教室やオフィスで、周りから聞こえる誰かの咳や鼻をすする音。
この音が聞こえてきたとき、あなたは無意識のうちにその音の出どころを探したり、何となく集中が途切れたりした経験はありませんか。
ニューヨーク州立大学オネオンタ校のキャリー・フィッツジェラルド氏(Carey Fitzgerald)らの研究チームは、この現象に着目し、 周囲の咳や鼻をすする音が認知活動にどのような影響を与えているのか を調べました。
彼らは、学生たちに統計学の講義動画を見せ、その際に咳や鼻をすする音を聞かせたグループが、無音や中立的な音(紙をめくる音など)を聞いたグループよりも講義内容に関するクイズの成績が悪いことを発見 したのです。
この現象には病気から身を守ろうとする心の働き(行動免疫システム)が 関係しているだろうと考えられています。
研究の詳細は、学術誌「Evolutionary Psychological Science 」にて2025年4月7日に掲載されました。
背景音は集中力を下げるのか 病気を連想させる音は注意を奪う
背景音は集中力を下げるのか
背景音は集中力を下げるのか / Credit: Unsplash
静かな場所で集中して新しいことを学んでいるはずなのに、なぜか頭に入ってこない、そんな経験、ありませんか?
特に、ちょっとした「音」が気になって、思考が中断されてしまうことは少なくありません。
この「音による集中の阻害」は、認知科学の分野で長年研究されてきたテーマ です。
オフィスでの電話の話し声、カフェのざわめき、あるいは工事の騒音といったさまざまな環境音。
これまでの多くの研究で、これらの音が、私たちの注意を散漫にさせ、読書の理解や計算作業、記憶といった認知的なパフォーマンスを低下させることが報告されています。
たとえばイリノイ大学のローレン・エンバーソン(Lauren Emberson)氏らの研究 では、カフェや公共交通機関などでの他人の電話の会話が認知パフォーマンスに与える影響を調べています。
実験の結果、片側の話者の声だけ聞こえる電話の会話は、両者の声が聞こえる会話と比べて、注意力と記憶課題のパフォーマンスを有意に低下させた ことが分かりました。
どうやら私たちは会話の意味や流れを無意識に予測しようとする傾向があり、片方の話者の声が聞こえるような状況では、相手側の発言が聞こえず文脈が不明瞭なため、会話の予測により多くの注意資源や認知的努力を割き、他の課題(記憶や注意)に集中できなくなる のです。
一方で、音は必ずしも「集中を阻害する邪魔者」ではありません。
ホワイトノイズや自然の音(焚き火の音や鳥のさえずり、雨音など)、さらにはカフェの環境音といった特定の音は、かえって集中力を高め、作業効率を向上させる効果があるという研究も存在します。
これらの音は、周囲の気になる雑音を打ち消したり、適度な刺激となって脳を覚醒させたりすることで、作業に没頭しやすい環境を作り出すと考えられています。
近年、日常的に耳にするあの音が意外にも注意を奪い、集中力を下げていたことが明らかになりました。
それは咳や鼻をすするなどの病気を連想させる音 です。
ニューヨーク州立大学オネオンタ校のキャリー・フィッツジェラルド氏 (Carey Fitzgerald) らの研究チームは、周囲の咳や鼻をすする音が認知活動にどのような影響を与えているのかを調べました。
フィッツジェラルド氏は数年前の冬場での講義でテストを実施した際に、学生が咳やくしゃみ、鼻をすする音の出所を目で追っている様子から着想を得て、この仮説を検証することにしたのです。
病気を連想させる音は注意を奪う
病気を連想させる音は注意を奪う / Credit: Unsplash
実験では、大学の心理学入門コースを受講している学部生を、異なる環境音が聞こえる3つのグループに分け、統計学に関するビデオ講義を視聴させています。
1つ目のグループは無音の状態で、2つ目のグループは鍵の音や書類をめくる音などがする状態で、そして最後のグループは咳や鼻をすする音がする状態でビデオを視聴 してもらいました。
その後、講義の内容についてのクイズと、学習中の音に気付いていたかどうか、またどれだけ音で気が散ったのかに関するアンケートに回答しています。
実験の結果、背景音が聞こえていた参加者は、音は聞こえていたと報告し、どちらのグループも同程度に気が散っていたと評価 しました。
しかし背景音に対する評価は同じだったにも関わらず、咳や鼻をすする音が聞こえていた参加者では、無音の状態だった参加者と比べ、クイズの成績が約17%低下 したのです。
なぜこのようなことが起こったのでしょうか。
この現象の背後には、行動免疫システムという人間が持つ本能的なメカニズムが関係 していると考えられます。
私たちは、病気の兆候を示す音に無意識に注意を向け、潜在的な脅威を評価しようとします。
これにより、学習に割ける認知リソースが減少し、新しい情報の記憶や理解が妨げられる可能性があるのです。
はるか昔、私たちの祖先は、自然の中で生き残るために、周囲のあらゆる情報に敏感でなければなりませんでした。
特に、病原体や危険を示す兆候は、生命に直結する重要なサイン になります。
そんな太古からの「生存本能」が、現代社会、たとえば私たちが何かを学ぼうとしている瞬間に、予期せぬ形で影響を及ぼしているのです。
では、カフェで集中して作業しているときや会社のオフィスで企画書を作成しているときに、隣から咳やくしゃみ、鼻をすする音が聞こえてきた場合、どのように対処すれば良いのでしょうか。
その場を離れるのが一番簡単な方法ですが、ノイズキャンセリングのイヤホンを使う、ホワイトノイズや自然音など別の音でマスキングする、または短時間の休憩を取るほうが良い でしょう。
これらの対策で、集中力を維持し、効率的に作業を進められるはずです。
全ての画像を見る
参考文献
These common sounds can impair your learning, according to new psychology research https://www.psypost.org/these-common-sounds-can-impair-your-learning-according-to-new-psychology-research/
Overheard cell-phone conversations: when less speech is more distracting https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/20817912/
元論文
Pathogen-Prevalent Auditory Distractions may Differentially Impact Retention of Newly Learned Information https://link.springer.com/article/10.1007/s40806-025-00430-w
ライター
AK: 大阪府生まれ。大学院では実験心理学を専攻し、錯視の研究をしていました。海外の心理学・脳科学の論文を読むのが好きで、本サイトでは心理学の記事を投稿していきます。
編集者
ナゾロジー 編集部
教室やオフィスで、周りから聞こえる誰かの咳や鼻をすする音。
この音が聞こえてきたとき、あなたは無意識のうちにその音の出どころを探したり、何となく集中が途切れたりした経験はありませんか。
ニューヨーク州立大学オネオンタ校のキャリー・フィッツジェラルド氏(Carey Fitzgerald)らの研究チームは、この現象に着目し、 周囲の咳や鼻をすする音が認知活動にどのような影響を与えているのか を調べました。
彼らは、学生たちに統計学の講義動画を見せ、その際に咳や鼻をすする音を聞かせたグループが、無音や中立的な音(紙をめくる音など)を聞いたグループよりも講義内容に関するクイズの成績が悪いことを発見 したのです。
この現象には病気から身を守ろうとする心の働き(行動免疫システム)が 関係しているだろうと考えられています。
研究の詳細は、学術誌「Evolutionary Psychological Science 」にて2025年4月7日に掲載されました。
背景音は集中力を下げるのか 病気を連想させる音は注意を奪う
背景音は集中力を下げるのか
背景音は集中力を下げるのか / Credit: Unsplash
静かな場所で集中して新しいことを学んでいるはずなのに、なぜか頭に入ってこない、そんな経験、ありませんか?
特に、ちょっとした「音」が気になって、思考が中断されてしまうことは少なくありません。
この「音による集中の阻害」は、認知科学の分野で長年研究されてきたテーマ です。
オフィスでの電話の話し声、カフェのざわめき、あるいは工事の騒音といったさまざまな環境音。
これまでの多くの研究で、これらの音が、私たちの注意を散漫にさせ、読書の理解や計算作業、記憶といった認知的なパフォーマンスを低下させることが報告されています。
たとえばイリノイ大学のローレン・エンバーソン(Lauren Emberson)氏らの研究 では、カフェや公共交通機関などでの他人の電話の会話が認知パフォーマンスに与える影響を調べています。
実験の結果、片側の話者の声だけ聞こえる電話の会話は、両者の声が聞こえる会話と比べて、注意力と記憶課題のパフォーマンスを有意に低下させた ことが分かりました。
どうやら私たちは会話の意味や流れを無意識に予測しようとする傾向があり、片方の話者の声が聞こえるような状況では、相手側の発言が聞こえず文脈が不明瞭なため、会話の予測により多くの注意資源や認知的努力を割き、他の課題(記憶や注意)に集中できなくなる のです。
一方で、音は必ずしも「集中を阻害する邪魔者」ではありません。
ホワイトノイズや自然の音(焚き火の音や鳥のさえずり、雨音など)、さらにはカフェの環境音といった特定の音は、かえって集中力を高め、作業効率を向上させる効果があるという研究も存在します。
これらの音は、周囲の気になる雑音を打ち消したり、適度な刺激となって脳を覚醒させたりすることで、作業に没頭しやすい環境を作り出すと考えられています。
近年、日常的に耳にするあの音が意外にも注意を奪い、集中力を下げていたことが明らかになりました。
それは咳や鼻をすするなどの病気を連想させる音 です。
ニューヨーク州立大学オネオンタ校のキャリー・フィッツジェラルド氏 (Carey Fitzgerald) らの研究チームは、周囲の咳や鼻をすする音が認知活動にどのような影響を与えているのかを調べました。
フィッツジェラルド氏は数年前の冬場での講義でテストを実施した際に、学生が咳やくしゃみ、鼻をすする音の出所を目で追っている様子から着想を得て、この仮説を検証することにしたのです。
病気を連想させる音は注意を奪う
病気を連想させる音は注意を奪う / Credit: Unsplash
実験では、大学の心理学入門コースを受講している学部生を、異なる環境音が聞こえる3つのグループに分け、統計学に関するビデオ講義を視聴させています。
1つ目のグループは無音の状態で、2つ目のグループは鍵の音や書類をめくる音などがする状態で、そして最後のグループは咳や鼻をすする音がする状態でビデオを視聴 してもらいました。
その後、講義の内容についてのクイズと、学習中の音に気付いていたかどうか、またどれだけ音で気が散ったのかに関するアンケートに回答しています。
実験の結果、背景音が聞こえていた参加者は、音は聞こえていたと報告し、どちらのグループも同程度に気が散っていたと評価 しました。
しかし背景音に対する評価は同じだったにも関わらず、咳や鼻をすする音が聞こえていた参加者では、無音の状態だった参加者と比べ、クイズの成績が約17%低下 したのです。
なぜこのようなことが起こったのでしょうか。
この現象の背後には、行動免疫システムという人間が持つ本能的なメカニズムが関係 していると考えられます。
私たちは、病気の兆候を示す音に無意識に注意を向け、潜在的な脅威を評価しようとします。
これにより、学習に割ける認知リソースが減少し、新しい情報の記憶や理解が妨げられる可能性があるのです。
はるか昔、私たちの祖先は、自然の中で生き残るために、周囲のあらゆる情報に敏感でなければなりませんでした。
特に、病原体や危険を示す兆候は、生命に直結する重要なサイン になります。
そんな太古からの「生存本能」が、現代社会、たとえば私たちが何かを学ぼうとしている瞬間に、予期せぬ形で影響を及ぼしているのです。
では、カフェで集中して作業しているときや会社のオフィスで企画書を作成しているときに、隣から咳やくしゃみ、鼻をすする音が聞こえてきた場合、どのように対処すれば良いのでしょうか。
その場を離れるのが一番簡単な方法ですが、ノイズキャンセリングのイヤホンを使う、ホワイトノイズや自然音など別の音でマスキングする、または短時間の休憩を取るほうが良い でしょう。
これらの対策で、集中力を維持し、効率的に作業を進められるはずです。
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参考文献
These common sounds can impair your learning, according to new psychology research https://www.psypost.org/these-common-sounds-can-impair-your-learning-according-to-new-psychology-research/
Overheard cell-phone conversations: when less speech is more distracting https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/20817912/
元論文
Pathogen-Prevalent Auditory Distractions may Differentially Impact Retention of Newly Learned Information https://link.springer.com/article/10.1007/s40806-025-00430-w
ライター
AK: 大阪府生まれ。大学院では実験心理学を専攻し、錯視の研究をしていました。海外の心理学・脳科学の論文を読むのが好きで、本サイトでは心理学の記事を投稿していきます。
編集者
ナゾロジー 編集部