宇宙に滞在することで、人の体が地上より早く年を取るのだとしたら……
宇宙旅行の夢に胸が高鳴る一方で、私たちの細胞は無重力や宇宙放射線という過酷な環境にどう反応するのかが大きな課題となっています。
米国、カリフォルニア大学サンディエゴ校(UCSD)の研究チームは、ヒトの造血幹細胞を国際宇宙ステーションで直接培養して観察し、宇宙での生活が分子レベルの老化を加速させることを示しました。
独自の小型バイオリアクターを用いたことで、宇宙環境が幹細胞の働きに与える変化を地上対照と厳密に比較できたのです。
この研究は2025年9月4日付で『Cell Stem Cell』誌に掲載されました。
目次
- ヒト造血幹細胞を宇宙と地上で同時培養し、比較する
- 宇宙に滞在した造血幹細胞は「老化の加速」サインを示していた
ヒト造血幹細胞を宇宙と地上で同時培養し、比較する
宇宙飛行士では免疫機能の低下や骨密度の減少などが古くから報告されてきましたが、その出発点にある細胞の変化は十分にわかっていませんでした。
UCSDの研究チームが焦点を当てた造血幹細胞は血液を作り出す源であり、赤血球や白血球、血小板を生み出して免疫と修復を支える存在です。
この源にダメージが蓄積すると、体全体の回復力が落ち、感染や生活習慣病、がんなどの病気にかかりやすくなるリスクが高まります。
そして宇宙環境では微小重力や銀河宇宙線など、地上では再現が難しいストレスが同時にかかるため、「幹細胞の老化や機能低下が加速しうる」という仮説が立てられました。
この仮説を検証するため、研究チームは人工骨髄の役割を果たすナノスケールのバイオリアクターを設計し、ヒトの造血幹細胞をその中で培養できるようにしました。
さらにAIで制御される小型実験モジュールと、細胞周期を色で可視化する特殊なマーカーを組み合わせ、分裂や休眠のタイミングを宇宙空間で連続的に追跡できるようにしました。
装置はSpaceXの補給ミッションで国際宇宙ステーションに輸送され、微小重力下で32日から45日間の培養観察が行われました。
同時に地上では同一条件の装置と細胞を用いて対照群を並行運用し、温度や培地交換、観察プロトコルまで揃えた厳密な比較設計がとられました。
宇宙実験の終了後、両群の細胞は帰還サンプルとして回収され、比較検証が実施されました。
では、宇宙で培養されたヒト幹細胞はどうなっていたでしょうか。
宇宙に滞在した造血幹細胞は「老化の加速」サインを示していた
研究の結果、宇宙に滞在した造血幹細胞は、地上対照と比べて老化のサインが明確に強まっていることが分かりました。
幹細胞の休眠が崩れて細胞周期が過剰に回りやすくなり、新しい血液細胞を作る力が落ちて疲弊の兆候が見られたのです。
また、炎症シグナルの上昇も観察され、特にIL-6など加齢に関連する分子の活性化が示されました。
さらに、ミトコンドリアに関わる遺伝子群では加齢で見られるようなストレス応答の変化が確認され、エネルギー利用や維持機構に揺らぎが生じていることが示唆されました。
加えて興味深いのは、老化との関係が知られている「テロメア」の変化です。
テロメアは染色体の末端を保護する役割を持ち、細胞分裂するたびに、その長さが短くなっていきます。
その後、ある時点で細胞分裂が不可能になるため、テロメアの長さが寿命の程度を示している可能性があります。
そして今回の実験では、「テロメアの維持機構の弱まり」による老化方向へのシフトが確認されました。
研究チームも、「これらの研究結果は、宇宙から戻った造血幹細胞は働きを保ちにくくなっているということであり、これは『幹細胞の老化が加速している』という見立てと一致します」と述べました。
一方で、すべてが一方通行ではありませんでした。
宇宙から戻った幹細胞を若くて健康な骨髄ストローマ細胞と共培養すると、落ち込んでいた機能が一部回復したのです。
これは宇宙環境で進んだ老化様の変化が、適切な環境を整えることで少なくとも一部は可逆的であることを示す重要な所見です。
本研究の意義は、人が宇宙で長期間生活するうえでの根本的なリスクを幹細胞レベルで具体化したことにあります。
将来的には、宇宙飛行士の健康を維持したり回復を助けたりするために役立つかもしれません。
同時に、宇宙という極端な環境を利用して加齢のプロセスを短期間に“早回し”で再現できるため、老化やがんのモデルとして地上の研究や創薬にも活用できる展望が開けます。
今後は滞在期間をさらに延ばした実験や、実際の宇宙飛行士由来の細胞や血液を用いた検証が必要でしょう。
宇宙と老化の交差点を解きほぐすこの研究は、人類の長期宇宙滞在の実現性を一段と現実的な議論へと押し上げています。
参考文献
Spaceflight Accelerates Aging of Human Stem Cells, Study Finds
https://www.sciencealert.com/spaceflight-accelerates-aging-of-human-stem-cells-study-finds
Spaceflight Aging of Human Stem Cells May Guide Cancer and Age-Related Disorder Modeling
https://www.genengnews.com/topics/translational-medicine/finding-that-spaceflight-accelerates-human-stem-cell-aging-could-aid-modelling-of-cancer-and-age-related-disorders/
元論文
Nanobioreactor detection of space-associated hematopoietic stem and progenitor cell aging
https://doi.org/10.1016/j.stem.2025.07.013
ライター
矢黒尚人: ロボットやドローンといった未来技術に強い関心あり。材料工学の観点から新しい可能性を探ることが好きです。趣味は筋トレで、日々のトレーニングを通じて心身のバランスを整えています。
編集者
ナゾロジー 編集部