毎朝なんとなく飲んでいるオレンジジュースが、じつは体の中の「遺伝子スイッチ」をまとめていじっているかもしれない――そんな少しゾクッとする結果が、ブラジルのサンパウロ大学(USP)で行われた研究によって示されました。
健康な20〜30代の男女20人に60日間、毎日500ミリリットルの100%オレンジジュースを飲んでもらい、飲む前と後で血液中の免疫細胞を調べたところ、1700個以上の遺伝子活性に加えて、RNAといった「遺伝子の裏方スタッフ」もまとめて動いており、血圧や脂質代謝、炎症などに関わるルートが一斉にチューニングされていたのです。
さらに体重が重めの人では脂肪や脂肪細胞に関わる経路が、普通体型の人では炎症の経路が主に変わるなど、「同じ一杯」でも体格によって効きやすい回路が違っていたのです。
なぜオレンジジュースは人間の遺伝子活性をここまで広範囲に影響を与える力があったのでしょうか?
研究内容の詳細は2025年10月30日に『Molecular Nutrition & Food Research』にてオンライン先行発表されました。
目次
- オレンジジュースの遺伝子活性に与える影響を本気で調べてみた
- 一日500mLのオレンジジュースで、血圧・炎症・脂肪の遺伝子が静かに変わる
- 遺伝子調節機能があるのはオレンジジュースだけ?――食の定義が変る
オレンジジュースの遺伝子活性に与える影響を本気で調べてみた

オレンジジュースと聞くと「糖分が多くて太りそう」というイメージを持つ人も多いでしょう。
確かにジュースには食物繊維がなく糖分も多いため、健康に良くないと考えられがちです。
実際、一部のニュースやコラムでは「ジュース=太る」「ジュース=血糖値スパイク」という言い方が強調されることがあります。
しかし近年、オレンジジュースについては、別の顔が少しずつ見えてきました。
血圧やインスリン抵抗性(血糖を下げにくくなる状態)、血中コレステロールなどが、少しだけ良い方向に動いたという研究が積み重なってきたのです。
またオレンジ由来のフラボノイドであるヘスペリジンやナリンゲニンといったフラバノン(柑橘由来のポリフェノール)が豊富に含まれ、これらは抗酸化作用や抗炎症作用など健康への有益な働きが報告されています。
果物や野菜を多く摂る食生活が健康に良いことは昔から知られており、100%オレンジジュースの習慣的な摂取は心臓病や脳卒中など心血管疾患のリスク低下と関連するという研究もあるのです。
しかし「ジュースを飲むと健康に良い」とはいっても、それが体内でどのような仕組みで起きているのかは長らく謎のままでした。
これまでの多くの研究は、「血圧が何ミリ下がったか」「コレステロールがどれくらい減ったか」といった“結果の数字”を見るものが中心で「遺伝子レベルでは何が起きているのか」まで踏み込まれることは多くはありませんでした。
そこで今回の研究チームは、オレンジジュースを飲む前と後で、血液中の免疫細胞の「遺伝子の働き方」を一気に調べ、さらに体重別に違いがあるかどうかを見てみようと考えました。
もし、日常的な一杯のジュースで、遺伝子の働き方までが変ってしまうとしたら、オレンジジュースはもはや「ビタミンC」が入った甘いジュースという俗的な見方は大きく覆されることになります。
しかし私たちにとって馴染み深いオレンジジュースに、遺伝子の働き方そのものを細胞レベルで変化させる「強い効果」のようなものは本当にあるのでしょうか?
一日500mLのオレンジジュースで、血圧・炎症・脂肪の遺伝子が静かに変わる

まず研究チームは、慢性の病気がない20〜30代の男女20人を集めました。
最初に3日間、柑橘類を食べない期間を設け、その後60日間、1日500ミリリットルの100%オレンジジュースを2回に分けて飲んでもらいました。
その間、他の柑橘食品は控えてもらい、ジュースが主な柑橘源になるようにしました。
ジュースを飲み始める前と60日後に、参加者から空腹時に採血し、リンパ球や単球など免疫の主力部隊を取り出して、遺伝子の働き方を調べました。
オレンジジュースを飲む前と後では、血液中の免疫細胞の中にある遺伝子の働き方がかなり変わっていました。
とくに、タンパク質の設計図になっている遺伝子活性が1705個も動いていたほか、スイッチ役の小さなRNAであるmiRNA(ほかの遺伝子を調整する小さなRNA)が66個、長い調節役であるlncRNA(長いRNA)が19個、ほかのRNAを加工する係のsnoRNAが67個、まとめて動いていました。
また変化の大きさは、ほんの少しではなく、おおむね1.5〜数倍(一部は数十倍)の範囲とかなり大きな変動がみられました。
次に、変化した遺伝子がどんな働きのグループに多いかを調べました。
すると、血圧の調節、脂質代謝や熱産生(脂肪の燃焼)、炎症、細胞接着、シグナル伝達経路に関わる遺伝子が、多く含まれていることが分かりました。
より具体的には、高血圧と関連する遺伝子が下がり、炎症のスイッチ役の遺伝子も抑えられ、脂質や脂肪細胞に関わる遺伝子などは「より健康的なプロファイル」と著者らが解釈できる方向に変化していました。
さらに研究チームは、参加者を普通体型(標準体重)グループと、やや体重が重め(過体重)グループに分け、同じ解析を行いました。
その結果、普通体型のグループでは、主に炎症の経路や免疫シグナルに関わる遺伝子が大きく動き、重めのグループでは、脂質代謝や脂肪細胞の形成に関わる経路がより強く変化していました。
このことから、同じオレンジジュースを飲んでいても、体重によって「どのスイッチが押されやすいか」が違う可能性が見えてきます。
これは、オレンジジュースの持つ生体作用が人それぞれの体質によって異なる可能性を示すものです。
では、なぜオレンジジュースを飲むだけでこれほど多くの遺伝子が動かされるのでしょうか?
鍵を握るのは、オレンジジュースに豊富に含まれる先述のフラボノイド(ポリフェノール)です。
研究者たちはコンピューターシミュレーションを使用して、ジュース中のフラボノイドは体内で分解されその分解物が体内で遺伝子発現を制御する転写因子(遺伝子のON/OFFを決めるタンパク質)に結合しうることを予測しました。
つまりオレンジジュース由来の代謝物が、これら遺伝子スイッチの「鍵穴」にスッと入り込んで結合し、そのスイッチのオン・オフ具合を調整する可能性があると考えられるのです。
イメージとしては、ジュースが鍵で、遺伝子のスイッチが鍵穴です。
ジュースを飲むと、その鍵がぴったり合って遺伝子のスイッチを少しだけ切り替え、体の健康バランスを整える手助けをするのです。
遺伝子調節機能があるのはオレンジジュースだけ?――食の定義が変る

本研究により、「オレンジジュースには遺伝子レベルで体を調節しうる治療的可能性がある」ことがより強く裏付けられたと著者らは述べています。
言い換えれば、ありふれた食べ物が人間のゲノム活動に広範囲な影響を及ぼしうるという重要な発見です。
毎日の食習慣が私たちの遺伝子に働きかけて健康を守っているかもしれないという点で、本研究は栄養と遺伝子の関係(ニュートリゲノミクス)に新たな光を当てています。
特に、効果の現れ方が体型によって異なるという結果は、一人ひとりに合わせた「パーソナライズド栄養」の重要性を後押しするものです。
例えばフラボノイドが豊富な食品を日常に取り入れれば、自分の体質に応じて炎症を抑えたり脂肪代謝を促したりする効果が期待できるかもしれません。
身近な食べ物で遺伝子のスイッチを調節して健康増進に役立てる――そんな未来が現実味を帯びてきた一歩だといえるでしょう。
もっとも、本研究は遺伝子の働き方の変化を主に調べたものであり、オレンジジュースの具体的な健康効果――たとえば血圧がどれくらい下がったかといった詳細な数字は本論文では新たに解析していません。
今後、さらなる大規模試験や対照実験を行い、今回の結果を検証するとともに、こうした分子レベルの変化が本当に病気リスクの低減など実際の健康効果につながるのかを見極める必要があるでしょう。
それでも本研究には大きな価値があります。オレンジジュースという身近な飲料で人間のコーディングRNAとノンコーディングRNAの両方にまたがる大規模な発現変化を示したのは前例が少なく、栄養がゲノムに及ぼす影響を包括的に示した点で画期的です。
もし今後、オレンジジュースだけでなく他の様々な食べ物や飲み物でも同様の遺伝子活性に与える変化が明らかになれば、食を「遺伝子調節の手段」と捉える新時代のゲノム薬膳のような分野が開けるかもしれません。
元論文
A Global Transcriptomic Analysis Reveals Body Weight-Specific Molecular Responses to Chronic Orange Juice Consumption in Healthy Individuals
https://doi.org/10.1002/mnfr.70299
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部

