災害は起きないに越したことはありません。とはいえ、警報に従って避難したのに、何も起こらないと「わざわざ予定を変えて逃げたのに…」という気分になる人も少なくないでしょう。
先日、カムチャッカ半島沖で発生した大地震でも、気象庁は北海道から東海にかけて広い範囲に津波警報を出しましたが、結果として津波はごく小規模で、大きな被害は報告されませんでした。
この日は日中の気温が非常に高かったため、屋外の高所へ避難した人の中には、素直に避難してバカをみたと感じてしまう人もいたかもしれません。
また「どうせ大したことないだろう」と避難しない人もいました。SNSではそんな避難をしなかった人に対して「常識がない」と批判の言葉を投げかける声もあれば、「曖昧な予測で警報を出すな」と行政への不信をつぶやく人もいます。
たとえ被害が出なかったとしても、警報が必要であること、警報に従って避難しなければならないことは議論するまでもありませんが、ただ問題は災害が予想より小規模に終わったり、警報が空振りになった場合、次の災害で人々が適切に行動できなくなる恐れがあるということです。
誰しも「オオカミ少年」の童話を知っています。繰り返しの“警報”はやがて信頼を失い、人々はそれを無視するようになる恐れがあります。
避難しない人が非難されたりすると、人々の間には“正義感”と“反発心”の対立が生じ、次に警報が出たときに指示に従わない人が増える恐れもあるのです。
本記事では、最新の研究をもとに、こうした「空振り警報」が私たちの心と行動にどんな影響を与えるのか、に関する報告を紹介していきます。
目次
- なぜ警報の空振りが人々を疲弊させるのか
- 避難しない人を正義感で非難する行為の弊害
なぜ警報の空振りが人々を疲弊させるのか

災害警報は、危険が差し迫ったときに人々の命を守るために発せられる重要な情報です。
確実に人々を安全な場所に誘導するために警報は、被害規模を最悪の状況に併せて見積もる必要がありますし、避難の時間を十分に確保するためにもできる限り早く出す必要があります。
そのため、警報の予想より災害の規模が小さかったり、空振りに終わることもありますが、むしろそれは喜ぶべきことです。
しかしそうした場合、現実には「結局、大したことなかったじゃないか」という批判が繰り返されるようになります。こうした現象は心理学では「オオカミ少年効果(Cry Wolf Effect)」と呼ばれ、警報が外れる経験が続くと、人々が次第に警報に注意を払わなくなるとして警戒されています。
たとえば、1998年に発表された研究では、米国サウスカロライナ州の住民が、ハリケーンに関する避難命令に対して徐々に無関心になっていく様子が報告されています。同様の事例は、2008年に発表されたフロリダ州で繰り返されたハリケーン警報の影響でも報告されおり、多くの人々は空振りし続ける警報に対し、危機に備える意欲を失っていくことが示されています。
このような心の状態は「コンプラセンシー(Complacency:油断)」と呼ばれ、警報が出されても「どうせ何も起きない」と高をくくる気持ちが、災害時の準備や避難の遅れに直結します。
こうした“油断”が起きるのは、警報の持つ「確実性のなさ」に起因します。
たとえば津波や地震の警報は、数分から数十分という極めて短い時間の中で判断を迫られるため、予測には必ず誤差が生じます。気象庁もその点を理解しており、万が一に備えて「念のため」の警報を出すことも少なくありません。
これは、いわば“リスクを最小化するための勇み足”なのですが、一般の人々にとっては「狼が来るぞ」と言い続けて何も起きない状況と同じに見えてしまうのです。
社会学者マイレティらがまとめた報告書では、警報の頻度が高く、かつその多くが空振りだった場合、受け手の「信頼感」や「緊張感」は次第に鈍くなるという現象が詳しく記されています。しかも、それが何度も繰り返されると、「今度も大丈夫だろう」と自己判断してしまい、いざ本当に避難すべきときに行動できなくなるのです。
このようにして私たちの中には、「警報慣れ」や「警戒疲れ」とも言える心理的な反応が育っていきます。それは怠惰なわけでも自己中心的なわけでもなく、私たちの脳が「繰り返しの無害な刺激」に対して自然に生み出す“防御反応”とも言えるものです。
けれど、自然災害においては“1回の油断”が命取りになることがあります。だからこそ、空振りを「無駄だった」と片づけずに、「命を守れたから良かった」と捉えられるようになる必要があります。
また現代ではSNS上の反応も、人々の避難行動を妨げる恐れがあります。
避難しない人を正義感で非難する行為の弊害

災害時、あなたが避難しなかったとき、周囲から「なぜ逃げなかったのか」と責められることがあります。逆に、避難した人が「大げさすぎる」「ビビりすぎ」と言われることもあります。
このように、警報への対応をめぐっては、避難するかしないかという「個人の判断」が、社会の目によって評価されてしまうことがあります。特にSNS時代では、この傾向が強まっています。
ある人は「警報が出たから避難するのが当然」と思い、またある人は「状況を見てから判断したい」と考える。そのどちらも一理あるにもかかわらず、他人の行動に対して“正義感”から批判的になってしまうことがあります。
ところが、この“正義”が、次の災害時に思わぬ副作用をもたらすことがあります。
それが「心理的リアクタンス(Psychological Reactance)」と呼ばれる、人が「自分の自由を奪われた」と感じたとき、反発するような態度や行動をとる心理です。
たとえば、「みんな避難しているのに、なぜあなたは逃げないの?」と強く言われた人は、「自分で考えて行動してるのに、押しつけられたくない」と感じ、結果的に警報に従わなくなることがあります。
避難を促す“善意の圧力”が、かえって逆効果になるのです。
過去の研究では、繰り返される警報や避難圧力が「一方的な命令」として受け取られるようになると、人々は警報情報そのものに対して反感や無関心を抱くようになることが報告されています。
これは、「警報に従うかどうか」という単純な話ではありません。重要なのは、人々が納得して行動を選べる環境があるかどうかです。
災害時に適切な行動を取るには、信頼できる情報が必要です。しかしその信頼は、「警報の精度」だけではなく、「自分の判断を尊重してもらえている」という感覚にも左右されます。
誰かに命令されて避難するのではなく、「自分が納得したから避難する」――その心の動きが、次の行動を左右するのです。
また近年の研究では、避難行動の判断は「個人」だけでなく、「家族」「地域」「SNS上の反応」など、社会的ネットワークの中で形成されることが多いと指摘されています。つまり、避難の決断は一人で完結するものではなく、周囲の反応や評価を通じて形づくられているのです。
だからこそ、私たちは災害時に「正解は一つ」という考えにとらわれすぎず、「それぞれに事情がある」「判断の仕方も多様である」という視点を持つことが求められます。
「自分と違う行動をしたからといって、それが間違いとは限らない」そんな寛容さが、次の大きな災害で命を守る行動につながるかもしれません。正義心から安易に人の判断を避難しないようにすることも災害時には重要なことです。
元論文
Communication of emergency public warnings: A social science perspective and state-of-the-art assessment
https://doi.org/10.2172/6137387
Crying wolf: Repeat responses to hurricane evacuation orders
https://doi.org/10.1080/08920759809362356
Public Complacency under Repeated Emergency Threats: Some Empirical Evidence
https://doi.org/10.1093/jopart/mum001
ライター
相川 葵: 工学出身のライター。歴史やSF作品と絡めた科学の話が好き。イメージしやすい科学の解説をしていくことを目指す。
編集者
ナゾロジー 編集部