東京都立小児総合医療センター(TMCMC)のチームは、これまで医学文献でも100例に満たないとされる「月経精神病(menstrual psychosis)」を日本の10代女性で確認し、専門誌で詳しく報告しました。
この少女は約2年間、月経周期と一致して「幻聴」「妄想」などの強い精神病症状に悩まされ、標準的な治療薬が効かない中、意外な薬で劇的な改善を示しました。
その薬とは何だったのでしょうか?
研究の詳細は2025年10月21日付で学術誌『Psychiatry and Clinical Neurosciences Reports』に掲載されています。
目次
- 月経が来るたび現れる謎の精神症状
- 意外な薬で劇的改善、その薬とは?
月経が来るたび現れる謎の精神症状
「誰かに見られている気がする」「周りの会話が自分のことに思えて仕方ない」
そんな不安や恐怖、さらには実際に“クラスメイトの声が聞こえる”という幻聴まで――。
症例の10代女性は、それまで精神的な問題も家族の病歴もなかったにもかかわらず、16歳ごろからこのような強い精神症状に悩まされ始めました。
はじめは統合失調症と診断され、一般的な抗精神病薬が投与されています。
しかし症状は改善しませんでした。転院後、医療チームは入院下で慎重に観察を重ねました。
すると、驚くべき「周期性」が明らかになりました。
入院中、月経前になると必ず不安や落ち着かなさが現れ、やがて「声や音が頭の中に入ってくる」といった幻聴・妄想がピークに達したのです。
しかし月経が始まって4日ほどで、うそのようにすべての症状が消えることがわかりました。
この現象は翌月も、またその次の月も、周期的に繰り返されました。
症状の現れ方も「考えが電話中に漏れ出している」「自分の思考が他人に伝わっている気がする」など、ときに本人を強く苦しめるものでした。
抗精神病薬の増量や治療法の変更も効果がなく、「月経周期と精神症状の一致」という、極めて特異なパターンだけがはっきりと現れていました。
意外な薬で劇的改善、その薬とは?
この不思議な周期性をもつ症状は、「月経精神病(menstrual psychosis)」と呼ばれます。
月経前症候群(PMS)や月経前不快気分障害(PMDD)といった、よく知られる月経関連の気分変調とは異なり、「幻覚」や「妄想」といった本格的な精神病症状が現れる点が最大の特徴です。
しかも、月経の始まりと同時にスパッと消える――そんなパターンは、世界中でも報告がきわめて少ないことで知られています。
医学的には、月経後期に起きる「エストロゲン(女性ホルモン)」の急激な減少が、脳内のドーパミンなど神経伝達物質のバランスに影響し、精神病的な症状を引き起こす可能性が指摘されています。
しかし、そのメカニズムはまだ完全には解明されていません。
今回の症例でカギとなったのは、「カルバマゼピン」という薬でした。
本来はてんかんや双極性障害の治療に使われるもので、脳の興奮性や神経伝達の安定化に働きます。
医師たちは、これまでの精神病に対する治療薬がまったく効かなかったため、この薬を少量から慎重に投与。
すると、少女の精神症状は完全に消失し、抗精神病薬や抗うつ薬をやめても再発しなくなりました。
カルバマゼピンがなぜ効果を示したのか――報告では、「脳内のチャネルや神経伝達物質の活動調整作用」が関与している可能性が指摘されています。
ただし、月経精神病そのものが非常に珍しいため、この薬が誰にでも効くとは限りません。
あくまで一例の成果であり、今後のさらなる研究が必要とされています。
今回の報告は「月経精神病」という極めて珍しい疾患の実態と、それに対する新たな治療の可能性を世界に示した点で大きな意義があります。
「自分の症状がなぜ現れるのか、なぜ薬が効かないのか」、患者も家族も途方に暮れる状況で、医療現場の丁寧な観察と果敢なアプローチが、道を切り開きました。
症例報告は単なる「一例の記録」に見えるかもしれませんが、医学の進歩はこうした地道な記録の積み重ねによって支えられています。
参考文献
Psychiatrists document extremely rare case of menstrual psychosis
https://www.psypost.org/psychiatrists-document-extremely-rare-case-of-menstrual-psychosis/
元論文
Menstrual psychosis with a marked response to carbamazepine
https://doi.org/10.1002/pcn5.70217
ライター
千野 真吾: 生物学に興味のあるWebライター。普段は読書をするのが趣味で、休みの日には野鳥や動物の写真を撮っています。
編集者
ナゾロジー 編集部

