「この世界のすべてを説明できる完璧な理論」が存在しないかもしれない——。
カナダのブリティッシュコロンビア大学オカナガン校(UBC Okanagan)など複数の国際研究機関から成る研究チームの最新の研究によって、あらゆる物理法則を一つにまとめ上げる「万物の理論」を、数学的なアルゴリズムだけで構築することには原理的な限界がある可能性が示されました。
数学の世界では、どんなに優れた理論でも、その中で証明できない問題が必ず存在することが知られています(ゲーデルの不完全性定理など)。
研究チームは、この数学的な限界が物理法則にも当てはまることを示し、物理の理論にも完全に計算だけで記述する限界があることを明らかにており、論文でも「完全にアルゴリズム的な「万物の理論」は不可能であることが示唆される( a wholly algorithmic “Theory of Everything’’ is impossible)」と記されています。
これは、たとえ現在の私たちが夢に描くような「万物の理論」やその「美しい方程式」が完成したとしても、その理論では説明できない現象が必ず現れることを意味します。
研究チームはその代わりに、計算だけでは解けない問題にも対応できる新しいタイプの理論として、「メタ万物理論(MToE)」という考え方を提案しています。
これは「計算(アルゴリズム)」だけではなく、「理論の外から真理を認定する仕組み」を取り入れることで、これまで説明できなかった宇宙の現象にも道を開こうとする理論です。
果たして、この発見は私たちが宇宙を理解する方法をどのように変えることになるのでしょうか?
研究内容の詳細は『Journal of Holography Applications in Physics』にて発表されました。
目次
- 数学の世界から万物の理論に「待った」がかかっている
- 数式を重ねて作った「万物の理論」にも限界がある
- 『万物の理論』崩壊の先にある、物理学の未来とは?
- 専門化向けざっくり解説
数学の世界から万物の理論に「待った」がかかっている

現代の物理学には、まだ説明がつかない謎が残っています。その典型的な例が、「ブラックホールの中心(特異点)」や「宇宙誕生の瞬間(ビッグバン)」です。
こうした極限状態では、現在の物理理論(相対性理論や量子力学)はうまく機能せず、何が起こっているのかを完全には説明できません。
そこで科学者たちは、これらを含む宇宙のあらゆる現象を一つの枠組みで説明できる「究極の理論」、いわゆる「万物の理論」を追い求めてきました。
相対性理論と量子論を統一し、自然界に存在する四つの力(重力・電磁気力・弱い力・強い力)をまとめ上げるこの理論が完成すれば、物理学は全ての謎を解き明かせると期待されたのです。
しかし、このような理論が本当に作れるのかという疑問も、実は以前から指摘されていました。
その理由は物理学ではなく、数学や論理学の世界にありました。
1930年代に数学者のクルト・ゲーデルが示した有名な「ゲーデルの不完全性定理」では、どんなに完璧に見える数学的な理論であっても、一定の条件を満たす限り、その理論内で証明も計算もできない「真実の命題(主張)」が必ず存在すると示されています。
また現代の数学者グレゴリー・チャイティンは、「公理(理論の出発点)」と「計算ルール」のみで構築された理論には情報量の限界があり、その限界を超えるような複雑な問題は原理的に証明も反証も不可能であるという「チャイティンの情報理論的不完全性定理」を発見しました。
これらの定理は、数学や計算という手法には本質的に超えられない壁があることを意味しているのです。
言い換えれば、「理論Aですべてを説明する」といった場合でも、必ずその理論Aでは扱えない問題が残ってしまうのです。
論理学や数学が発見したこの限界は、物理学にも当てはまるのでしょうか?
ゲーデルの発見以降、数学・論理学やコンピュータ科学では、何があっても計算で解けない問題がいくつも見つかっています。
たとえばチューリングの停止問題では「あるコンピュータプログラムが有限時間で止まるかどうか」を判定する一般的方法が存在しないことが証明されています。
これは「どんなアルゴリズムよりも難しい問題」がこの世にあることを意味します。
同じように、数学者タルスキーは「ある形式体系の中では、その体系の“真理”を完全に定義することはできない」という定理を示しました(真理の不可定義性定理)。
また、数学者アルフレッド・タルスキーは、数学の理論が「これが真実である」と理論の中だけで完全に定義するのは不可能だという「真理の定義不可能性定理」を示しました。
これは、「何が本当に正しいか」を決定すること自体に、数学的な限界があることを意味しています。
さらに、現代の数学者グレゴリー・チャイティンは、もっと具体的な限界を発見しました。
彼の定理によると、ある理論が「正しい」と証明できる情報の量には上限(限界)があって、それを超えるほど複雑な問題になると、そもそもその理論では永遠に証明することも反証することもできなくなってしまうというのです。
つまり、どんなに頑張っても論理や計算だけでは絶対に超えられない境界線があるということです。
そして、実はこうした「論理の壁」は数学や計算の世界だけでなく、物理学にも大きな影響を与える可能性があります。
もし物理学の究極理論が本当にそのような「有限の公理+アルゴリズム」だけで構築されるとすると、先ほど述べたゲーデルやチャイティンが示した数学の限界も、物理学にそのまま当てはまることになってしまいます。
これはどういうことかというと、「物理学の究極理論であっても、どうしても証明も計算もできない現象や問題が必ず残ってしまう」ことになるのです。
今回紹介しているMir Faizal氏らの研究チームは、まさにこの点を深く掘り下げ、万物の理論に至る道として現在研究されている「量子重力理論」(重力を量子力学と統一する理論)を分析することにしました。
「純粋にアルゴリズムだけで成り立つ万物の理論」は存在しないのでしょうか?
数式を重ねて作った「万物の理論」にも限界がある

「純粋にアルゴリズムだけで成り立つ万物の理論」は存在しないの?
研究者たちはまず、将来想定される「万物の理論」(特に重力と量子論を統一する量子重力理論)を、数学の言葉で厳密に表現できるものと仮定しました。
つまり、その理論には基本となるいくつかの原理(公理)があり、それに基づいてコンピューターのように計算(アルゴリズム)を行えば、あらゆる物理現象を導けるはずだ、と考えたのです。
この考え方は、物理学者たちの間で影響力を持つ「宇宙は基本的に計算(ビット)で記述できる」というアイデアに沿ったものです。
ところがここで、数学が明らかにした「理論的な限界」が問題になってきます。
研究チームが注目したのは、数学者ゲーデルやチャイティンが示した論理の壁です。
ゲーデルの不完全性定理は、「十分に複雑で無矛盾な(矛盾が起きない)理論には、必ずその理論内では『正しいかどうか証明も計算もできない問題』が存在する」というものでした。
また、チャイティンの情報理論的不完全性定理は、「どんなに優れた理論でも、一定の複雑さを超える問題については、そもそも証明や計算自体が不可能である」ということを示しています。
研究チームは、これらの定理を仮想的な万物の理論(量子重力理論)に適用することを試みました。
その結果、この(とりあえずの)「万物の理論」の内部にも、やはり「証明や計算によっては絶対に解けない問題」が存在することを見つけたのです。
これは物理的に言い換えれば、「有限のルールに従った計算だけでは導き出せない物理現象」が必ずあるということです。
言い換えれば、たとえ量子重力理論が発展して「万物の理論」が完成したとしても、それでは説明できない物理現象が必ず見つかり、人類は無限に究極の理論を探し続けなければならないというわけです。
では、この結果は物理学に対して悲観的な未来を意味するのでしょうか?
研究チームはそう結論づけるのではなく、解決策として「メタ万物の理論」という新しい枠組みを提案しています。
メタ万物の理論とは、一言で言えば、理論の外側から「これは真だ」と認める『真理のスタンプ』T(x)と、計算に依らない推論を組み込むことで、通常のアルゴリズムでは扱えない現象にも道を開こうというものです。
簡単に言えば、計算や情報(ビット)だけでは描ききれない現実の姿を捉えるために、非アルゴリズム的な要素を理論に組み込もうというアプローチです。
研究では、これによって「計算による描写が破綻しても、科学そのものが破綻するわけではない」と述べられています。
さらに、この研究から導かれた興味深い帰結があります。
先述のように、純粋にアルゴリズムな理論では宇宙を完全に再現できないとすれば、この宇宙そのものをコンピューター上でシミュレーションすることもできないことになります。
実際、研究チームは「メタ万物理論を前提とすると、『宇宙はシミュレーションではない(”our universe is definitely not a simulation.”)』と論理的に結論づけられる」という大胆な見解を導き出しました。
コンピューターで動くプログラム(アルゴリズム)には、宇宙に含まれる“非アルゴリズム的”な部分が再現できないため、どんなに性能の高い計算機でも現実そのものを完全にコピーすることは不可能だというのです。
『万物の理論』崩壊の先にある、物理学の未来とは?

この研究は、物理学における「万物の理論」の捉え方に大きな一石を投じるものです。
もし万物の理論にさえ計算の限界があると広く認められれば、科学者たちはこれまでとは異なるアプローチを模索し始めるでしょう。
単一の方程式や完璧なシミュレーションで宇宙を記述しようとするよりも、論理学や計算理論と向き合いながら現象を理解するという、学際的で柔軟な研究姿勢が求められるかもしれません。
これは今後、理論物理と数理論理学の接点が新たなフロンティアになる可能性を示唆しています。
また先に述べたように、著者らはこの研究から「メタ万物の理論の前提を採用するならば、『私たちの宇宙はコンピュータ・シミュレーションではない』と論理的に結論づけられる」という見解も導いています。
近年、一部の科学者や哲学者は「高度に発達した文明が宇宙全体を計算機上で再現している(つまり今の人類も誰かの作ったシミュレーション世界に生きている)」という仮説を議論しています。
哲学者ニック・ボストロムは2003年に発表した論文の中で、「将来十分に進歩した文明が多数の宇宙シミュレーションを行うなら、いま生きている私たちが“現実”ではなく無数に作られた仮想世界の一つにいる可能性は高い」と指摘しました。
しかし本研究によれば、宇宙そのものを完全に計算で再現すること自体が不可能なのです。
シミュレーション仮説では宇宙の法則もコンピュータのプログラムで動いていると考えますが、もし宇宙にアルゴリズムでは記述できない真理があるなら、いかなるスーパーコンピュータをもってしてもそれを再現できません。
この結論はSFのような話題に思えますが、私たちの存在論にも関わる深遠な示唆と言えるでしょう。
少なくとも、「この世界は誰かのゲームの中かも…」という不安をちょっと和らげてくれるかもしれません。
最後に強調したいのは、科学の探究心はこれで失速するどころか、ますます創造的になるだろうという点です。
ゲーデルの不完全性定理が証明されたとき、一部では「数学の敗北」と受け取られましたが、実際にはその後の計算機科学の発展などにつながり、人類の知の地平は広がりました。
今回も同様に、「アルゴリズム万能の時代」の終わりは「新しい知の時代」の始まりになるでしょう。
宇宙の謎は一筋縄ではいきません。
しかし、それゆえにこそ科学者たちは発想を転換し、新たな扉を開こうとしているのです。
今後、万物の理論をめぐる研究がどのように展開していくのか、私たちも大いに注目していきたいと思います。
専門化向けざっくり解説
1) 問題設定:量子重力を「有限・計算可能」な形式系として捉える
著者は、量子重力の計算核(computational core)を以下の形式系として明示化する。
F_QG = { L_QG, Σ_QG, R_alg }
— L_QG:一次言語(量子状態・曲率・因果関係などの語彙)
— Σ_QG:有限または再帰的列挙可能な閉文の集合(公理)
— R_alg:効果的推論規則(計算可能な導出規則)
(i) effective axiomatizability(Σ_QG は有限/再帰的列挙可能)、(ii) arithmetic expressiveness(自然数演算を内部表現可能)、(iii) internal consistency(矛盾なし)、(iv) empirical completeness(物理現象を予言・説明)。この前提の下で、時空は F_QG の定理レベルで出現する(emergent)とする(例:弦理論・LQG・ホログラフィ等)。
2) 論理三定理の適用:計算核 F_QG の限界
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ゲーデル第1定理:Th(F_QG) は True(F_QG) の真部分集合(proper subset)。
記法(Word安全な表現):
Th(F_QG) := { phi in L_QG : Prov(Σ_QG, R_alg, phi) }
True(F_QG) := { phi in L_QG : true_in_standard_model(phi) }
結論:Th(F_QG) ⊂ True(F_QG)。すなわち、F_QG では真だが証明不能な命題が必ず存在。 -
ゲーデル第2定理:自己無矛盾性 Con(F_QG) := not Prov(Σ_QG, R_alg, contradiction) は F_QG 内では証明不能。
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タルスキーの定義不可能定理:L_QG 内に「全域真理述語」Truth(x) を定義し、Prov(Σ_QG, R_alg, Truth(code(phi)) ↔ phi) を全 φ で満たすことは不可能。
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チャイティンの情報理論的不完全性:定数 K_FQG が存在し、Kolmogorov 複雑度 K(S) > K_FQG なる文 S は F_QG で決定不能(不可判定)。
帰結:純粋にアルゴリズム的(計算可能)な TOE は原理的に不可能。F_QG は真理全体を捉えきれず、自己健全性も内部証明できない。
3) メタ万物理論 MToE:外部真理述語と非効果的推論の導入
不足を補うため、著者は外部真理述語 T(x) と非効果的推論規則 R_nonalg を付加した拡張を提案:
MToE = { L_QG ∪ {T}, Σ_QG ∪ Σ_T, R_alg ∪ R_nonalg }。
Σ_T(T に関する外部公理)は次を満たす:
(S1) soundness for F_QG(T( code(phi) ) が公理なら phi は F_QG の全モデルで成り立つ)、
(S2) reflective completeness(もし Σ_QG ⊢_alg phi なら、(phi → T(code(phi))) を Σ_T に含める)、
(S3) modus-ponens closure(T は論理的帰結に閉じる)、
(S4) trans-algorithmicity(Th_T := { phi | T(code(phi)) in Σ_T } は再帰的列挙不能;任意に大きい Kolmogorov 複雑度の命題を T-真として扱える)。
F_QG では決定不能な命題(例:特定のブラックホール・マイクロステートの実在性等)にも、T を介して意味論的(semantic)な真理付与を行い、ゲーデル型障害を越える。
4) 物理への含意:不可判定性が顕在化する領域
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熱化(thermalization)の不可判定性:多体系の熱化判定は一般に不可判定。Planck 領域から古典時空への“熱的再出現”を厳密に追跡するには MToE の枠が必要【8:p.5†】。
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スペクトルギャップ問題(局所量子 Hamiltonian のギャップ有無):不可判定。
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RG フローの非計算性:一般のリナーマリゼーション群流が非計算的になり得る。
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テンソルネットワーク/スピンネットの計算困難性、2次元 QFT の不可判定的性質など、現代理論物理の要所に不可判定セクターが散在。
計算核 F_QG の上に、T を用いる MToE を重ねることで、非計算的だが物理的に意味のある性質を“証明不能=無意味”にしない。これは「計算説明の破綻 ≠ 科学の破綻」を保証する構造だと位置付ける。
5) シミュレーション仮説への示唆
「宇宙は計算機上で完全に再現可能」という前提は、F_QG 全体=物理理論の全体という同一視に依存する。しかし MToE は、物理的真理が F_QG を越えて非計算層(T)を含むことを主張。ゆえに有限アルゴリズムによる宇宙の完全再現は原理的に不可能、との結論に至る。
6) 位置づけと限界
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位置づけ:F_QG を厳密な形式系とみなし、論理三定理(Gödel–Tarski–Chaitin)を系統的に適用したうえで、T(x) と非効果的推論を導入するメタ理論構成を提示。Lucas–Penrose 型の「非アルゴリズム的理解」の物理的表現としても読むことができるがT の自然化(自然界における実在化)と検証戦略は今後の課題。OR(orchestrated objective reduction)等との関連付けは興味深いが、ここでは構想段階に留まる。
元論文
Consequences of Undecidability in Physics on the Theory of Everything
https://doi.org/10.22128/jhap.2025.1024.1118
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部