インターネットでは「オナ禁で人生が変わった」という話をよく目にします。
ここではオナ禁が「集中力が高まる」「肌がきれいになる」「異性にモテるようになる」「活力が増す」といった内容でその健康効果が語られています。
こうしたネットの噂を真に受けて実際に試してみたという人は多いかもしれません。
しかし、実のところネット上で噂されるオナ禁の効果については健康に明確な効果を与えるという証拠は見つかっていません。
つまりオナ禁することは科学的には支持されていないのです。
ではなぜ、根拠が薄いにもかかわらず「オナ禁は体に良い」と強く主張する人たちがネット上に溢れているのでしょうか?
この記事では、まずネットで広まるオナ禁の健康効果の噂を科学的に検証し、「なぜ人はオナ禁を信じてしまうのか」という人々の心理的背景を解説していきます。
目次
- 科学的には「オナ禁の健康効果」を示す証拠は特にない
- オナ禁を勧める人たちの特徴
科学的には「オナ禁の健康効果」を示す証拠は特にない
日本のネット掲示板でも、「オナ禁は体にいい」と言っている人たちを見かけますが、これは日本だけに限らず、海外でも「NoFap(ノーファップ)」 という呼び名でネット上に広まっています。
ただここで語られる健康効果には、特に科学的な証拠がなく、研究者の多くが「NoFap(オナ禁)」をネット上で展開される一種の思想的な運動と捉えています。
これが思想的な運動と捉えられていることに驚く人もいるかもしれません。しかしオナ禁は、科学的根拠の乏しい“疑似科学的な運動”と見られているのです。
例えばネットでは「オナ禁をすればテストステロン(testosterone)が増えて、活力や自信が高まる」「肌の状態がよくなった」などの報告があります。
テストステロンは筋肉や性欲、気分の安定に関わる男性ホルモンであるため、オナ禁の効果で上昇するなら確かに魅力的な効果が期待できます。
しかし、この噂を裏付ける信頼性の高い研究は特にありません。例えば、7日間射精を止めたらテストステロンが上がったという古い研究がしばしば引用されますが、被験者数が少なく、対照群が不十分、再現性に乏しい、という問題があります。
2001年にはドイツのエッセン大学病院が健康な男性を対象に、3週間の性的禁欲を行った後の血中のホルモンを測定した研究がありますが、こちらも一時的なテストステロンの上昇はあったものの長期的に安定した状態にはならなかったと報告されており、噂のような効果は否定されています。
そして、この実験も被験者数が10名と非常に少なく、結果を一般化できるほどの信頼性はありません。
そのため「オナ禁でテストステロンが持続的に増える」という噂を科学的に支持する証拠は現時点ではないのです。
オナ禁すると「精子の質が良くなる」という噂についても、不妊治療に関する臨床研究や、世界保健機関(WHO)の精液検査によれば、禁欲が長すぎると逆効果になることが報告されています。
たしかに長期間我慢すれば精液量や精子の濃度(単位あたりの数)は増えますが、精子の運動性は下がっており、DNAの損傷率も高まっているというのです。そのためWHOも、精液検査や妊娠を目指す際の推奨禁欲期間を 2〜7日間 としています。
このことから考えられるのは、「オナ禁で精子の質が良くなる」という主張も、単に精子の“濃度”が一時的に上がることだけを強調したもので、運動性やDNAの損傷といった重要な質の指標が低下するリスクを見落とした誤解であると言えます。
最後に「集中力やモチベーションが上がる」という主張です。
海外のNoFapコミュニティでは「自信がついた」「やる気が増した」といった体験談が数多く語られています。
こうした噂について、2020年にドイツの心理学チーム(Zimmer & Imhoff)が、北米を中心とする男性1,063人を対象に、Redditを通じたオンライン調査を行っています。この調査では参加者に禁欲の経験や動機、精神的健康などを測る心理学の質問票に回答してもらいました。
研究者たちは、もしオナ禁によって本当に集中力や健康が改善するのであれば、こうした心理調査でオナ禁を実施した人たちには「安定」や「生活の質」といった指標に差が出るはずだと考えました。しかし分析の結果、禁欲経験者とそうでない人の間に明確な違いは見られませんでした。
つまり「集中力が上がった」「やる気が増した」という感覚は、あくまで主観的な評価であり、標準化された心理調査票のような客観的な評価を行うと、特に差が出ないのです。そのためオナ禁の効果は実際にあるわけではなく、行動に対する期待で錯覚している可能性が高いのです。
このように、科学的な視点から見れば「オナ禁すれば健康になる」という噂は根拠に乏しく、信念や主観的な体験によって広まっている様に見えるのです。
では、なぜネット上ではこれほど広くオナ禁の健康効果が報告されたり、オナ禁を勧める人たちがいるのでしょうか?
オナ禁を勧める人たちの特徴
根拠や証拠が乏しいにも関わらず、なぜネット上にはオナ禁を勧めてくる人たちが多いのでしょうか。
この疑問を調査している研究はいくつも存在します。それらの報告によると、まず大きいのは「自慰は不健康」という信念を持つ人が多いという点です。
この信念は医学的な結論というより、罪悪感から生じるものです。
思春期は性の話題がタブー視されがちで、自慰を「不潔」や「恥ずかしいこと」と感じやすい環境で育つ人がほとんどです。
若年層では実際には大して汚れていないのに、自慰のあとに何度も手を洗うといった行動を取る人がいます。これは、心理学的には自慰行為に対する罪悪感の表れと解釈されます。
そのため罪悪感からなるべく自慰行為をやめたいという気持ちが強くなり、そのために「自慰は体に悪いものだ」という思い込みが強まるのです。
この気持ちの裏返しが、禁欲すれば健康になると信じやすくする下地を生み出しています。
そして、オナ禁を強く支持する人たちには「科学への信頼が低い」という特徴も確認されました。
「科学への信頼が低い」とは、必ずしも科学そのものを嫌っているという意味ではありません。むしろ、「研究論文に書かれた統計的な結果よりも、身近なコミュニティでの体験談を信じてしまう態度」を指します。
今回引用している研究報告でも、「科学的データよりも仲間の体験談を信じる」傾向が、オナ禁支持の強さと関連していることが示されています。つまり、信念を補強しているのは医学的証拠ではなく、コミュニティで共有されるストーリーなのです。
またこの傾向は、生活に悩みを抱え「何かを変えたい」と強く望む人に特に顕著でした。
人間関係がうまくいかない、集中が続かない、仕事や学業、創作活動が停滞しているといった悩みを持つ人は、その原因を見つけて自分を変えたいと考えがちです。
研究によると、「自慰に対して罪悪感を持ち、やめたいのにやめられない」と感じる人ほど、自慰が自分の上手くいかない原因と考えやすく、オナ禁を支持しやすくなる傾向が示されました。
そして多くのオナ禁支持者に共通しているのが「エネルギーの浪費と転用」という考え方です。射精で失うのは単なる快感ではなく、生きる力そのもののエネルギーであり、自慰を制限すればそのエネルギーを勉強や仕事、創作活動などに振り分けて、成功につながるという考え方を信じているのです。
まとめると、オナ禁を強く信じる背景には、罪悪感や生活への不満、そして科学的な証拠より仲間の体験談を重視する姿勢が強く関連していることがわかります。
もちろん過剰にマスターベーションやポルノを利用して生活に支障をきたしている人もいるため、そうした人にとっては確かにオナ禁が有用になる可能性はあります。しかし、一般的に言えばオナ禁は科学的に健康法として裏付けられていません。
本当に健康にいいと信じて実践している人もいるかもしれませんが、適度なマスターベーションは自然で健康的な行為であり、無理に我慢する意味は特にないと言えるでしょう。
元論文
Endocrine response to masturbation-induced orgasm in healthy men following a 3-week sexual abstinence
https://doi.org/10.1007/s003450100222
Abstinence from Masturbation and Hypersexuality
https://doi.org/10.1007/s10508-019-01623-8
Revisiting The Relationship between The Ejaculatory Abstinence Period and Semen Characteristics
https://doi.org/10.22074/ijfs.2018.5192
The Battle for “NoFap”: Myths, Masculinity, and the Meaning of Masturbation Abstention
https://doi.org/10.1177/1097184X211018256
ライター
相川 葵: 工学出身のライター。歴史やSF作品と絡めた科学の話が好き。イメージしやすい科学の解説をしていくことを目指す。
編集者
ナゾロジー 編集部