ドイツのヴィッテン/ヘルデッケ大学(WHU)で行われた研究によって、欧米のプロ歌手648人の寿命を「どれくらい有名か」という観点から比べると、有名な歌手は平均75歳前後で亡くなっていたのに対し、それほど有名でない歌手は平均約80歳まで生きていることがわかりました。
つまり、名声を手にした側はそうでない側より平均で約4〜5年早く命の灯が消えていたことになります。
また、統計モデルで死亡リスクを比べると、有名歌手のほうが約33%高いという結果が出ており、この大きさは「月に11–30本程度タバコを吸う人」が背負うリスクとほぼ同じレベルだと考えられます。
ふつうはお金や地位が高いほど医療や生活環境に恵まれて長生きしそうだと考えられるのに、なぜ「有名であること」が、これほどまでに寿命の差と結びついてしまうのでしょうか。
研究内容の詳細は2025年11月25日に『Journal of Epidemiology & Community Health』にて発表されました。
目次
- 寿命を縮めるのはミュージシャンという「職業」か「名声」か?
- 無名から有名になるだけで寿命が約5年縮む
- 富の寿命ボーナスさえ上書きする名声の高い「寿命削り効果」
寿命を縮めるのはミュージシャンという「職業」か「名声」か?

「ロックスターになれば、一生安泰でキラキラした毎日が待っている」──そんなイメージを、一度は思い浮かべたことがある人は多いと思います。大きなステージ、世界中のファン、山のようなお金。
成功したミュージシャンは、まさに現代版の王子様やお姫様のように語られます。
ところが歴史を振り返ると若くして亡くなったスターたちの伝説や、ドラッグや自殺で命を落としたミュージシャンのニュースが、何度も何度も繰り返されてきました。
2007年に発表された「Elvis to Eminem」と呼ばれる研究では、ヨーロッパと北米のロック/ポップスター1064人の生存を追跡し、名声を得てから数年〜25年ほどのあいだ、一般の人と比べて死亡リスクが2〜3倍に達する期間があると報告されています。
ミュージシャンの自殺率が一般人口より2〜7倍高いという報告も複数あります。
なぜミュージシャンはそんなに危険なのでしょうか。
まずプロのミュージシャンという職業そのものが、かなり過酷な環境ということです。
たとえば収入は不安定で、不規則なスケジュールや長距離移動、社会的な孤立が生じやすいとされています。
一方で現代では、ステージに立てば失敗がすぐにネットで拡散され、同業者どうしの競争も激しいという状況も想像できます。
こうした要因が、うつ・不安・アルコールや薬物依存のリスクを押し上げていることは、すでに多くの研究で示されています。
しかし、ここには一つ大きな疑問が残っていました。
それは「リスクが高いのは『ミュージシャンという職業』のせいなのか、それとも『有名であること』のせいなのか」という点です。
(※先のヨーロッパと北米の調査は主に「スター級の有名人」について調べたものであり職業と有名が混ざっていてわかりません)
しかし従来の研究は、たいてい「一般の人」vs「有名ミュージシャン」という比較でした。これだと、「職業」と「名声」と「もともとの性格」が、ぐちゃっと一つの塊になってしまいます。
今回の研究は、このごちゃ混ぜをほどくことを目指しました。
果たしてミュージシャンの命を削っていたのは職業と名声のどちらだったのでしょうか?
無名から有名になるだけで寿命が約5年縮む

まず研究チームは、1950〜1990年に活動していたヨーロッパと北米の歌手の中から、有名な歌手324人と知名度が低い歌手324人を比較しました。
比較にあたっては性別・生年月・国籍・人種・音楽ジャンル・バンドかソロかといった条件がほぼ同じになるように注意深く行われました。
結果は明瞭でした。
スター歌手は平均75歳前後まで生存しましたが、無名に近い歌手は平均約80歳まで生きたのです。
つまり名声を得た歌手は、そうでない歌手よりも寿命が約4.6年分短かったことになります。統計解析によれば、この差は偶然では説明できず、有名な歌手の死亡リスクは同じ年齢の無名の歌手よりも33%高いと推定されました。
同じ音楽業界で活動していて、主な条件をそろえ「名声」の有無にだけに焦点を当てても、これほどの開きが出たのです。
興味深いのは、その差が「いつ」現れるかです。
研究チームは、時間とともにリスクがどう変わるかを見る解析も行い、「まだ無名だった時期」と「有名になったあとの時期」を分けて調べました。
その結果、リスクの差がはっきりと立ち上がるのは名声を得たあとであり、「もともと体の弱い人が有名になりやすかった」だけでは説明しにくいことが示されました。
コラム:裕福なことで得られる追加の寿命
多くの国のデータをみると、「裕福さ」はかなりはっきりと寿命に現れています。たとえばアメリカでは、所得でいちばん上の1%と、いちばん下の1%を比べると、男性で約14.6年、女性で約10.1年も平均寿命が違うと報告されています。これは極端な比較ですが、「収入が低いグループ」と「高いグループ」のあいだで、10年前後の差がつきうることを示しています。一方、ヨーロッパなどの福祉が厚い国々では、学歴や職業などを基準にした「社会経済的地位」のちがいによる寿命差は、男性でおおよそ3〜8年、女性で2〜4年程度と報告されることが多く、「格差が小さい国ほど、寿命の差もやや小さい」という傾向が見えてきます。では「裕福であること」が、なぜ寿命の上乗せにつながるのでしょうか。まず収入が高いと、危険な仕事や長時間労働を避けやすくなり、事故や過労のリスクが下がります。安全な住環境や、空気のきれいな地域に住みやすくなり、体を傷つける要因を遠ざけやすくなります。体調がおかしいときにすぐ医者にかかれることや、予防医療にアクセスしやすいことも、じわじわと寿命に効いてきます。さらに、教育を受けやすい環境や、心の支えになる人間関係を作りやすいことも、生活習慣やメンタルヘルスを通じて健康に影響します。「裕福なことで得られる追加の寿命」とは、宝くじのように誰か一人だけが大当たりするものではなく、社会のルールや仕組みによって、じわじわと多くの人の健康に差をつくってしまう見えない命の格差とも言えるでしょう。
また解析からは他にも興味深い結果が得られており、バンドに所属している歌手は、ソロ歌手に比べて死亡リスクが約26%低いことも分かりました。
では、「死亡リスク+33%」という数字は、私たちがよく知っているどのリスクに近いのでしょうか。
研究者たちはこの数字を「ときどき喫煙する人(1日1本未満)」のリスクと並べて考えています。
疫学研究では、「月に11–30本程度タバコを吸う少量喫煙」を生涯続ける人でも、非喫煙者に比べて全体の死亡リスクが30%前後高くなることが報告されています。
そのため、ざっくりと言えば、歌手の「名声リスク」は、一生を通じてかなり軽めの喫煙を続けるくらいの負担に近い、とイメージすることができます。
この結果は名声が決して“ただの憧れ”ではなく、公衆衛生の観点からも真面目に扱うべき要因だと伝わりやすくなります。
少なくとも職業上のストレスだけでは説明できない余分なリスクが、有名人にはのしかかっているようなのです。
では、なぜ名声がここまで重いのでしょうか?
富の寿命ボーナスさえ上書きする名声の高い「寿命削り効果」

では、なぜ名声がここまで重いのでしょうか。
研究者たちは原因の一つとして、有名税とも言える独特のストレスを指摘しています。
例えば、有名人は常に大勢の注目を浴び、プライバシーを失い、失敗すれば手酷く批判されます。この「常時監視され緊張を強いられる環境」は、心に大きな負担をかけるでしょう。
実際、過去に15人のアメリカの有名人にインタビューした研究では、名声を得ると「これがなくなったら自分は終わりだ」という意識を持つようになることがわかりました。
また類似の事例としては、ミシュランの格付け(星)が低下したシェフが自殺する例も知られています。
さらにプレッシャーにさらされることで不健康な対処行動(例えば飲酒やドラッグなど)に走りやすくなる可能性もあります。
こうした名声に伴う心理社会的ストレスが慢性的に蓄積し、健康を蝕むのではないか、と研究チームは考えています。
(※社内で有能な人として「名声」を得るのと「ミュージシャン」で「名声」を得るのは大きく違うと考えられます)
本来、収入や社会的地位が高い人ほど医療や生活環境に恵まれ、健康で長生きしやすい傾向があります。
それにもかかわらず、名声によるストレスは富裕層であることのメリットを打ち消すほど深刻になっている可能性があると今回の結果は示唆しています。
コラム:ミュージシャン+名声が毒になる仕組み
人間の脳は本来は数十人からせいぜい百数十人くらいの人間関係(ダンバー数として知られる)の中で、「好かれているか」「嫌われているか」を処理するように進化してきたと考えられています。しかし、有名ミュージシャンは、フォロワーや視聴者、ファン、アンチを含めて、何万人、何百万人分もの評価や感情が、数字やコメントの形で一気に押し寄せます。これは、脳の「承認欲求」や「不安」を司る回路にとって、いわば超ド級の刺激です。ライブ会場の歓声や再生回数の伸びは、快感物質をどんどん出してくれる一方で、その状態が「普通」になると、少しでも反応が落ちたときに、急激な不安や自己否定に転じやすくなります。「もっと注目されなきゃ」「前より数字が悪い=自分の価値が落ちた」という感覚に追い立てられるうちに、アルコールや薬物に頼って心を麻痺させたくなる人が出てくるのは、ある意味で自然な流れです。
さらにやっかいなのは、名声が高まるほど「舞台の上の自分」と「本当の自分」のギャップが広がりやすいことです。ファンやメディアが求めるキャラクターを演じているうちに、「本当の自分は誰なのか」が分からなくなる、という証言は、有名人のインタビュー集や心理学的な研究でも繰り返し出てきます。音楽はもともと、自分の弱さや傷を表現することで救いになる側面がありますが、ビジネスとして成功すると、その弱ささえも「商品」として消費されてしまうことがあります。「苦しんでいる自分まで売り物になる」という感覚は、とても強い自己分裂感を生みやすいものです。その一方で、外から見れば「夢をかなえた成功者」なので、身近な人に本音を打ち明けにくく、孤立感は深まりやすくなります。
こうして、「不安定な働き方」「強烈すぎる承認と批判」「キャラクターとしての自分を演じ続ける疲れ」「それを支えるための酒やドラッグ」といった要素が、ゆっくりと絡み合っていきます。富と名声と性的なアクセスは、本来なら生存に有利な「ご褒美」のはずですが、その強さとスピードが人間の心の設計図を大きく超えてしまうと、それ自体がストレスと自己破壊の燃料に変わってしまうのです。「ミュージシャン+名声が毒になる仕組み」は、ひとつの悪い要因ではなく、進化的に想定されていなかったレベルのご褒美とプレッシャーを、脳と心が処理しきれなくなっていくプロセスだと言えるかもしれません。
研究者も論文の中で、「名声が高い人々は非常に脆弱であり、ミュージシャンという職業も相まって、富による健康上の利益さえも覆い隠すほど有害であるように見える」と述べ、著名人への健康支援の必要性を訴えています。
名声と寿命の関係は、一見華やかなスターの人生に潜む影の部分を浮き彫りにしています。
スポットライトを浴びる人生は輝かしい反面、その光の強さゆえに本人の心身を焼き尽くしてしまうのかもしれません。
私たち一般人にとっても、有名人の華やかな表舞台だけでなく、その陰での努力やストレスに思いを致し、必要に応じて支援の手を差し伸べることの大切さを教えてくれる研究結果と言えるでしょう。
元論文
The price of fame? Mortality risk among famous singers
https://doi.org/10.1136/jech-2025-224589
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部

