近年、実際に起きた犯罪を扱った「犯罪ドキュメンタリー」のジャンルが世界的に人気を集めています。
しかし私たちは犯罪に巻き込まれたいわけでも、暴力や死を歓迎しているわけでもありません。
ではなぜ私たちは現実の悲劇や事件を題材にした作品に、これほどまでに強く惹かれるのでしょうか。
この疑問に正面から挑んだのが、オーストリアのグラーツ大学(University of Graz)の研究チームです。
研究グループは大規模な心理調査を行い、犯罪ドキュメンタリーを見たくなる人間の心理的なメカニズムを明らかにしました。
今回の研究成果は、2025年10月7日付の『British Journal of Psychology』誌に掲載されました。
目次
- なぜ人は「犯罪ドキュメンタリー」が好きなのか
- 犯罪ドキュメンタリーを見る動機は「防衛」と「知的好奇心」だった
なぜ人は「犯罪ドキュメンタリー」が好きなのか
犯罪ドキュメンタリーは今やニュースやドラマ、恋愛コンテンツと並ぶほど、世界中の多くの人々に親しまれています。
アメリカでは2022年のある調査で、犯罪ドキュメンタリーを楽しむと答えた人が50%にも達していました。
週に1回以上視聴する人も3割を超えており、このジャンルが一時的なブームではなく、日常的な娯楽として根付いていることが分かります。
日本でも未解決事件を扱う番組や、海外の実際の事件を再現したドラマ、さらにはYouTubeやポッドキャストで事件の経緯を解説するコンテンツが人気を集めています。
SNS上では事件の真相や犯人の動機を推理し合う人たちも現れており、まさに犯罪ドキュメンタリーは現代社会の一大カルチャーとなっています。
しかし、なぜ犯罪ドキュメンタリーが人気なのかは不明です。
「なぜ人は現実の犯罪や死といったネガティブな出来事に強く引きつけられるのか」という理由についてはまだ十分に解明されていないのです。
従来は好奇心やスリルを求める気持ち、あるいは単なる娯楽の一つとして語られてきましたが、本当にそうなのでしょうか。
グラーツ大学の研究チームは、「どんな人が犯罪ドキュメンタリーを好むのか」「なぜ見たくなるのか」「見続けることで心にどんな変化が起きているのか」という3つの大きな疑問に答えるため、科学的なアプローチで調査を行いました。
研究ではオンラインと対面の両方で571人の成人を対象に調査が実施されました。
参加者にはテレビや映画、ポッドキャスト、ニュース、書籍といった複数の形式で犯罪ドキュメンタリーをどれくらい見ているかを尋ねました。
また、視聴する理由についても「自分や家族を守るための学び」「スリルや興奮」「実話だからこそのリアリティ」「気分転換や感情の整理」など、さまざまな動機を詳しく調査しました。
さらに、危険や死、暴力への好奇心や、性格特性(ビッグファイブやダークトライアド)、不安やストレス、攻撃性、回復力、犯罪被害への恐怖など、幅広い心理的側面が調査項目に含まれています。
そして研究チームは得られたデータを統計的に分析し、視聴傾向と心理的特徴のつながりを丁寧に明らかにしました。
犯罪ドキュメンタリーを見る動機は「防衛」と「知的好奇心」だった
分析の結果、まず最も顕著だったのは、犯罪ドキュメンタリーの視聴者が圧倒的に女性に多いという結果です。
女性の視聴優位は全てのフォーマットで確認され、とくにポッドキャストで顕著でした。
では、なぜ女性に人気が集まるのでしょうか。
研究では「防衛的警戒心」が女性の視聴動機として特に強いことが示されました。
自分や家族が犯罪被害に遭わないよう、現実の危険を知識として蓄え、いざという時に備えたいという心理が背景にあるのです。
つまり、女性はもともと犯罪に巻き込まれることへの不安が強く、事件の手口や被害者の体験から学ぶことで、身の守り方を考えたり備えたりしていることが明らかになりました。
もちろんスリルやエンタメとして楽しむ側面もありますが、男性より「防衛と学び」を重視する傾向が強いと言えます。
また、犯罪ドキュメンタリーをよく視聴する人は、危険な人の心理や身体的被害、死の過程などに知的な好奇心を持つ人が多いことが分かりました。
単なる暴力シーンへの興味ではなく、事件がどのように起こり、人はなぜ犯罪に走るのかという知的探究心が大きな要因となっているのです。
さらに、視聴者の性格や感情面の特徴としては、不安やストレスを感じやすい人、攻撃性や自己肯定感の低さが目立つ人ほど、犯罪ドキュメンタリーへの関心が強い傾向が見られました。
一方で、感情のコントロールが得意な人や他人の気持ちを想像する力が高い人にも、熱心な視聴者が多いという意外な側面もありました。
加えて、犯罪ドキュメンタリーを多く見る人は、自分が犯罪被害に遭うリスクをやや過大評価する傾向や、日常の不安や警戒心が高まる傾向も見られました。
ただし、視聴すること自体がうつ症状の悪化や幸福度の低下に直結するとは言いきれず、全体としてネガティブ感情傾向とは関連が弱く、影響はフォーマットや動機によって異なる可能性が示唆されました。
このように今回の研究は、犯罪ドキュメンタリーを見たくなる心理が単なる娯楽志向やスリルだけでなく、危険から身を守るための本能や、ネガティブな現実を知的に理解したいという深い欲求、そして感情の整理や備えなど、さまざまな心理が絡み合って生じていることを明らかにしました。
特に女性がなぜ強く惹かれるのかという問いに対し、防衛と学びという観点から新たな説明が与えられたことは大きな意義があります。
一方で、現実の犯罪を繰り返し消費することが不安や恐怖を過度に増幅したり、被害者や遺族に二次的な被害をもたらす可能性もあります。
今後はその社会的影響についても慎重な議論が求められるでしょう。
参考文献
Why We Can’t Stop Watching True Crime: The Psychological Pull And The Ethical Push
https://www.iflscience.com/why-we-cant-stop-watching-true-crime-the-psychological-pull-and-the-ethical-push-81353
元論文
Out of the dark – Psychological perspectives on people’s fascination with true crime
https://doi.org/10.1111/bjop.70038
ライター
矢黒尚人: ロボットやドローンといった未来技術に強い関心あり。材料工学の観点から新しい可能性を探ることが好きです。趣味は筋トレで、日々のトレーニングを通じて心身のバランスを整えています。
編集者
ナゾロジー 編集部

