便秘は脳から治す時代になるかもしれません。
日本の九州大学で行われたマウス研究によって、「便を出す」という人間の最も基本的な生理現象の裏側に、存在する「排便中枢(橋のバリントン核)」存在し、どのように機能するかが解明されました。
研究ではマウスの脳内に光ファイバーを差し込んで刺激する手法(光遺伝学)を用いて、「排便中枢」として橋のバリントン核を同定しました。
またその部分を刺激することでマウスの肛門に詰め込んだガラス玉がより素早く排出させたり、通常より明らかに量の多い糞をさせることにも成功しています。
これは便秘と言えば腸ばかりを見ていた従来の常識を更新する手がかりになる可能性があります。
トイレで長く苦しむ私たちが責めるべきは、腸よりも脳なのでしょうか?
研究内容の詳細は2025年10月13日に『Cellular and Molecular Gastroenterology and Hepatology』にオンラインの校正版として掲載されました。
目次
- 便秘の原因は脳にある
- 腸ではなく脳にあった「出すボタン」
- 便秘を脳のエラーとしてみる時代へ
便秘の原因は脳にある

出ない、苦しい、でも出ない――頑固な便秘に悩む人は少なくありません。
実際、慢性便秘症は単なる不快の問題ではなく、寿命にまで影響します。
近年の研究では慢性便秘症の患者は健常者に比べて長期の生存率が約20%低いとする報告があり、医学的にも注目されています。
また一般の人々の理解の低さも問題です。
多くの人は、硬い便が腸や肛門を塞ぐ「物理的なもの」が原因だと思っていますが、主な原因はもっと別のところにあります。
実は慢性便秘症は、大腸の動きが鈍く排便回数が減る「通過遅延型」と、便は直腸まで来ているのに肛門から出せない「便排出障害型」などのタイプに分類することができます。
(※臨床では4つに分類されることもあります。)
簡単に言えば、前者の通過遅延型は主に腸で起きており、腸が便を直腸まであまり運んでくれないことが原因です。
一方、後者の便排出障害型はより複合的な原因が潜んでいます。
多くの人が自身の経験から知っているように、排便はお腹に力を入れて直腸内圧を上昇させつつ、肛門の筋肉を開放する「締めと緩めの協調運動」で成り立っています。
しかしこの便排出障害型では、この協調運動がうまくいかず、すぐそこまで来ている便が出てくれない状態になってしまいます。
筆者も出るはずなのに出ない、あの独特な不快感を味わったことがあるため、その苦しみはよく理解できます。
そして、直腸と肛門の「締めと緩めの協調運動」という複雑な制御からもわかるように、この便排出障害型の原因には脳の指令が関わっている可能性が示唆されています。
ヒトの脳には排尿を司る中枢が存在することが古くから知られており、橋にあるバリントン核(Barrington’s nucleus)は「おしっこスイッチ(排尿中枢)」として有名です。
では「うんちスイッチ(排便中枢)」はどこにあるのでしょうか?
意外なことに、この答えは長く謎のままでした。
以前から、排尿中枢のあるバリントン核や、その近くにある青斑核(LC)が排便にも関わると考えられてきましたが、その正確な位置や仕組みはわかっていませんでした。
そこで今回、九州大学などの研究者たちは「脳の排便中枢」を突き止めようとしました。
もし脳内の排便スイッチの場所と働きが分かれば、将来的に便秘をより的確に理解する手がかりになるかもしれません。
腸ではなく脳にあった「出すボタン」

「脳の排便中枢」はどこにあるのか?
謎を解くため、研究チームはまずマウスの大腸に特殊なウイルス(仮性狂犬病ウイルス、神経をたどって光る“目印”)を注入し、腸から脳へつながる神経回路を丸ごと「見える化」する実験を行いました。
ウイルスは感染した神経を光らせながら、信号の流れをさかのぼって進みます。
すると数日後、脳幹の橋にあるバリントン核や青斑核、さらに視床下部室傍核や中脳の水道周囲灰白質などの領域に光る細胞が多く見つかりました。
これにより、これらの領域が排便の動きを指令する有力な候補として浮かび上がりました。
もともとバリントン核と青斑核は「排尿の中枢」として知られており、脳の中でも体の排出行動を司る重要な場所です。
研究チームはいよいよ「脳で排便を司る本丸」はこのあたりだと考えました。
次にチームは、バリントン核と青斑核にある神経細胞を詳しく調べました。
遺伝子操作によって、これらの神経を光でオンにできる仕組みをもつマウスを作り、脳の特定部分をピンポイントで光刺激しました。
さらにマウスの肛門に小さなガラス玉を入れて、便秘のような状態を再現しました。
もしこの場所が「排便スイッチ」なら、光で刺激したときにガラス玉がより速く排出されるはずです。
そして結果はその通りでした。
バリントン核の中にあるVGluT2神経を光で刺激すると、肛門に近い大腸の内圧が上がり、ガラス玉の排出が速くなりました。
一方、同じ核の中でもCRH神経という別の神経を刺激すると、反応が少し遅れて始まり、長く続く収縮が起きることが分かりました。
つまり、排便を動かす神経には「すぐ押し出せ!(VGluT2系)」と「出し切るまで動け!(CRH系)」の二段構えがあるのです。
さらに、マウスが自然に排便する直前を観察すると、この二つの神経の活動が排便の約20秒前から高まり、実際に便が出る瞬間にピークに達しました。
脳の特定の神経が、排便のタイミングに合わせて働くことが確認されたのです。
では、この「脳のスイッチ」はどれほど強力なのでしょうか。
研究チームは光ではなく、薬で神経をオンにする方法(化学遺伝学)でも実験しました。
その結果、バリントン核や青斑核の神経を薬で活性化したマウスでは、2時間以内に排泄された便の量と個数が増えました。
しかも、全体の消化の速さには変化がなく、脳の刺激そのものが「出す動き」を引き起こしたと考えられます。
さらに、下痢のモデルマウスでこれらの神経を抑えると、腸の動きが一時的に弱まり、便の回数や量が減ることも確かめられました。
このように、脳の特定の神経をオン・オフすることで、排便を促したり抑えたりできることが示されました。
この発見は、便秘や下痢の仕組みを理解し、治療法を考えるうえで大きな手がかりになりそうです。
便秘を脳のエラーとしてみる時代へ

今回の研究により、便秘の原因をこれまでより広く考えられるようになりました。
腸の働きだけでなく、脳の指令系統にも関係がある可能性が浮かび上がったのです。
研究チームは、バリントン核の中にある2種類の神経について「正常な排便には両方の神経がそれぞれ関わっている」と考えています。
どちらか片方だけが動くと、排便が遅れて長引くなど、不自然な状態になるおそれがあると推測しています。
異なる二つの神経が「出だし」と「持続」という排便の二段階を担っていることが示されたのは、著者たちによる初めての機能的な実験結果のひとつです。
脳が排便のタイミングを調整しているという具体的な証拠が得られた点は、とても重要な成果といえます。
今後は、この脳内の回路をより詳しく調べ、異常な反応が起きる条件を見極めていくことが課題です。
将来、脳内の特定の神経の働きを薬や刺激で調整することで、「出したいときに出せる」仕組みを実現できる可能性もあります。
研究チームの田中義将助教は「慢性便秘のしくみをより細かく理解し、患者さん一人ひとりに合った方法を探りたい」と話しています。
今回の成果は、便秘という身近な悩みを「腸だけの問題ではなく、脳と体の協調の問題」として捉え直すきっかけを与えてくれます。
これからの便秘治療は、腸を整えるだけでなく、脳の働きを見つめる時代に入るのかもしれません。
参考文献
慢性便秘症に新たな突破口~排便をつかさどる脳中枢の仕組みを世界で初めて解明~
https://www.kyushu-u.ac.jp/ja/researches/view/1340
元論文
Barrington’s Nucleus: A Pontine Defecation Brain Area Exhibiting Prompt and Delayed Defecation Responses
https://doi.org/10.1016/j.jcmgh.2025.101635
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部
 
  
  
  
  
