コーヒーやお茶に含まれるカフェインが、「眠気覚まし」だけでなく脳の働きを高める可能性がある――という話を耳にしたことはありませんか。
米企業ING2社で行われた研究により、このカフェインが体内で分解される過程で生まれる「1-MX」という物質こそが、記憶力アップや脳の健康に深く関わっているとする最新の研究が発表されました。
カフェインの主役が交代するような驚きの発見であり、科学者たちはこの1-MXの潜在的な脳活性効果に大きな期待を寄せています。
私たちが普段何気なく飲む一杯のコーヒーや紅茶の中に、実はこんな秘密が隠されていたとしたら――いったいどんなドラマが広がるのでしょうか?
研究内容の詳細は『PLOS ONE』にて発表されました。
目次
- カフェイン研究の裏舞台:なぜ1-MXが注目されるのか?
- カフェイン代謝物で記憶力が39%向上
- 脳の全面サポート?1-MXが見せる多面的な可能性
カフェイン研究の裏舞台:なぜ1-MXが注目されるのか?

コーヒーは昔から「深夜まで目を覚ましてくれる不思議な飲み物」として親しまれ、“学者の燃料”や“社交の潤滑油”として世界中に広がりました。
メイン成分であるカフェインが、脳を覚醒状態に保ち、集中力を高める効果をもたらす――これは広く認められてきた事実です。
しかし、近年の研究では「カフェインそのもの」だけが主役ではなく、体内でカフェインが分解される過程で生まれる代謝産物こそが、私たちの記憶力や思考力に大きくかかわっているのではないかと注目されています。
その代表的な例としてよく名前が挙がるのが「パラキサンチン」です。
カフェインが肝臓で代謝されるとき、およそ70〜80%ほどがパラキサンチンに変わると報告されており、従来はこのパラキサンチンが神経伝達を強力にサポートすると考えられてきました。
ところが、パラキサンチンからさらに生まれる「1-MX(ワン・エムエックス)」という物質が、近年新たな光を浴びはじめています。
パラキサンチンが7番目のメチル基を外されて1-MXになるなど、1-MXはパラキサンチンの“次の段階”の代謝産物でもあるのです。
しかも1-MXは、アデノシン受容体への作用に加え、細胞内にあるリアノジン受容体(RyR)というチャネルを介して神経の興奮を調整するといわれています。
かつては「パラキサンチンがカフェイン効果の本体ではないか」と盛んに研究されてきましたが、この1-MXも似たような――もしくはそれ以上の――効果を持ち、記憶力や脳の健康に大きな影響を与える可能性があると示唆されているのです。
興味深いのは、カフェインの代謝は年齢や体質、酵素(CYP1A2)のはたらきによって大きく左右される点です。
若い頃は代謝が活発で、カフェインからパラキサンチン、そして1-MXへとスムーズに変化する可能性が高いものの、年を重ねるとこの過程が遅くなる場合があります。
つまり、同じコーヒーを飲んでも、若年の個体と高齢の個体とでは体内に生成されるパラキサンチンや1-MXの量、そして脳への影響が異なるかもしれないのです。
さらには、1-MXはコーヒーだけでなくトマトやレンコン、オクラなどにも微量ながら含まれているといわれ、カフェインをあまりとらない人にも関係してくる可能性があります。
こうした話題が積み重なるにつれ、1-MXはいったいどれほどの“潜在力”を秘めているのかが、ますますミステリアスに感じられるようになりました。
そこで今回研究者たちは、この1-MXが実際にどの程度、記憶力や脳の健康指標に影響を与えるのかを確かめるため、若いラット(8週齢)と加齢モデルとしての老齢ラット(16ヶ月齢)を用いて本格的な実験を行うことにしたのです。
カフェイン代謝物で記憶力が39%向上

今回の研究では、8週齢の若年ラットと、16ヶ月齢の老齢ラットという2つの年齢層に分けられた個体が用意されました。
それぞれのラットをさらに2つのグループに分け、一方には毎日1-MXという物質を12日間かけて口から与え、もう一方には同じ量の溶液(1-MXを含まない)を与えることで比較しました。
1-MXが脳の働きにどんな影響を及ぼすのか、そして年齢によってその効果は変わるのか――まさに真相を突き止める狙いがあります。
そしてテスト当日、ラットたちは順番にプール(モリス水迷路)へ投入されます。
水温は25度ほどで、ラットにはあまり快適とは言えない環境ですから、いち早くプラットフォームを見つけたいという動機づけが自然に生まれます。
結果は驚くべきものでした。
1-MXを与えられた若いラットは、与えられていない若いラットより約39%も短い時間で足場に到達できたのです。
しかも老齢ラットですら、1-MXグループは到達時間が27%も短縮されました。
年齢差はあるにしても、どちらのグループでも記憶・学習能力が大きく向上したわけです。
さらに、実験終了後に解剖したラットの脳を調べると、神経伝達物質であるアセチルコリンやドーパミン、GABAなどが明らかに増加していることがわかりました。
これらは「情報をスムーズに受け渡しするメッセンジャー」のような役割を担うため、1-MXが脳のネットワークを強化している可能性があります。
加えて、脳を錆びさせる原因の一つとされる酸化ストレスを防ぐ抗酸化物質(グルタチオンやカタラーゼ)が増え、認知症の要因としても取りざたされるアミロイドβ(1–40)が減少するという報告も見逃せません。
単なる「記憶力アップ」にとどまらず、脳全体の健康を保つ多面的な力がありそうだと考えられます。
実験では、1-MXは1日あたり人間換算で100mg相当の用量で12日間投与され、ラットの体重や脳重、行動パターンにおいて負の変化は見受けられませんでした。
また、1-MXはカフェインの主な代謝産物であるパラキサンチンからさらに変換される物質ですが、パラキサンチンや1-MXは主に速やかに体内から排出されるため、慢性的な蓄積による副作用が生じにくいと考えられています。
一方、カフェイン自体は長期あるいは過剰摂取によって、心拍数の増加、興奮、不眠、場合によっては不安感や消化器系のトラブルなどの副作用が現れることが知られています。
これらの事実から1-MXのサプリなどが発売されればカフェインを飲むよりも安全で、カフェインの座を奪うような存在になると期待されると言えます。
ただし、これらの知見は主にラットモデルで得られたものであり、人間における1-MXの安全性や副作用プロファイルについては、今後さらなる臨床試験や長期的な研究が必要となるでしょう。
研究者たちにとっても、予想以上に多面的な効果が示された点は、大きな驚きだったかもしれません。
1-MXを投与されたラットは、学習・記憶力の向上だけでなく、神経伝達物質や抗酸化機能まで強化されていたのです。
若いラットはもともと高い学習力をさらに伸ばし、老齢ラットは衰えかけた脳機能を引き上げられたというわけで、非常にインパクトのある結果と言えそうです。
脳の全面サポート?1-MXが見せる多面的な可能性

今回の結果から見えてくるのは、1-MXが脳内の広範囲なシステムを支えている可能性があるということです。
実際、アセチルコリン、ドーパミン、GABAといった幅広い神経伝達物質が増加し、脳の活性度がバランスよく上がった印象を受けます。
さらにグルタチオンやカタラーゼといった抗酸化物質が増え、BDNF(脳由来神経栄養因子)も上昇、アミロイドβ(1–40)の減少が見られたことから、年齢とともにサビやすくなる脳を守り、柔軟に保つ作用が見え隠れしているようです。
パラキサンチンやカフェインに慣れた体でも、1-MXという新たな刺激が効果を発揮し得るのではないかという指摘もあります。
なぜそうなるのか詳細なメカニズムはまだ推測段階ですが、1-MXは比較的短い時間で作用し、耐性による効果の減退が起きにくい可能性があるとも言われています。
若いラットでより顕著に効果が見られたのは、神経の可塑性が高いからだと考えられますし、老齢ラットであっても十分に改善が見られたというのは大きな成果でしょう。
とはいえ、これは動物実験での成果です。
人間の体は動物より複雑であり、1-MXの長期的な安全性や摂取量の最適バランスなど、未知の点も数多く残されています。
さらなる検証が必要ですが、もしヒトでも同様の効果が確認されれば、朝のコーヒーが思っている以上に私たちの脳を支えているのかもしれません。
今後は女性の個体や脳の特定領域ごとの変化に注目するなど、研究のすそ野が広がりそうです。
コーヒーやお茶から生まれる「次なる秘密兵器」として、1-MXの可能性には多くの科学者が熱い視線を注いでいます。
サプリメントや食品への応用など、多方面への展開が期待できる点も魅力的です。
1-MXが私たちの記憶力や脳の健康をどう変えていくのか――引き続き研究の進展が待たれます。
元論文
1-Methylxanthine enhances memory and neurotransmitter levels
https://doi.org/10.1371/journal.pone.0313486
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部