝ち抜くためには、栄養や水分の位置を正確に把握して、効率よく移動する必要があります。
そのため菌糸は、環境の変化を敏感に察知して、「電気信号」や「化学信号」などのシグナルを用いてネットワーク内で情報をやり取りします。
例えば、ある場所で栄養が見つかったとします。
すると菌糸はその情報を複合的なシグナルとしてネットワーク内で共有し, 資源配分や成長方向に反映します。
このネットワークとして存在し、情報を伝達・再配分するという仕組みは、脳の情報処理と似ており計算に応用しうる性質を示します。
菌糸が計算やメモリに使えるのは、彼らが生き残るためにとった資源探索・配分の戦略が、結果として情報処理のかたちと合致していたためだと言えるでしょう。
未来のメモリは畑から?

今回の研究により、身近なシイタケがデジタル情報を記憶できる有望な有機メモリー(生物由来の記憶素子)になり得ることが示されました。
これは、将来的にコンピューター部品を農作物のように「育てて作る」可能性を意味します。
特にキノコ由来のデバイスは生分解性があり、使い終わった後は土に還るため、電子ゴミを減らすことができます。
また低エネルギーで動作する可能性があり、さらに背景研究では放射線への耐性も示唆されているため、環境に優しいグリーンITや宇宙空間での電子機器など、幅広い分野への応用が期待されています。
もっとも現時点では課題も多く、キノコ由来の素子は生きた材料であるため、約2か月という短期間の実験でしか性能を評価できず、長期的な安定性はまだわかっていません。
また試作した菌糸メモリスタはペトリ皿ほどの大きさで、シリコンチップのような超微細な回路と比べると速度や容量では及びません。
そのため、実用化にはデバイスの小型化と性能の向上が不可欠です。
とはいえ、キノコの培養と乾燥保存のプロセスはシンプルで、大規模なシステムへの応用や長期保存も技術的には可能とされています。
それでも、人工物ではなく生きた菌糸が情報を記憶できることを実証した意義は大きいといえます。
研究者たちは、「堆肥の山と手作りの電子回路があれば、誰でもキノコ計算を始められる未来だって考えられる」と語っており、今後は三次元プリンターで作った型に菌糸を培養して電極を組み込む方法や、凍結乾燥や特殊ゲルでの保存など、さらなる改良にも取り組む予定です。
もしかすると、遠い未来ではコンピューターにメモリチップではなくキノコを植える日が来るのかもしれません。
元論文
Sustainable memristors from shiitake mycelium for high-frequency bioelectronics
https://doi.org/10.1371/journal.pone.0328965
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部

