鳥インフルエンザは、私たちが感じている以上に恐ろしいものかもしれません。
南極に近い孤島サウスジョージア島。
この場所では、地球上最大級のアザラシが何万頭も集まり、毎年、命の営みを繰り返してきました。
しかし2024年、その光景が一変します。
英国南極調査局(British Antarctic Survey)などの国際研究チームによって、高病原性鳥インフルエンザ(H5N1型)の流行直後に実施した最新の調査で、「繁殖中の雌ミナミゾウアザラシが平均47%も減少した」という衝撃的な結果が明らかになったのです。
本研究の詳細は、2025年11月13日付の『Communications Biology』誌に掲載されました。
目次
- ミナミゾウアザラシの王国を「鳥インフルエンザ」が襲う
- サウスジョージア島の雌ミナミゾウアザラシの繁殖個体の47%が消える
ミナミゾウアザラシの王国を「鳥インフルエンザ」が襲う
ミナミゾウアザラシ(Mirounga leonina)は、地球上で最も大きなアザラシであり、オスは体長6メートル・体重4トンを超えることもあります。
南半球の冷たい海を自由に泳ぎ回るこの動物たちは、毎年決まった季節になると南極周辺のいくつかの島に上陸します。
その最大の集結地が南大西洋のサウスジョージア島です。
この島の浜辺には、繁殖期になると何万頭ものゾウアザラシが大集合します。
オスは先に上陸してなわばりを構え、続いてやってくる妊娠したメスたちを巡って激しい争いが繰り広げられます。
メスは到着から数日で出産し、約3週間で子どもを育てたのち、次の妊娠のために再び交尾をします。
この「一斉上陸」「集団出産・育児」は毎年決まった場所・時期で繰り返されてきました。
サウスジョージア島のミナミゾウアザラシ集団は、全世界の繁殖個体の約半数を占める、地球でも最大級の繁殖コロニーです。
しかしこの安定した自然の営みが、2023年以降、大きく揺らぎました。
きっかけは、高病原性鳥インフルエンザ(H5N1型)の南極圏到達です。
このウイルスは2020年ごろからヨーロッパで鳥類に猛威を振るい、やがて北米・南米へと渡り、ペンギンやアシカ、さらには哺乳類であるオットセイやゾウアザラシにも感染が拡大していきました。
2023年にはサウスジョージア島でも、まずカモメの仲間であるトウゾクカモメ科で感染が確認され、数か月遅れてアザラシでも感染が公式に報告されました。
研究チームは、「ウイルスの実態と影響を正確に把握する」ことを目的に、従来型の現地調査に加え、最先端のドローン技術を投入。
2024年に島内3つの最大コロニーを上空から撮影し、超高解像度画像を使って繁殖中のメスを一頭ずつカウント、2022年と比較しました。
サウスジョージア島の雌ミナミゾウアザラシの繁殖個体の47%が消える
この詳細なドローン調査によって得られた2024年のデータは、研究者たちにとっても想像を絶するものでした。(画像はこちら:プレスリリース)
3つの主要コロニー全体で、2022年と比べて平均47%もの繁殖中のメスが姿を消していたのです。
場所によっては60%を超える減少が確認されました。
これらは、サウスジョージア島全体で約5万3千頭の繁殖メスが失われたことを意味します。
この異常な減少について、研究チームはさまざまな可能性を慎重に検討しました。
たとえば「他の浜辺に分散しただけなのでは?」「ウイルス流行時のストレスで2023年の交尾・出産サイクルが乱れ、その影響で今年は出産しなかったのでは?」などです。
しかしミナミゾウアザラシは「毎年同じ浜辺に戻ってくる」傾向がとても強く、過去のデータを見てもここまで大きく数が減った例はありません。
そのため、単に別の浜辺に移動しただけとは考えにくいのです。
47%という極端な減少は、まさに「異常」であり、ウイルス到来のタイミングとも一致しています。
だからこそ、「2024年のシーズンに繁殖に戻らなかったメスは、どこにいったのか?」という根本的な問いについて、論文では「全てが死亡したとは断定できないが、その多くが命を落とした可能性が高い」と指摘しています。
ちなみに、ゾウアザラシのような寿命が長く、成体メスが個体群維持に与える影響が大きい種では、今回のような大規模減少は今後数十年にわたり世代交代や回復力に重大な影響を及ぼすとされています。
生態系全体への影響も無視できません。
ゾウアザラシは海洋生態系の頂点捕食者であり、その大規模減少は下位の魚類やイカ、さらには捕食動物同士のバランスにも波及効果を及ぼす可能性があります。
今後もドローンや衛星写真を使った継続調査が必要です。
「いなくなったメス」が戻ってくるのか、それともこの47%の減少がそのまま定着してしまうのかを、時間をかけて確かめていかなければなりません。
「鳥インフルエンザは鳥だけのもの」と思い込んでいる人もいることでしょう。
しかしそんな認識が、南極圏で覆されています。
地球でもっとも壮大な動物集団のひとつが、人間社会とは無縁のはずの遠い大自然で、たった1年で壊滅的打撃を受けたのです。
この事実は、ウイルスの脅威がどれほどグローバルで予測不能なものであるかを改めて私たちに突き付けています。
参考文献
Avian Flu Wipes Out Nearly Half of Breeding Elephant Seals at World’s Largest Colony
https://www.zmescience.com/ecology/animals-ecology/avian-flu-wipes-out-nearly-half-of-breeding-elephant-seals-at-worlds-largest-colony/
Severe impact of avian flu on southern elephant seals
https://www.bas.ac.uk/media-post/severe-impact-of-avian-flu-on-southern-elephant-seals/
元論文
Highly Pathogenic Avian Influenza Viruses (HPAIV) Associated with Major Southern Elephant Seal Decline at South Georgia
https://doi.org/10.1038/s42003-025-09014-7
ライター
矢黒尚人: ロボットやドローンといった未来技術に強い関心あり。材料工学の観点から新しい可能性を探ることが好きです。趣味は筋トレで、日々のトレーニングを通じて心身のバランスを整えています。
編集者
ナゾロジー 編集部

