退職者がどんどん出る会社で、長く残っている自分は、どこかおかしいのだろうか……?
かつては一緒に働いていた同僚たちが次々と辞めていき、自分だけが気がつけば”古株”になっている。
そんな状況に、心当たりのある人も多いのではないでしょうか。
このような“残留者”たちの心理と、それに伴う精神的な負担について、イギリスのレディング大学(University of Reading)に所属するベンジャミン・レイカー教授が興味深い分析を述べています。
目次
- 職場に長く留まる人が抱く「見えない心理的負担」とは
- 文化は変わるが「自分は変わらない」という違和感
- 「残る」ことを自分の意志に変えるために
職場に長く留まる人が抱く「見えない心理的負担」とは
皆が辞めていく職場に長くとどまり続ける人は、組織における貴重な存在です。
しかしその裏側では、目に見えない精神的負担が積み重なっています。
レイカー教授がまず指摘するのは、「忠誠心の見えなくなる」という問題です。
企業の多くは、長期勤務に対して表面的な感謝を示します。
例えば、勤続記念バッジやニュースレターでの一言紹介などです。
しかし、日常業務の中ではその貢献は「当たり前」とされ、新入社員や退職者のように注目されることはほとんどありません。
そのため、長く残る人ほど、次第に自分の存在が透明化していく感覚を抱き始めるのです。

このような環境下では、心理学者ドナルド・ウィニコットが提唱した「偽りの自己(False Self)」のような状態に陥りやすくなります。
これは、自分の本心を抑え、他者の期待に応えるために作られた“仮の自分”のことです。
仕事を淡々とこなし、文句を言わず、周囲の期待通りの自分を演じ続けることで、本来の感情や不満が抑圧されてしまうのです。
さらに問題となるのが、「曖昧な喪失(Ambiguous Loss)」の積み重ねです。
心理学者ポーリン・ボスが提唱したこの概念は、「はっきりとした終わりのない喪失」によって起こる心理的疲弊を指します。
職場においては、同僚がひとり、またひとりと辞めていくたびに、信頼関係が断片化し、業務の進め方が変わり、居心地の良かった空間が変質していきます。
そのたびに、人間関係を再構築し、自分の役割を変化させなければならなくなるのです。
これは、単なる追加業務ではなく、感情面での大きな負荷を伴う見えない労働と言えるでしょう。
こうした積み重ねが、「仲間を失い続ける孤独感」や「自分だけが責任を抱えているような圧迫感」を生むのです。
長く残る人の心にあるのは、忠誠や安定性だけではありません。
彼らの心は「知られざる消耗戦」によって絶えず削られているのです。
文化は変わるが「自分は変わらない」という違和感
時間が経つにつれて、企業の文化や価値観は大きく変化していきます。
新たなツールの導入、方針の転換、異なる世代のリーダーの登場などにより、企業は徐々に「昔とは違う組織」に姿を変えていきます。

その変化に対して、長期勤務者が抱きやすいのが、「自分は時代遅れだ」という心理です。
仕事は単なる労働ではなく、自分の能力や存在意義を確認する場でもあります。
しかし、周囲の文化が変わることで、自分の働き方や価値観が次第に「場違い」になっていくような感覚が芽生えてしまいます。
「かつての仲間たちと築いてきたやり方が、もはや通じない」
このような感覚は、自己イメージと職場の現実のズレを引き起こし、自分がまるで過去の遺物になったかのように感じさせます。
さらに、このような長期残留には、職場の「サバイバー症候群」と呼ばれる心理状態も伴います。
本来これは、大規模なリストラなどで”生き残った”社員が抱く、罪悪感や喪失感を指します。
しかし、レイカー教授はこれを「通常の離職状況においても同様の心理が生じうる」と述べています。
「自分はなぜここに残っているのだろう」と感じてしまうのです。
こうした静かな疑問と自責感が積み重なると、「ここにいる自分」の価値が見えにくくなり、心理的な疲弊に拍車をかけてしまうのです。
「残る」ことを自分の意志に変えるために
それでも、残り続けるという選択には意味があるとレイカー教授は述べます。
ただしそのためには、何も考えずに職場にとどまり続ける“惰性の状態”から脱却し、自分の役割を再定義する必要があります。
ここで有効なのが、心理学者ミハイ・チクセントミハイの提唱した「フロー理論(Flow)」です。
フローとは、能力と課題の難易度が絶妙に合ったときに生まれる集中状態であり、充実感や達成感が得られる心理状態です。
たとえば、「気づいたら何時間も没頭していた」といった経験がそれにあたります。
長く同じ仕事をしていると、スキルは高まるものの、新鮮さや刺激が失われてしまい、マンネリ化が進みます。
すると、フロー状態に入る機会も失われ、やりがいを感じにくくなってしまいます。

そこで、以下のような「役割の再構築」が推奨されます:
- 若手のメンターや教育係としての新しい責任を担う
- 社内で小規模なプロジェクトを提案・主導する
- 働き方を見直し、時間や場所の裁量を増やす
自分の持つ歴史や知見を活かす機会を自ら作り出すことで、「長期在籍者ならではの強み」を自覚的に発揮できるようになります。
それでもなお、職場の変化についていけなかったり、期待と現実のギャップが大きくなった時には、「離れることもまた誠実な選択」であるとレイカー教授は述べています。
長くいたからこそ、見える風景があります。
そこに意味を見出すのも、勇気をもって手放すのも、どちらも等しく尊い行為です。
そしてレイカー教授は次のようにアドバイスしています。
残ることは悪ではありません。
ただし、その選択は「無意識の惰性」ではなく、「意識的な決断」であるべきです。
自分の選択に責任を持ち、自分らしい働き方を再設計していきましょう。
参考文献
The Psychology of Staying in a Job When Everyone Else Leaves
https://www.psychologytoday.com/us/blog/mindful-leadership/202507/the-psychology-of-staying-in-a-job-when-everyone-else-leaves
ライター
矢黒尚人: ロボットやドローンといった未来技術に強い関心あり。材料工学の観点から新しい可能性を探ることが好きです。趣味は筋トレで、日々のトレーニングを通じて心身のバランスを整えています。
編集者
ナゾロジー 編集部