「擬態」と聞くと、昆虫が葉っぱや枝にそっくりの姿に化けたり、毒のある生き物のフリをして天敵から身を守る“だまし合い”の世界を思い浮かべる人が多いかもしれません。
実は“植物”の中にも、他の生き物のように振る舞って”だます”「擬態花」もいるのです。
今回、東京大学大学院理学研究科附属植物園の望月昂助教は、日本固有の多年草「タチガシワ」が、「傷ついたアリの匂い」を化学的に模倣して、特定のハエを呼び寄せる擬態花であることを世界で初めて明らかにしました。
この研究成果は、2025年9月24日付で科学雑誌『Current Biology』に掲載されました。
目次
- なぜハエが寄ってくる?「タチガシワ」の“地味な花”に隠れた謎とは?
- タチガシワの花は「傷ついたアリの匂い」を真似てハエを誘い出していた
なぜハエが寄ってくる?「タチガシワ」の“地味な花”に隠れた謎とは?
私たちが普段見かける花は、カラフルな色や甘い香りで虫や鳥を誘い、自分の花粉を運ばせています。
でも、実はこうした「花と虫」の関係には、まだまだ私たちが気づいていない秘密がたくさんあります。
「タチガシワ(学名:Vincetoxicum nakaianum)」は本州や四国の森の中、少し暗い林床などにひっそりと生える多年草です。
和名の由来は、ツルガシワに似ているものの、つるではなく“立ち上がる”草姿にあります。
5月ごろになると、緑色や茶色がかった小さな花を茎先に咲かせますが、いわゆる「華やかさ」はありません。
どんな虫がこの花の花粉を運んでいるのか、これまで詳しく分かっていませんでした。
そんなタチガシワの花に、東京大学の研究者が注目しました。
本研究は、小石川植物園にて、なぜかタチガシワにの花に特定のハエが群がっている様子を目にしたところから始まりました。
そのハエは「キモグリバエ科」のごく小型で目立たない昆虫です。
キモグリバエ科には、クモやカマキリが獲物を捕らえた現場に現れ、虫の体液を横取りする「労働寄生性(kleptoparasitism)」という特殊な生態を持つ種がおり、今回の観察対象となったキモグリバエもこの特徴を持ちます。
ここで研究者は、「もしかしてタチガシワは、虫の死骸や体液の匂いを真似て、こうしたハエだけを引き寄せているのでは?」と考えました。
既知の“擬態花”には、腐った肉や果実、ミツバチのメス、アブラムシのフェロモンなど、さまざまな「匂い」や「見た目」を真似る例がありましたが、「アリの匂い」への擬態は報告がありませんでした。
この仮説を検証するため、研究者はまず、タチガシワの自生地(日光植物園など)で2021年から2025年まで合計150時間にもわたり、花を訪れる昆虫を観察。
その結果、4種のキモグリバエ科が主な送粉者だと判明しました。
次に、ガスクロマトグラフィー質量分析計(GC-MS)という機械を使って花の匂いを詳しく分析。
その花の匂いを再現した合成混合液を作り、野外で試したところ、見事にキモグリバエたちが集まることを確認しました。
ここで「この匂いは自然界のどんな生き物が出すのだろう?」という新たな疑問が生まれます。
タチガシワの花は「傷ついたアリの匂い」を真似てハエを誘い出していた
世界中の動植物の匂い成分をまとめた「Pherobase」というデータベースで調べると、タチガシワの花の匂いと似ているのは、特に「アリ科ヤマアリ亜科(クロヤマアリなど)」であることが分かりました。
そして実際に現地でアリやカメムシなど38種を採集し、クモに捕食されたときに放たれる匂いを分析したところ、クモに捕食されたクロヤマアリやその近縁種が、タチガシワの花の匂いと酷似していることが分かりました。
さらに行動実験でも、クモに捕食されたクロヤマアリの匂いがキモグリバエを誘引することが確認されました。
以上の結果から、研究者は、タチガシワの花が「クモに襲われて傷ついたアリの匂い」を化学的に再現し、その匂いで特殊なハエ(キモグリバエ科)を効率よく呼び寄せていた、と結論付けました。
これまでの“擬態花”の多くは、見た目や匂いで他の花や果実、腐肉、虫のメスなどに化けるものでした。
しかし「アリが捕食される際に放つ特殊な匂い」を模倣した植物は、世界初の発見です。
キモグリバエたちは、普段はクモやカマキリが獲物(特にアリ)を仕留めた現場に飛来し、体液を横取りする生活をしています。
タチガシワは、そのキモグリバエの嗅覚を巧みに利用し、「傷ついたアリ」の匂いで「捕食の現場」を演出。
キモグリバエたちは「おこぼれにあずかれるチャンスだ」とばかりに花に集まり、結果として花粉を他の花へ運ぶ「送粉者」となるのです。
興味深いのは、タチガシワの花が腐肉臭やトラップ構造といった「典型的な擬態花の特徴」を持っていないことです。
見た目は地味で何の変哲もない花が、実は非常に巧妙な「化学的擬態」を使っていたわけです。
本研究は、タチガシワとキモグリバエというこれまで注目されてこなかった生物同士に、実は非常に精巧な相互作用が隠されていたことを明らかにしました。
この事実は、「特徴のない花にも、匂いという見落としがちな側面に注目すれば、まだまだ多様な戦略を発見できる」ことを示しています。
参考文献
アリ擬態花の発見 ータチガシワの花は「傷ついたアリ」の匂いで送粉者を呼び寄せるー
https://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/press/10909/
元論文
Olfactory floral mimicry of injured ants mediates the attraction of kleptoparasitic fly pollinators
https://doi.org/10.1016/j.cub.2025.08.060
ライター
矢黒尚人: ロボットやドローンといった未来技術に強い関心あり。材料工学の観点から新しい可能性を探ることが好きです。趣味は筋トレで、日々のトレーニングを通じて心身のバランスを整えています。
編集者
ナゾロジー 編集部