南極の氷点下の海に、まるでSF映画にでも登場しそうな奇妙な魚が生きています。
彼らは「コオリウオ(Icefish)」と呼ばれ、その特徴は世界でも唯一無二。
なんと、私たち脊椎動物にとって当たり前の「赤い血液」を持たず、透明な血を流しているのです。
氷の世界で生き抜くために、なぜ彼らはあえて“血の赤”を捨てたのでしょうか。
目次
- 南極の極寒が生んだ「透明な血」の秘密
- 巨大な繁殖地の発見と進化の謎
南極の極寒が生んだ「透明な血」の秘密

地球の最果て、南極の海は水温が氷点下1.8℃から2℃ほどと、ほとんどの生物にとって過酷な環境です。
そんな環境に適応してきたのが、コオリウオ科(学名:Channichthyidae)と呼ばれる魚たちです。
体長は25〜50センチほどで、黒いものもいれば青白い半透明のものも存在し、その姿はまるで氷の彫刻のように神秘的です。
コオリウオの最大の特徴は、血液が無色透明であることです。
通常、私たち人間を含む脊椎動物の血液は「赤血球」の中にあるヘモグロビンという赤いタンパク質によって酸素を運んでいます。
しかし、コオリウオには成体になるとこのヘモグロビンが存在しません。
赤血球そのものもほとんどなく、わずかに残骸のような細胞が漂うだけです。
そのため、彼らは血液に直接酸素を溶かし込むことで体内に運んでいます。
ただしその効率は通常の硬骨魚の血液の10分の1程度しかありません。
では、なぜ生存できるのでしょうか。
鍵となるのは南極の環境です。
極寒の海は水温が低いため、酸素の溶解度が非常に高く、血液が赤くなくても十分な酸素を取り込めるのです。
このユニークな生理的特徴を補うため、コオリウオは他の工夫もしています。
血液の量は一般的な魚の約4倍に増え、血液の粘度が低い(=サラサラ)ので流れやすくなっています。
さらに心臓は非常に大きく、拍出量は他の魚の約5倍に達します。
心臓の心室はスポンジ状になっており、そこを流れる血液から直接酸素を取り込める仕組みまで備えているのです。
これらの進化によって、ヘモグロビンを失ったという不利な条件を見事に補い、氷の海でも力強く生き抜いています。
巨大な繁殖地の発見と進化の謎
コオリウオがいつどのようにして「白い血」を獲得したのかは興味深い謎です。
研究によると、数千万年前に南極大陸が急激に冷却され、海が氷点下の酸素豊富な環境になった際に、偶然ヘモグロビンを失う突然変異が起こったと考えられています。
通常であれば致命的な欠陥となるはずの変異ですが、南極の特殊な環境では逆に生存が可能となり、その結果「透明な血を持つ魚」という進化的に異例の存在が生まれたのです。
このユニークな適応は単なる生き残りにとどまらず、コオリウオが南極海に広がる生態系の中で繁栄することを可能にしました。
2022年、ドイツのアルフレッド・ウェゲナー研究所の調査により、ウェッデル海のフィルヒナー棚氷の下で驚くべき発見が報告されました。
そこには、直径0.75メートルにもなる巣が無数に広がり、なんとおよそ6,000万匹のカラスコオリウオが繁殖している、世界最大規模の魚の繁殖地が存在していたのです。
調査を行ったオトゥン・プルサー博士によれば、「カメラを曳航しても巣の終わりが見えないほどの広がりだった」とのことです。
この発見は、氷の下にこれほど巨大な繁殖コロニーが形成されうるという事実を初めて示したものであり、南極の海洋環境がこの魚たちにとってかけがえのない生息地であることを強く示しています。
欧州連合や南極の海洋生物資源保存委員会(CCAMLR)は、2016年からこの地域を海洋保護区に指定する提案を検討しており、国際的な保護の必要性が高まっています。
参考文献
This Very Strange Fish Has Clear Blood And Is The Only Known Vertebrate To Lack Hemoglobin
https://www.iflscience.com/this-very-strange-fish-has-clear-blood-and-is-the-only-known-vertebrate-to-lack-hemoglobin-80664
World’s largest fish breeding area discovered in Antarctica
https://www.awi.de/en/about-us/service/press/single-view/weltweit-groesstes-fischbrutgebiet-in-der-antarktis-entdeckt.html
ライター
千野 真吾: 生物学に興味のあるWebライター。普段は読書をするのが趣味で、休みの日には野鳥や動物の写真を撮っています。
編集者
ナゾロジー 編集部