科学者たちは最近、長い一本角で有名なイッカクの不思議な行動を発見しました。
静かに録音しているだけのはずの水中観測装置に、イッカクたちが何度も何度も体当たりしていたのです。
この意外な現象を明らかにしたのは、北海道大学の研究チームです。
研究者たちはグリーンランド北西部のフィヨルドに水中録音装置を設置し、イッカクが残した膨大な音の記録を解析することで、この謎の衝突行動の実態をつかみました。
この研究成果は2025年11月12日付の『Communications Biology』誌に掲載されています。
目次
- イッカクが水中の録音装置に”体当たりし続けている”と判明
- イッカクは録音装置を「獲物」だと勘違いしていた可能性
イッカクが水中の録音装置に”体当たりし続けている”と判明
イッカクは北極圏だけに生息する希少なクジラで、長く伸びた牙のような角で広く知られています。
音に敏感で臆病な性質を持ち、環境の変化や人間の活動に強い影響を受けやすいことで知られています。
そのため、近年はできるだけストレスを与えずにイッカクの行動を調べる研究手法が重視されてきました。
こうした背景から注目されているのが、「Passive Acoustic Monitoring(PAM)」という手法です。
PAMは、水中で動物たちの音や環境音を“静かに”録音するための科学観測システムです。
海底のおもりと浮きをロープでつなぎ、その中間に水中マイクを付けるというシンプルな構造です。
科学者たちはこの手法を「動物に負担をかけない理想的な観測方法」だと考え、世界中の海洋調査で活用してきました。
しかし、北海道大学の研究チームがグリーンランド北西部のイングルフィールド湾に設置した録音装置は、予想外の事態を記録していました。
装置が捉えた音を詳しく解析すると、まずイッカクのクリック音が聞こえ、次に獲物を追い詰める直前に出す特徴的な音が続き、その直後に大きな衝突音が響くという流れが何度も確認されました。
調査期間は2022年8月から2024年5月までで、合計で4000時間を超える音声データが集まりました。
そのうち247件もの明確な衝突音が記録されていましたが、録音は常時ではなく20分ごとに4.5分だけ作動していたため、実際には各装置ごとに約2か月のあいだで最大600回前後の衝突があったと推定されました。
つまり、イッカクは1日に10回から11回も録音装置に接近し、体当たりしていたと考えられるのです。
この衝突行動は、25キロメートル離れた深場に設置された2台の装置で同じように記録されており、偶然ではなく繰り返されていることが分かりました。
では、なぜイッカクたちは録音装置に何度も体当たりを繰り返すのでしょうか。
イッカクは録音装置を「獲物」だと勘違いしていた可能性
研究チームは、イッカクの行動と録音装置の構造に注目し、いくつかの理由を考察しています。
もっとも有力なのは、イッカクが録音装置を「獲物」と誤認しているという説です。
現地で捕獲された16頭のイッカクの胃の中を調べたところ、すべての個体に食べ物が残っており、その大半がタラの仲間だったことも明らかになりました。
イッカクは深い海の中で超音波を使ってタラやイカなどの餌を探します。
タラには浮き袋があり、超音波をとても強く反射するため、イッカクはそれを捉えているのです。
一方で録音装置も金属製の円筒の内部に空気が入っているため、超音波を跳ね返す特性が浮き袋を持つ魚とよく似ています。
そのためイッカクには、海底近くにある反射の大きな物体が、巨大なタラのように感じられている可能性があります。
実際に録音データには、イッカクが獲物を見つけて追い詰める時に発する音と、衝突の瞬間の大きな音が連続して記録されていました。
「追い詰める時の音」は、獲物を捕らえる直前だけに発する音なので、遊びではなく本気で獲物を狙っている行動だと考えられます。
ちなみに、現地のイヌイトのハンターたちは「イッカクは遊び好きだ」と伝承を語っています。
さらに録音データには、イッカクが装置に体を擦り付けているような音も記録されていました。
そのためイッカクの体当たり行動は背中のかゆみを取る、あるいは遊びや好奇心の表れだという可能性もあります。
とはいえ、深い海で何度も潜ってまで繰り返すのは多くのエネルギーを必要とするため、研究チームは、どちらかというと、録音装置を獲物と誤認している可能性の方が高いと考えています。
そしてイッカクの衝突行動にはさらに深刻な問題があります。
研究期間中に、録音装置のロープに絡まり死んでしまったイッカクの死骸が2頭発見されました。
どちらも尾にロープが巻きつき、水面に浮いている状態で見つかりました。
さらに2017年以降、この海域では少なくとも6基の観測装置が故障したり姿を消したりするなど、大きなトラブルに見舞われていることも分かりました。
これまでは氷山との衝突や機器の腐食などが主な原因と考えられてきましたが、今回の結果から、イッカクの体当たりや絡まりが一部のトラブルに関わっている可能性も高まっています。
この発見は、「動物に優しい」「生態系を乱さない」と信じられていた観測手法が、実際にはイッカクの行動や命に影響を与えている可能性を示した点で、これまでの常識を揺さぶる結果です。
研究チームは、ロープを短くすることや輪の部分を作らないこと、空気入りで魚のようなサイズ感の装置を避けることなど、観測機器の設計を根本から見直すべきだと提言しています。
人工物に対する”生物の不思議な行動”を発見したなら、それは「人と生物の正しいかかわり方」を見つけるためのヒントなのかもしれません。
参考文献
Narwhals hit moorings—questioning safety assumptions of oceanographic monitoring in the Arctic
https://www.global.hokudai.ac.jp/news/24139/
Narwhals Keep Body-Slamming Scientific Gear, and It’s Killing Them
https://www.zmescience.com/science/oceanography/narwhals-keep-body-slamming-scientific-gear-and-its-killing-them/
元論文
Repeated narwhal interactions with moorings challenge safety assumptions of passive acoustic monitoring in the Arctic
https://doi.org/10.1038/s42003-025-09106-4
ライター
矢黒尚人: ロボットやドローンといった未来技術に強い関心あり。材料工学の観点から新しい可能性を探ることが好きです。趣味は筋トレで、日々のトレーニングを通じて心身のバランスを整えています。
編集者
ナゾロジー 編集部

