猛暑の夏にはトマトが不作になったり味が落ちたりする――そんな悩みに、意外な救いの手が差し伸べられました。
筑波大学と理化学研究所の研究グループは、特定の暑さに強い性質を持ったトマトに、ごく薄いエタノールを吹きかけることで、厳しい暑さの下でもトマトが元気に育ち、果実の糖度(甘さ)さらにはビタミンCの量まで向上することを発見しました。
体なぜエタノールのスプレーでトマトは暑さを克服し、おいしくなったのでしょうか?
研究内容の詳細は2025年9月12日に『Scientific Reports』にて発表されました。
目次
- トマトにエタノールをかけてみよう
- エタノールをかけるとトマトが甘くなる
- 普通のトマトもエタノールで甘くなる
トマトにエタノールをかけてみよう

近年、地球温暖化の影響で夏の猛暑が世界各地で深刻化し、農業にも大きな被害をもたらしています。
気温が高すぎると植物は強いストレスを受け、本来うまく育つはずの作物が、実をつけなくなったり、品質が落ちたりしてしまいます。
特にトマトは暑さが苦手な作物として知られ、夏場には元気がなくなって実の付き方が悪くなったり、味や栄養価が落ちてしまうことが問題視されてきました。
この問題を解決しようと、暑さに負けない「耐暑性」のあるトマト品種を作る研究が進められてきましたが、新しい品種を生み出すには膨大な時間とコストがかかるため、なかなか実用化されていません。
そんな中、研究チームはトマトの暑さへの抵抗力に注目し、独自の研究を進めてきました。
トマトは、光を感じ取るセンサーのような役割をもつ「フィトクロム」というタンパク質を持っています。
研究チームは以前、このタンパク質の一種である「フィトクロムA(phyA)」という物質を作れない特殊なトマト(phyA変異体)を調べ、この変異体が普通のトマトより暑さに強いことを発見しました。
通常のトマトは暑い環境に置かれると細胞膜が傷つきやすくなり、細胞の中から水分や栄養分が漏れてしまいます。
さらに細胞内に「MDA(マロンジアルデヒド)」と呼ばれる有害な物質が蓄積して細胞を傷めつけ、トマトの元気を奪ってしまうのです。
ところがphyA変異体のトマトでは、この細胞膜が安定していて、暑くてもダメージが小さいことが分かりました。
また、この変異体では暑さの中で細胞の中に水分を保つためのアミノ酸「プロリン」が増えるなど、暑さに対抗する特殊な防御反応を備えていたのです。
しかし、そんなphyA変異体にも弱点がありました。
暑さに強い代わりに、暑い環境で育つと実がなかなか大きく育たず、種がない小さな実しかつきません。
さらに、植物が暑さから身を守るために重要な役割をもつ「HSP(ヒートショックプロテイン)」や「HSF(熱ショック転写因子)」というタンパク質を作る働きが、普通のトマトほど強くは発揮されていなかったのです。
そこで研究チームは考えました。
「変異体の強みを生かしつつ、なんとか弱点を克服できないか?」
暑さには強いが実が育ちにくいphyA変異体に、別の物質を与えて暑さへの対応力をさらに引き上げようと試みたのです。
チームが注目したのは、植物の成長を調整するホルモン剤の一種「4-CPA」と、誰もがよく知る身近な物質「エタノール(アルコール)」でした。
4-CPAは正式には「4-クロロフェノキシ酢酸」という名前で、植物が本来持つホルモン「オーキシン」とよく似た働きを人工的に再現した薬品です。
オーキシンは植物の成長を促したり、花が実になる過程を助ける重要な物質ですが、4-CPAは特に果実をたくさん付けたり、大きく育てたりする目的で農業現場でよく使われています。
一方のエタノールは、お酒の主成分としてお馴染みですが、実は最近の研究で、植物の成長ホルモンの働きや暑さや乾燥などのストレスに対する植物の反応にも影響を与えることがわかってきた興味深い物質です。
研究チームは、この2つの物質を使ってトマトが猛暑をどのように乗り越えられるか、実験を行いました。
実験は実際の栽培現場に近い環境を想定して設計されました。
phyA変異体のトマトを使い、夏の猛暑を模した2種類の環境にトマトを置きました。
ひとつは37℃という高温が一定に保たれた実験室内、もうひとつは昼に最高約50℃まで上がり夜は30℃程度に下がる真夏の温室環境です。
ここでトマトに、週に1回のペースで「4-CPA(20 ppm濃度)」または「エタノール(20 mM濃度)」を散布しました。
この実験で研究者たちは「トマトがちゃんと実をつけるか?」「実の大きさや品質はどう変化するか?」を詳しく調べました。
エタノールをかけるとトマトが甘くなる

実験の結果は、チームの予想を超える驚くべきものでした。
エタノールや4-CPAを定期的にスプレーされたphyA変異体のトマトは、猛暑環境の中でもしっかりと成長し、元気な姿を保っていたのです。
特に4-CPAを与えられたトマトは、花の数が増えて実がつきやすくなり、果実も大きく育ちました。
エタノールをスプレーしたトマトでも、生育は改善されましたが、花の数や実の大きさの増加は4-CPAほどはっきりとは見られませんでした。
一方で、エタノールと4-CPAの両方に共通して現れた素晴らしい結果もありました。
それは「果実の品質が明らかに向上した」ということです。
果実の品質を調べるため、研究チームはトマトの「糖度(Brix値)」と「ビタミンCの量」を測定しました。
Brix値というのは果実に含まれる糖分の量を表す数値で、この値が高いほど甘くておいしいトマトになります。
ビタミンCは人間の健康にとても重要な栄養素です。
猛暑では普通、果実は甘みや栄養が落ちてしまいますが、実験の結果、4-CPAやエタノールを散布したトマトはどちらも、散布しなかったトマトよりも糖度もビタミンCもはっきりと増加していました。
暑さで味が落ちるという常識を覆す結果が得られたのです。
ただし、果実の見た目に興味深い違いもありました。
4-CPAを散布したトマトでは、果実の色を作る色素のバランスが変化し、赤い色素である「リコピン」が減って、オレンジ色の色素「βカロテン」が増えました。
そのため、真っ赤なトマトというよりオレンジ色に近いトマトに変化してしまったのです。
これに対して、エタノールをスプレーしたトマトはきれいな赤色を維持しました。
こうした違いから、エタノール処理は「果実の見た目を美しく保ちつつ品質を向上させる」という、実用的なメリットも示しました。
さらにチームは、このトマトの体内で具体的にどんなことが起こっていたのかを、詳しく調べました。
植物が暑さで弱る原因のひとつは、暑さによって細胞がダメージを受けてしまうことです。
細胞は膜で覆われていますが、暑さでこの膜が傷つくと、細胞の中から電解質などの大切な物質が漏れ出てしまいます。
電解質が漏れ出る様子は、まるで細胞が「漏電」しているようなイメージです。
また暑さが続くと、細胞膜には「MDA」という有害な物質も溜まってしまいます。
今回の実験で、エタノールや4-CPAをスプレーしたトマトでは、このような細胞膜のダメージを示す電解質やMDAが明らかに少なく抑えられていました。
同時に、細胞内では水分や栄養分を逃がさないように保護する働きを持つ「プロリン」という物質が増えていたのです。
つまり、両方の処理はトマトの細胞膜を守り、猛暑の中でトマトが傷つかないよう「防御力」を高める効果が確認されました。
もうひとつ、植物が暑さに耐えるために重要なポイントが葉の「気孔」です。
気孔というのは葉の表面にある小さな穴のことで、人間の汗のように水蒸気を出して植物を涼しくする役割を持っています。
4-CPAやエタノールをスプレーされたトマトでは、この気孔の数が増え、ひとつひとつの穴も大きくなっていました。
そのため、水蒸気をたくさん出すことができ、まるでトマト自身が汗をかいて体を冷やすような仕組みが働いていたのです。
4-CPAでは、気孔が増える原因として、気孔を作るのを助ける「MUTE」や「FAMA」という遺伝子が活性化されたことが示されました。
エタノールについては気孔が増える仕組みはまだ完全には解明されていませんが、同じように気孔を活発にする作用があったと考えられています。
さらに研究チームが調べたところ、エタノールを散布されたトマトの細胞内では、暑さから身を守る特別なタンパク質(ヒートショックプロテイン=HSP)やその指揮役のHSF(熱ショック転写因子)という物質がたくさん作られていました。
特にエタノール処理では「HSFA1a」や「HSP70」という、暑さに対する抵抗力を強化するタンパク質が増え、細胞の傷つきを防ぐことが示されました。
4-CPAでも似た効果がありましたが、こちらは収穫量を増やす働きも持つため、「攻めと守り」の両方に効果があると分かりました。
エタノールは収穫量を大きく増やす効果はありませんでしたが、植物自身が持つ暑さへの防御スイッチを押して、「品質をしっかりと守る」という重要な役割を果たしていたのです。
このように、4-CPAとエタノールという身近な物質を使って、猛暑環境でもトマトの収穫量や品質を改善する新しい可能性が明らかになりました。
今回の研究成果は、地球温暖化時代の農業の未来にとって、大きな希望の光となるかもしれません。
普通のトマトもエタノールで甘くなる

あえて言うなら、エタノールはトマトにとって夏場の「スポーツドリンク」だったのかもしれません。
その理由は、エタノール噴霧が植物体内で熱中症対策に似た反応を引き起こしていたからです。
実際、エタノール処理によって葉の“汗”にあたる気孔の開放が促進され(身体の冷却効果)、HSPなど細胞を守る“プロテクター”が増強されるなど、猛暑に打ち勝つための生理機能が軒並み高まっていました。
さらにエタノールは植物ホルモン(オーキシンやジベレリン)の生成経路にも影響し、間接的に生長を助ける仕組みも働いていた可能性があります。
エタノールのスプレーはトマトに「暑さに負けるな!」と発破をかけ、作物自身のストレス対抗力を引き出すトリガーになっていたのでしょう。
安価で手に入りやすいエタノールを使ってトマトの耐暑性と品質を向上させる有効な方法が示されたことで、猛暑に挑む農業技術の新たな選択肢が広がりました。
4-CPAのような植物成長調整剤は従来から夏季栽培の果実着果に利用されていますが、一般の園芸愛好家や家庭菜園ではハードルが高い面もあります。
その点、エタノールは身近な物質ですが、本研究で確認されたのはphyA変異体トマトを用いた特定条件下での結果です。
研究チームも身近で安価なエタノールを使った今回の方法が、気候変動下でも持続的な農作物の生産に役立つ可能性があると期待しています。
一方で、今回の成果は特殊なphyA変異体トマトでの実証が中心であり、課題はこの手法が一般のトマト品種や他の作物でも通用するかどうかという点です。
研究チームは今後、エタノール噴霧の方法や濃度の最適化を進め、別のトマト品種や他の作物への応用可能性を検証していく計画です。
既に本研究では、市販の別品種トマト(シシリアンルージュ)にエタノールを試した追加実験で糖度上昇の効果を確認しており、一定の汎用性も見えてきました。
とはいえ品種ごとの反応差や、屋外栽培での実効性、安全性などクリアすべき点は残ります。
エタノールという身近な物質によって植物のストレス応答をコントロールする試みはまだ始まったばかりですが、その可能性は大いに感じられます。
過酷な夏でも甘くて栄養価の高いトマトを安定して収穫できる未来に向けて、今回の研究成果は小さくとも力強い一歩と言えるでしょう。今
後のさらなる研究の進展に期待が高まります。
参考文献
エタノール噴霧によりトマトの耐暑性と糖度が向上する
https://www.tsukuba.ac.jp/journal/biology-environment/20250912180000.html
元論文
Application of 4-CPA or ethanol enhances plant growth and fruit quality of phyA mutant under heat stress
https://doi.org/10.1038/s41598-025-17929-8
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部