仕事の締切が迫っていると分かっているのに、気づけばまったく別の作業に没頭してしまう。
「やる気がないわけじゃないのに、時間だけが勝手に進んでいく気がする」
そんな“時間の扱いにくさ”を抱えている人は少なくありません。
とくに注意欠如・多動性障害(ADHD)の当事者からは、「未来の予定が頭の中でうまく形を持たない」「計画を立てても自分の中で実感が続かない」といった声が多く聞かれます。
これらは単なる習慣の問題ではなく、“脳のどこをどう使っているか”と関係しているのではないか。
そうした疑問に挑んだのが、中国・重慶市にある西南大学(Southwest University)心理学部の研究チームです。
このチームは、ADHD特性の強さと「未来をどれだけ鮮明に思い描けるか」の関係を調べ、その時に働く脳のネットワークを詳細に分析しました。
すると、未来を見通す力に関わる特定の脳領域の連携が、ADHD特性と密接に結びついている可能性が明らかになりました。
時間を忘れて夢中になる、締切を守れない、計画が実行に移らない──その背景に、どのような脳の働きが潜んでいるのでしょうか。
この研究の詳細は、2025年7月13日付けで科学雑誌『Progress in Neuro-Psychopharmacology & Biological Psychiatry』に掲載されています。
目次
- ADHDの人が訴える“時間を意識することの難しさ”
- 「時間と脳の関係」を、どうやって確かめたのか
- 未来志向を行う「脳ネットワーク」が「ADHD特性」に関連していた
ADHDの人が訴える“時間を意識することの難しさ”
気づいたら2時間が消えていた。
未来の予定を考えようとしても、霧がかかったようにぼんやりしてしまう。
頭では分かっているのに、締切が迫っている実感が湧かない──。
ADHDといえば注意散漫や衝動性が注目されがちですが、多くの当事者が共通して語るのは、こうした“時間を意識することの難しさ”です。
未来の予定をうまく思い描けるかどうかは、想像力だけの問題ではありません。脳の中でどの部分が連携して働くかが、大きく関わっています。
そこで、西南大学心理学部の研究チームは、「未来をどれだけ意識できるか」「ADHDの特性がどれほど強いか」「脳のどの部分がこれらに関わっているのか」という三つの側面を同時に調べる大規模な分析を実施しました。
未来がぼんやりすると、時間も管理しづらくなる?
研究チームは、大学生を対象に未来への意識の強さとADHD特性を測定し、そのうえで脳のネットワークがどのように働いているのかを調べました。
専門的な調査方法は次項で詳しく説明しますが、ポイントは「脳のどこが未来を見る力に関わっているか」を丁寧に調べたというところにあります。
その結果、未来をはっきり思い描ける人ほど、注意のコントロールがしやすく、ADHD特性が弱い傾向がありました。
一方で、未来がぼんやりしてしまう人ほど、締切や予定にうまく意識が追いつかない可能性が高いことも示されました。
さらに、未来志向とADHD特性とのあいだには、脳のネットワークの“つながり方”が関わっていることが示唆されました。
つまり、時間管理のむずかしさは「気分」や「性格」だけの問題ではなく、脳の回路の使われ方とも結びついている可能性が浮かび上がったのです。
この研究が示す「ざっくりとした結論」

この研究が明らかにしたもっとも重要なポイントは、未来をどれだけ“自分のこと”として感じ取れるかが、ADHD特性と関連しており、それが脳のネットワークの結びつきの強さにも現れていたという点です。
この脳内ネットワークがしっかりと連携していると、近い未来の出来事が「自分に関係のあること」として理解しやすくなります。
未来が具体的にイメージできれば、今やるべきことの優先順位が自然と見えてきます。
しかし、未来の輪郭が曖昧だと、どうしても目の前の刺激に注意が引き寄せられ、計画に沿って行動をコントロールしにくくなってしまいます。
ADHDでよく語られる「タイム・ブラインドネス(時間盲)」は、この状態に近いものと考えられます。
つまり未来が手触りを失うことで、時間を意識すること自体が難しくなり、待ち合わせにいつも遅刻したり、締切忘れや先延ばしなど「時間にルーズ」な特徴が表面化してしまうのです。
では、この結論はどこまで信頼できるのでしょうか。次項からは、なぜそう言えるのか、もう少し具体的な説明とこの研究が抱える限界について詳しく見ていきます。
「時間と脳の関係」を、どうやって確かめたのか
西南大学の研究チームはまず、中国の大学生240人に協力してもらい、ADHDの傾向と、未来をどれだけ意識しているか、という二つの特徴をアンケートで測定しました。
ADHD特性には、成人用の自己記入式質問票である「Adult ADHD Self-Report Scale(ASRS)」を使いました。
これは「集中が続かない」「順番どおりに物事を進めるのが苦手」といった項目にどの程度あてはまるかを答えていくテストです。
一方で未来志向には、「Zimbardo Time Perspective Inventory(ジンバルドー時間的展望尺度(ZTPI))」という心理測定法を用いました。
これは「将来のために今の楽しみを我慢するほうだ」「長期的な目標をはっきり持っている」といった問いに答えることで、どれだけ日ごろ未来を意識して行動しているかを数値化するテストです。
この結果、未来志向が高い人ほど、注意力の欠如や多動・衝動性といったADHD特性のスコアが低いという、これまでの研究と同じ傾向が改めて確認されました。
次に研究チームは、全員にMRI装置に入ってもらい、脳の画像を撮影しました。
ここで行われたのは、大きく二種類の解析です。
一つ目は「ボクセルベース形態解析(Voxel-Based Morphometry)」という方法で、脳の各部位の灰白質の量を比べる解析です。
灰白質とは、神経細胞の本体が集まっている部分で、「その場所の計算資源の多さ」をざっくり見るイメージに近いものです。
この解析の結果、未来志向が高い人ほど、自己を振り返ったり行動を計画したりするときに関わる上内側前頭回や左前中心回で灰白質が多いことが分かりました。
一方で、左下頭頂小葉や左上側頭回といった情報処理や認知制御に関わる領域では、未来志向が高い人ほど灰白質が少ないという、逆向きの関係も見つかりました。
これは「機能が弱い」という意味ではなく、脳のネットワークが成熟し、処理が効率化されている状態だと考えられます。そのため未来を強く意識できる人ほど、目の前の刺激や情報に必要以上のリソースを割かずにすむ“効率的な処理”が行われている可能性があります。
これが予定に合わせて行動をコントロールする能力につながっている可能性があるのです。
二つ目は、「安静時機能的結合解析(resting-state functional connectivity)」です。
これは、何も課題をしていないときに、脳の領域同士がどれくらい同時に活動しているかを調べる方法で、「どことどこがよく情報をやり取りしているか」というネットワークの地図をつくることができます。
研究チームは、先ほど灰白質の変化が見つかった領域を「種(シード)」として設定し、そこから他のどの領域に向かって強い結合が伸びているかを調べました。
その結果、とくに重要だったのが左下頭頂小葉です。
この左下頭頂小葉は、未来志向が高い人ほど、内側前頭前野の中でも背内側前頭前野と腹内側前頭前野という二つの部分と強く結びついていることが分かりました。
これらの前頭前野の領域は、「デフォルトモードネットワーク」という自己や将来のことを考えるときに働くネットワークの中核であり、将来の目標やその価値を評価する役割を持つと考えられています。
これが優先順位をつけて予定を考えるための土台になっている可能性があります。
未来志向を行う「脳ネットワーク」が「ADHD特性」に関連していた
ここまでで、三つの関係がそろいました。
一つ目は「未来志向が高いほどADHD特性が弱い」という関係です。
二つ目は「未来志向が高いほど、左下頭頂小葉と内側前頭前野の結合が強い」という関係です。
三つ目は「この結合が強いほど、ADHD特性が弱い」という関係です。
研究チームは、これらがどのようにつながっているのかを確かめるため、「媒介分析(mediation analysis)」という統計手法を使いました。
媒介分析とは、Aという要因とCという結果のあいだに、Bという要因が“仲立ち”として入っているかどうかを調べる方法です。
今回の場合、「左下頭頂小葉と内側前頭前野の結合(A)」と「ADHD特性(C)」のあいだに、「未来志向(B)」がどのように入り込んでいるかを検証しました。
解析の結果、未来志向がこの関係をほぼ完全に“媒介”していることが示されました。
つまり、脳ネットワークの結合の強さは、その人がどれだけ未来を意識しているかに影響し、その未来志向の高さが、注意欠如や多動・衝動性の程度と結びついているという流れが統計的に支持されたのです。
この結果から研究チームは、「特定の脳回路のコミュニケーションのあり方が未来志向を形づくり、その未来志向がADHD特性と関係している可能性がある」と結論づけています。
どこまで言える結果なのか、そしてこれからの課題
ただし、この研究にはいくつかの重要な制限があります。
まず、対象はADHD診断を受けた患者ではなく、「比較的健康な大学生」です。
そのため、今回見つかった関係が、臨床的なADHDの人々にもそのまま当てはまるかどうかは、今後あらためて検証する必要があります。
また、研究デザインは一時点での観察に基づく相関研究です。
そのため、「脳結合が弱いから未来志向が低くなり、その結果ADHD特性が強まる」といった因果の向きまでははっきり分かりません。
逆に、もともとの性格傾向や生活習慣が長年のあいだに脳ネットワークの発達に影響している可能性も否定できません。
さらに、未来志向やADHD特性の強さはどちらも自己報告式の質問票で測定されています。
本人の自覚や回答態度が結果に影響する余地があるため、今後は実際の先延ばし行動や締切の守り方など、より客観的な行動データと組み合わせた研究が望まれます。
それでも、この研究は「未来を考える力」と「脳ネットワーク」と「ADHD特性」という三つの要素を同じ枠組みで捉えたという点で、重要な一歩だといえます。
今後は、未来を具体的に思い描くトレーニングや、予定や目標を見える形にしておく支援ツール、さらには薬物療法などが、この脳ネットワークや未来志向にどのような変化をもたらすのかが順番に検証されていくことになります。
もし将来、こうした介入によって未来志向を高め、脳のつながり方を未来を見通しやすい状態に整えられるようになれば、「締切がいつもギリギリになってしまう」という悩みに対する新しいアプローチが見えてくるかもしれません。
参考文献
ADHD’s “stuck in the present” nature may be rooted in specific brain network communication
ADHD’s “stuck in the present” nature may be rooted in specific brain network communication
https://www.psypost.org/adhds-stuck-in-the-present-nature-may-be-rooted-in-specific-brain-network-communication/
元論文
Neural basis of the association between future time perspective and ADHD characteristics: functional connectivity between Left inferior parietal lobule and mPFC
https://doi.org/10.1016/j.pnpbp.2025.111427
ライター
相川 葵: 工学出身のライター。歴史やSF作品と絡めた科学の話が好き。イメージしやすい科学の解説をしていくことを目指す。
編集者
ナゾロジー 編集部

